10話

 昨日、あれほど盛り上がった球技大会だけれど、翌日の今日にはみんなの切り替えはすっかり済んでいた。

 朝のホームルームまでは会話を楽しむ姿も見られた。けど、ホームルームが終われば相変わらずの勉強熱心さ。

 それもそのはずで、来月半ばには中間考査がある。

 そして私たち外部生は、そのころから未履修分野のテストが始まる。……といっても、未履修分野は各々のペースで、ということもあり、テスト日が決まっているわけではない。各自、課題が終わった人から順にテストが始まるのだ。

 試験問題はコンピューターで算出された問題のため、ひとりひとりが違うテスト内容になる。

 同じ問題であっても数字が違うとか、細部にこだわりのあるプログラミングがされているらしい。それによって、問題の流出を防ぐことができるのだとか。

 六月頭には全国模試があり、七月には期末考査がある。これらのテストで学年順位が割り出されるそう。

 年間スケジュールを見ると、テストの多い学校であることがよくわかる。

 だからといって、イベントが少ないかと言われたら、そういうわけでもない。

 五月下旬には「校内展示」という写真展示会があるし、六月には生徒会就任式と生徒総会があり、七夕には生徒会主催のイベントがあると聞いた。そして、そのあとには陸上競技大会。

 この慌しい学校行事の中、当然部活動もあり、部によっては試合や大会だってある。

 そこでそれなりの成績を修める人が多いのも事実。

 この学校の生徒は、文武両道を地で行く人が多すぎやしないだろうか……。

 曲がりなりにもその学校の生徒である自分に、なんの取り得があるのか――と悩むこともしばしば。

 とりわけ、今はインターハイ予選を前に、みんな部活動のほうに比重が傾いているよう。

 隣の席の飛鳥ちゃんはとても眠そうに授業を受けていた。けれども、授業が終われば猛ダッシュで部室棟へと駆けていく。

 それは飛鳥ちゃんだけではなく、ほかの運動部の人たちも同じ。今はホームルーム後に雑談する姿は見られない。

「じゃあ、前日にでも連絡するわ」

 桃華さんに言われて頷いた。

「桃華さん、ありがとう……」

「最近は色々話してくれるようになったとは思うのだけど……」

 ため息混じりに笑われる。

「まあ、人ってそんな簡単に変われるものじゃないし、少しずつ話せるようになればいいんじゃない?」

 こんなときに見せる笑顔は私をほっとさせてくれる。

「桃華さん……私はみんなに色んな気持ちをもらってばかりで、いつも何かから守ってもらっている気がするの。でも……私はそれに見合う何かを返せているのかな……」

「……少し、歩かない?」

 桃華さんに誘われ桜香苑へと向かった。


 昇降口で靴に履き替え、部室棟の脇を通り抜けて桜香苑に入る。

 今日は日差しが強いものの、適度に風が冷たくて気持ちがいい。

「翠葉は難しく考えすぎなのよ。みんなやらなくちゃいけないと思ってやってるわけじゃないわ。みんなが翠葉を守ろうとするのは守りたいと思うからよ? やりたくもないことを率先してやる人なんていないのよ」

 そう言って、木陰にあるベンチに座る。

 なぜかこのベンチの周りにだけリスの石造が置かれていて、私のお気に入りの場所となっていた。

「ただ、翠葉って子がみんな好きなの。だから仲良くなりたいと思うし、困っていれば助けたいと思う。何も不思議なことじゃないでしょう? ごく当たり前のこと。……知ってる? みんな翠葉が笑うと、その日はラッキーデーか何かと勘違いしてるって」

「えっ? それは申し訳なさ過ぎるよっ。私の笑顔なんて希少価値もなければなんの効力もないのに……」

 言葉尻が小さくなると、桃華さんに再度ため息をつかれた。

「私は翠葉の笑顔が好きよ? こぉ……ふにゃっとした感じで、見ると程よく力が抜けるのよね。それって魔法と同じようなものだわ。どんなに緊張した局面でも翠葉の一言で場が和むこと、球技大会で何度も目にしたわ。……もっと自信を持ちなさい」

