第60話 崩落 re


 討伐隊による作戦が始まって四日ほどの時が流れていた。

 計画的に行われると思われた攻撃は、個々の集団の判断が優先される統制の欠いたものだった。腐った昆虫の死骸は荒野の至るところに残され、戦闘音や死骸の臭いにつられて人擬きも姿を見せる事態になっていた。


 たかが昆虫と侮り油断することで命を失う者や、昆虫の数に嫌気がさして依頼を放棄する集団もあらわれて、その集団を臆病だとののしり攻撃を行う略奪者たちも出てくる始末しまつで、討伐隊の死傷者は増えていく一方だった。


『レイ』と、白蜘蛛の可愛らしい声が聞こえた。

 私は国民栄養食の残りを口に放り込むと、ヴィードルの側に立てかけていたアサルトライフルを肩にかけた。

「また侵入者か、ハク?」

『ん』

 夜の闇の中から長い脚が一本、また一本とあらわれて白蜘蛛が姿を見せた。


 ハクの触肢から糸が伸びていて、月明りを浴びて輝く糸に身体からだ雁字搦がんじがらめにされた男たちの姿が確認できた。その男たちはハクに殴られていたのか、昏睡状態だった。


「ハク、よくやった」

『あげる』

 ハクは糸の端をそっと地面に置くと、カサカサと腹部を揺らして闇の中に消えていった。


「またハクが捕まえたのか?」と、焚火にあたっていたイーサンが近づいてきた。

「ああ、これで八人目だ」

 私はそう言うと、うんざりしながら男たちに絡みついていた糸をハンドガンで取り込んでいった。


「それにしても、あの〈深淵の娘〉は本当に敵じゃなかったんだな」

「まだ疑っていたのか?」

「疑り深いのが俺の長所なんでな」

「その割には、ヤンたちよりも早くハクに順応していたように見えたけど」


「廃墟の街で〈深淵の娘〉に襲われたら終わりだからな。今さら怖がってみせたり、敵対する意思を見せることに意味はほとんどないんだ」

「深淵の娘か……そんなに恐ろしい存在なのか?」

 私はそう言うと、男たちの腕を背中に回して結束けっそくバンドで拘束していった。


「そうだな……」と、イーサンは倒れていた男を肩に担いだ。「レイは今まで単独で仕事をしていたから、あまり危険な地域にいかなかった。だから〈深淵の娘〉の噂も聞かなかったんだろう」

「昆虫や蜘蛛くもたぐいは苦手なんだ。略奪者の相手をしているほうがずっと楽だ」

「それは言えてる」


「またか、レイ」と、ヤンが歩いてくる。

「ああ、手伝ってくれるか?」と、私は倒れている男を指差した。

「任せろ」

 ヤンはそう言うと結束バンドで縛られていた男を肩に担いだ。私も最後のひとりを肩に担ぐと、イーサンと共にヤンのあとについていった。


「それにしても、この馬鹿どもは何処どこからやって来るんだ?」と、ヤンが言う。

「大方、討伐隊のキャンプからだろう」とイーサンが答えた。

「狙いは女たちだな。もっと遠くで野営するか?」ヤンは溜息をつきながら言う。

「無駄だろうな。こういう手合いは、そう簡単に諦めはしない」


 砂に半ば埋もれた建物に入っていくと、我々は襲撃者を降ろした。

 運がければ、人擬きにわれることなく朝まで生き延びられるだろう。足は縛っていないから何処どこにでも歩いていける。それに武器は奪ってあるから、我々に対して、もう馬鹿な真似はしないだろう。それでもりずにまたやってくるようであれば、ハクに生きたまま喰われることになる。それが彼らの運命ではないことを私は願う。


 野営地に戻ると私は焚火の側に腰を下ろした。

「それで」と、私はバックパックから国民栄養食を取り出しながら言った。「深淵の娘たちはそんなに危険な生物なのか?」

 イーサンはチタンで造られたお気に入りのスキットルを懐から取り出すと、ウィスキーを喉の奥に流し込んだ。

「死の代名詞になっているからな、危険なんてなまやさしいモノじゃない」


「あの子供みたいにちょろちょろして、落ち着きがまったくないハクが死の代名詞ね」と、ヤンがつぶやく。

「真っ黒の体毛に赤いまだら模様もようの蜘蛛を廃墟で見かけたら最後だ。その時点で奴らに囲まれている。わざわざ姿を見せるのは獲物に逃げてもらい、追跡を楽しむためだ。飽きたら一斉いっせいに飛び掛かられてい散らかされる」

「遊び感覚で狩りをするのか、それも集団で、えげつねぇな」

「人間も同じことをする。残さず食べてくれるだけ連中のほうが良心的なのかもしれない」


「イーサンは、深淵の娘と戦ったことはあるのか?」と、私は質問した。

「遠くから観察したことがあるだけだ。これからも戦う必要がないことを祈るよ」



 日が昇り始めるころ、討伐隊の野営地から砲撃音が聞こえてきた。一度始まると、砲撃による轟音が断続的に聞こえてくるようになった。


 絶えず地中から姿を見せる変異体のシロアリに対して、討伐隊は砲撃による掃討作戦を実施した。付近一帯に点在する巣穴の破壊も同時に行う算段だったが、砲撃によって瓦礫がれきや土に埋もれた巣穴は、シロアリのれによってあっと言う間に修復されていた。


