16 Side 蒼樹 01話

 翠葉が眠りに落ちると紫先生に呼ばれた。

「蒼樹くん、少し時間あるかな?」

「はい、大丈夫です」

「紫先生、第三カンファレンスルームを取っておきました」

 湊さんも一緒に病室を出て、翠葉の病室がある階の一番端に位置するカンファレンスルームに連れて行かれた。

 席に着くと、

「翠葉ちゃんなんだが……やはり体調が思わしくないようだ」

 紫先生はテーブルに視線を落とし、白い髭をいじりながら話し始めた。

「学校がとても楽しいようだね。それはメンタル面に良い影響があるだろう。しかし、自分がやりたいことを妥協しなくてはいけない面も相当増えたはずだ。それが身体へダイレクトにきてしまっている。もともと不安定な身体だから、悪化するのはとても容易い」

 何も言うことができなかった。

 ここ一、二週間の翠葉はとても楽しそうに毎日を過ごしていた。

 微熱が出ることがあっても気力で乗り切れてしまうくらいに――

「寝たきりの患者もつらいけど、健常者の中で制約を守って行動することのほうが過酷なこともあるのよ」

 そんなことを言われても……。

「どうしてあげたらいいんでしょう……。正直、わからなくて」

 情けない。

 人に訊かなくちゃ自分が取るべき行動もわからないなんて。

「メンタル面は乗り切るしかないんだ。小出しに吐き出してはまたがんばる……その繰り返しだ。稀に開き直れてしまう患者さんもいるけれど、翠葉ちゃんの性格を考えると難しいだろうね」

「……吐き出せない、と?」

 さっき翠葉と湊さんの話を聞いていたから知ってはいるけど、

「心労やストレスからも心臓に負担がかかる。不整脈の原因にもなるし、少なからずとも自律神経にも影響は出る。……実のところ、これ以上にひどくなることは考えたくないんだが……」

 紫先生が苦い笑いを浮かべた。

「翠葉ちゃんは私にも『大丈夫』という言葉を使うようになってしまった。担当医を湊に変えたのはそれも理由のひとつだ。幸い、湊には具合が悪いことを包み隠さず話せているようで安心したんだが……」

 そうだったんだ……。

 主治医が湊さんに変わったというのは聞いていたけれど、そんな理由があったことは知らなかった。

「翠葉ちゃんとの信頼関係は築けていると思う。ただ、時間が経って身内に対するそれと似た部分が出てきてしまったのだろうね。心配をかけまいとする癖が……。湊は口調といい態度といい、決して褒められた医者ではないが、腕は悪くない。その点は安心しくれていいし、私も常にバックアップにはついている。だから、しばらくあの子のメンタルは、湊に任せてもらえないだろうか。……このままいくと、翠葉ちゃんは壊れてしまう。自分の命を自ら手放してしまいかねない。翠葉ちゃんのような体質で、倒れる寸前まで助けを求めないのは自殺行為と変わらない」

「自殺行為」――その言葉に、殴られたような衝撃が頭と心臓に走った。

 なんとか冷静さを保ち、静かに口を開く。

「……俺や家族が下手に気持ちを訊きだそうとしないほうがいいということですか?」

「そうだね。やるせないだろうが、しばらくは見守っていてあげてほしい。今は翠葉ちゃんの負担を減らすことを優先したい。間違いなく、それが身体にいい影響を与えるだろうから」

「……わかりました」

 ほかに答えるべき言葉が見つからなかった。

「蒼樹、簡単なことよ。しばらくはこちらから何も訊かなければいい。あとは今までと変わらなくていいの。ただひとつ……やりたいと思ってることはやらせてあげて。具合が悪くても学校に行くと言えば行かせていいわ。倒れたら私が責任をもつ」

「でもっ、ひとりのときに倒れたらっ!?」

「学校内ならあの小姑たちが一緒でしょう? それでなくても大丈夫よ」

 湊さんは笑みを浮かべていた。

 白衣のポケットから黒いタブレットを取り出すと、

「以前秋斗が翠葉のスマホを預かったことがあるでしょう? そのときにGPSを仕込んだんですって。だから、翠葉がスマホさえ所持していればどこにいるかは逐一チェックできる。もっとも、今まで一度も起動させてはいないそうだけど。あとは、バイタルチェックをするわ」

「え……?」

「これ、バイタルチェック用のバングル。これを翠葉につけさせる。そうすれば翠葉の居場所もバイタルも、すべてこれに表示される」

 何……? GPSにバイタルチェック……?

「秋斗印の開発品。このタブレットは本来蒼樹の誕生日プレゼントだったものを、私が勝手に拝借してきちゃったの。今はスマホからもチェックできるように、ってアプリの開発をしてるところですって」

 バングルと言われたものは幅が一センチくらいのもので、普通のアクセサリーとなんら変わりはない。触れるとひんやりと冷たく、滑らかな曲線が美しい。

 秋斗先輩、ここ一ヶ月忙しそうにしていると思っていたら、これを作っていたのか?

 そういえば、いつもとは毛色の違う資料をいくつも頼まれてはいたけれど……。

「だから、何があっても大丈夫。……あの年の頃にはやりたいことを思い切りやらせてあげることも大切なのよ」

 今まではそれができなかったんだ。でも、これからは――これからは違うのか……? このバングルがあれば、変えられるのか?

 ……本当に何から何まで――

「すみません。これからもお世話になります」

 俺は深く頭を下げた。

 でも、バングルをどうやって翠葉に着けさせるんだろう……。どう説明するのか――

「これは私が責任もってつけさせる」

 どうやって……?

「包み隠さず話すわ。機能の話もするし、GPSのことも話す。そのうえで、動きたいように動けって伝えるわ。喜ぶか自制に走るかはまだわからないけど……。でも、何かしら打破するためのきっかけは必要よ。……今日、帰れるとしたら私が送っていくから蒼樹はもう帰りなさい」

 確かに、このまま翠葉に付き添ったところで、まともに会話ができるとは思えない。

 俺も、少し自分を立て直す必要がある。

「もう一度顔を見たら帰ります。あとのこと――よろしくお願いします」

「……蒼樹も。少しは肩の力を抜きなさい」

 今、力なんて抜いたら自分という人間が崩れてしまう気がする。

「翠葉は蒼樹のことも両親のことも大好きよ。ただ、その人たちに笑っていてほしくて、幸せでいてほしい。そう願っているだけなの。その気持ちが少し間違った方へいってしまっているだけ。いつまでもこのままじゃないわ。少し待ってあげなさい。あんたがつらいのもわかる。でも、今一番過酷な状態にあるのは翠葉よ」

「……はい」

 もう一度頭を下げカンファレンスルームをあとにした。

 翠葉の病室へ戻るとカーテンの中に入り、ベッド脇に立つ。

 熱はまだ三十八度を切らない。

 今まで色んなことを抑制しすぎただろうか……。

「ごめん……」

 苦しい思いさせて、ごめん……。

 熱を帯びた翠葉の額に手を乗せ、翠葉が生きていることを手のひらで感じる。

 じんわりと伝ってくる熱に涙が零れそうになり、俺は慌てて病室をあとにした。

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