 巣の外に出ている変異体のシロアリをまとめて駆除できるので、砲撃は悪い考えではなかった。しかし巣を攻撃したことで、怒り狂ったシロアリの数を増やすことになっていた。


 砲撃の様子を見ていたヤンは、溜息をつきながら言った。

「せめて包囲網を敷いてくれていたら、後方を気にせず楽に戦えたんだけどな」

「前線にいる味方を砲撃にさらしているような連中に、そんな考えが浮かぶとも思えないな」

 イーサンはそう言うとスキットルをかたむけた。


 しばらくすると、軍用テントでミスズと一緒に眠っていたジュリが起き出してきた。

「……うるさい」ジュリは枕を手に、砂煙に覆われていた討伐隊の野営地を睨んだ。

 それから廃墟の影に隠していたウェンディゴに乗り込んだ。


「レイ、ハクはどのあたりにいるんだ?」

 イーサンの言葉を聞いて、私は網膜に投射されている地図でハクの位置を確かめた。神出鬼没だった白蜘蛛の現在位置が分かるように、ハクの脚には特定の信号を発する小さな端末をつけていたのだ。


「今は川の近くだな……水遊びでもしているのかもしれない」

「あの構造物が浮いているあたりだな」

 イーサンは遠くに見える正多面体の構造物を見つめた。謎の物体は上空に向かって厚い雲をモクモクと吐き出していた。

「それなら、ハクが砲撃に巻き込まれることはないな」


「ハクが心配か?」

「いや、砲撃に怒ったハクが野営地を攻撃しないか心配だった」

 私は肩をすくめてみせると、その野営地からやって来るヴィードルに目を向けた。シンとユイナが乗ったヴィードルと、リーが操縦する車両だった。


「あっちの状況はどうだった、リー?」と、ヤンがたずねる。

「シロアリの巣穴に侵入して、内部から巣の破壊を試みるそうだ」

 リーの言葉にヤンは目を見開いて驚いた。

「連中はイカれているのか?」

「まともじゃないのは確かね」と、ユイナが素っ気無く言う。「自殺志願者は沢山いた」


「どの部隊が、そんな危険な任務を引き受けるんだ?」

「討伐隊の自称〝主力〟の馬鹿どもはみんな賛成した。幸いなことに、私たちは野営地の護衛をするために残るように頼まれた」

「ご苦労なことで」と、ヤンは唾を吐きだす。「砲撃が止んだら、野営地に向かうのか?」


 ユイナはうなずくと、テントの中に消えていった。

「ええ。でもその前に、休ませてもらう」

「僕も少し仮眠させてもらうよ」

 シンは欠伸あくびをしながら、ユイナのあとに続いた。

「リーも今のうちに休んでおけ」とヤンが言う。

「そうさせてもらうよ」


 私はワヒーラを使って地中の様子を監視することにした。

 我々が野営していた場所の地下にも、変異体のシロアリが掘ったトンネルがずっと続いていた。彼らの巣が地下深く何処どこまで続いているのかは、私には想像もできなかったが、それはワヒーラの能力を使用しても全容ぜんようつかめないほど深く広いモノだった。


 シロアリだと思われる生物の反応が常に送られてくる不気味さに、私は背筋が冷たくなるほどの恐怖を覚えた。得体の知れない生物が地下深い場所でうごめいている、そしてそれは人間がどうにかできる存在だとはとても考えられなかった。


 銃声がして討伐隊の野営地に視線を向けると、複数のヴィードルと武装した傭兵がシロアリの巣に向かって進軍を開始するのが見えた。彼らは祝砲のつもりなのか、あるいは景気づけなのか、空に向かってめちゃくちゃに発砲していた。


 砲撃によって散らされたシロアリの死骸の間を縫うように彼らは進み、やがて山腹に沿って並ぶ構造物の付け根にある一際大きなシロアリの巣穴に侵入した。巣穴に入れないヴィードル部隊は、巣の入り口を死守するようにシロアリとの戦闘を開始した。


「派手にやってるね」と、ユウナが私のとなりに座る。

「ジュリはどうした?」

「ウェンディゴでウミと一緒に映画を鑑賞してる」

「本当に、ジュリは何をしに来たんだか……」


「ねぇ、私たちも行くことになりそう?」

 私は巣穴付近から聞こえてくる銃声や破裂音に耳を澄ませた。

「どうだろうな、分からないよ」

「怖い?」

「暗闇を恐れない人間なんていない」


「レイの銃でどうにか出来ないの? ドカーンって感じでさ」

 私は腕を組んでしばらく本気で考えた。

「地上から撃っても、巣穴を広げることしかできないんじゃないのかな」

「それは残念」


 砲撃が止むと我々は状況確認のために、討伐隊の野営地に向かうことにした。

 我々が野営していた場所には、シンたちに残ってもらうことになった。綺麗な顔立ちをしたユイナとユウナを連れていくのは、余計なトラブルのもとになると考えてけた。


 私とミスズ、それとイーサンで討伐隊の野営地に入っていった。数日前とは打って変わって人の姿もまばらで閑散としていた。


「そろそろ、巣穴を爆破するそうだ」と、組合の関係者から話を聞いたイーサンが言う。

「巣穴に侵入した連中の撤退は済んだのか?」

「いや、爆弾を設置してからだいぶ時間が経っているみたいだが、連中と連絡が途絶えたままだ。巣穴から出てくる気配もないらしい」


 カラスから受信する映像で巣穴の様子を確認する。

「ヴィードルに乗った連中は野営地に戻ってきているな」

「仲間を見捨てたのですか」と、ミスズは驚く。

「元々、連中に仲間意識なんてなかったのさ」とイーサンは答えた。


 すると突然、大地が揺れたかと思うと、不気味な地響きが聞こえた。

「爆発の影響か?」と、私は身体からだを低くしながら周囲を見まわす。

「爆発の所為せいだけじゃないな、規模が大きすぎる」とイーサンが言う。


 再度、激しい揺れが起きると地面が割れるようにして沈み込んでいった。やがてその地割れはヴィードルで撤退を始めていた討伐隊や、人間に対して攻撃を行っていたシロアリをも呑み込んでいった。その地割れの波は広がり、討伐隊の野営地に向かってきていた。


 イーサンは端末に向かって叫んだ。

「地盤沈下だ。エレノア、すぐにそこから退避しろ!」

「カグヤ!」と、私も声を上げた。

『分かってる!』


 野営地が地割れに呑み込まれていく。

 その地割れは逃げ惑う人々や、砲撃を担当していた傭兵たちもまとめて地の底に引き摺り込んでいった。大きく傾いた地面と共に滑り落ちていくミスズを胸に抱くと、私は落下の衝撃に備えた。


 しばらくして暗闇に目が順応すると、ミスズの顔が間近に見えた。

「大丈夫ですか?」

「ああ、ミスズは怪我していないか?」と、彼女の琥珀こはく色の瞳を見ながら言う。

「あの、えっと……私は平気です。レイラが下敷きになってくれたので……」

 ミスズはそう言って立ち上がると、周囲に視線を向けた。


「カグヤ、地上はどうなっている?」

『地上の映像を送るよ。それよりレイ、腕に怪我をしてる』

 私は上体を起こすと腕の傷を確かめる。

「レイラ、動かないで」

 ミスズは私の側にしゃがみ込むと、戦闘服の袖を引き千切り、ベルトポケットからコンバットガーゼを取り出し傷口にあてた。左腕の傷口は深かったがナノマシンが働いている影響で、痛みがなく出血もわずかだった。


「ありがとう、ミスズ。あとは包帯を巻くだけでいい」

「でも、あの……」

「大丈夫だ。ライフルを探してきてくれないか、落としたみたいだ」

 私はそう言うと、ミスズを安心させるために笑顔を見せた。

「……はい」

 ミスズは何かを口にしようとしていたが、やがて諦めてライフルを探しに行った。


 私は身体を起こすと、腕の動きを確かめた。

「これなら、問題ないな」

『無理しないでね』と、カグヤが言う。『地上はめちゃくちゃだよ。けど、早い段階でみんなに連絡できたから、なんとか地割れに巻き込まれずに済んだ』

「そうか。野営地にいた討伐隊の人間は?」

『知らない、地割れに呑まれたんじゃないのかな?』

 カグヤは興味なさそうに言う。


「レイラ、ありました」

 ミスズがライフルを持ってくる。

「助かったよ」

 ライフルを受け取ると、弾倉を抜いて残弾数を確認する。

「それにしても、バックパックを持ってこなかったのは失敗だったな」

「そうですね。私もヴィードルに置いてきました……」


「カグヤ、俺たちのヴィードルは?」

『すぐに移動させたから大丈夫』

「助かるよ、カグヤ」


「レイ! そこにいるのか」

 イーサンの声が聞こえた。薄闇に視線を向けるとフラッシュライトの明かりが見えた。

「ここだ、イーサン!」と私は声に答えた。

「二人とも無事か?」

「なんとか、イーサンは?」

「大丈夫だ。地上がどうなっているのか分かるか?」


「討伐隊のキャンプはダメだ、生存者がいるのかどうかも分からない」

『エレノアなら大丈夫だよ』と、カグヤが言う。

「エレノアさんは大丈夫みたいですよ」と、ミスズがすぐに教えた。

「そうか」イーサンはホッとして、それから言った。「なら俺たちも移動しよう。此処ここに留まっていたらシロアリどもに見つかる」


 私は周囲に視線を向けた。地割れで崩落した瓦礫がれきや土砂に巻き込まれるようにして、シロアリの死骸が散乱していた。どうやら我々は、シロアリが掘ったトンネルに落下したみたいだった。地盤沈下によって誕生した地上に続く縦穴は、瓦礫や落石で塞がれていて、地上に戻るには別の道を探す必要があった。

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