 桃華さんの真っ直ぐな目にゾクリと肌が粟立つ。

「私ね、自分を卑下する人って好きじゃないの。ましてや、私の友達なのよ? 自信がないなんて、私に対する侮辱だわ」

 極論を展開されて、少し戸惑った。戸惑ったけれど――

「自分に自信を持つのはまだ少し難しくて……。でも、自分を卑下することはやめる努力をしてみる……」

 勇気を振り絞って桃華さんの目を見る。と、

「翠葉の素直さは、人が真似しようと思ってできることじゃないわ。それこそ、誇るべきものだと思うけれど?」

 桃華さんはベンチから立ち上がり、校舎の方へと視線を向けた。

 何かあるのかと振り返ってみると、

「藤宮先輩……?」

 袴姿の藤宮先輩が、部室棟の階段を下りてきたところだった。

 こちらに気づくと、小道を逸れて芝生の中を突っ切ってくる。

「藤宮司、あなたのそのムカつくほどの自信を翠葉に分けてあげてくれないかしら? 足して割るとちょうどよくなりそうなのよね」

 先輩は訝しげな表情で、

「話が見えないんだけど」

「翠葉から聞けば? ……じゃあ私、梅林館に寄ってから帰るわ。またね」

 桃華さんはにこりと笑い、手をヒラヒラさせて歩き出す。

「ちょっと待って」と言う間もなく、桃華さんの後ろ姿はどんどん小さくなっていった。

「で、自信が何?」

「あ、えと……」

 改めて先輩を見ると、「確かに」と思った。

 先輩はいつも自信満々に見えるし、その秘訣を聞いてみたい気はする。

「翠?」

「……先輩の、その自信はいずこから……?」

「……自信なんて積み重ねの賜物だと思うけど? 試験でいい点採るのもそれなりに勉強をしているからだし、弓道で結果を残すのも日々の鍛錬がものを言う。自信ってそういうところから生まれるものだと思うけど?」

 先輩らしい簡潔な答えは、胸にストンと落ちた。

 そうか……私、まだ努力が足りないんだ。

「なんの話なのか見えないんだけど……」

「……わからなくて問題ないです。ところで先輩、インターハイの予選が四日にあるって聞いたんですけど、時間を教えてもらえますか?」

 一瞬にして、先輩の眉間にしわが寄る。

「なんで?」

「応援に行きたいから?」

「ふーん……どうして?」

 どうして……?

 えぇと……応援に行くのに理由って必要だったかな? 強いて言うなら――

「行きたいから? ……あれ、何か違うかな。……先輩が弓道をやっているところを見てみたいから?」

「……四日の午前九時からだけど……」

 私はかばんから手帳を取り出し予定を書き込む。

「海斗の試合も見に行くの?」

「はい。あと、佐野くんの短距離も」

「ふーん……。じゃ、俺は部活に行くから」

 藤宮先輩は身体の向きを変え、弓道場へと向かって歩き出した。


 その日の帰り、

「蒼兄、ゴールデンウィークに佐野くんたちのインターハイ予選を見に行くことになったよ」

「……幸倉運動公園?」

「そう。二十九日に佐野くんと海斗くんの試合があるの。四日の午前には藤宮先輩の弓道の試合」

「今、弓道場の近くは藤がきれいに咲いてるよ」

 幸倉運動公園は、家の真裏にあると言っても過言ではない。

 蒼兄が毎朝走りに行く運動公園で、去年私が倒れた場所でもある。

 かなり広い敷地面積に、充実した施設が整っているのだ。

 公園内には屋内施設として大体育館、小体育館、多目的ルーム、トレーニングルーム、柔道場、剣道場、弓道場を併設した巨大な体育館があり、その隣には屋内プールがある。

 屋外には陸上競技場だけではなく、サッカー場にラグビー場、野球場とテニスコートが六面、壁打ちボード全天候型が二面。当然、夜間照明付き。

 うちから歩いて三分ほどで敷地内に入れるものの、体育館までは歩いて十五分ほどかかる。

 ちょっとしたお散歩にはもってこいの場所だし、緑が多くて好きだけど、私が行く場所は限られる。

 人の出入りが激しい体育館や陸上競技場付近には近づかない。

 同級生に会わないようにそれらの施設を避けると、芝生広場や花壇が多いところばかりになる。だから、弓道場近くに藤が咲いていることは知らなかった。

「藤と言えば……今、一、二年棟と三文棟の間にある中庭が、とってもきれいなの」

 先日飛鳥ちゃんとお弁当を食べたときのことを思い出す。

「あぁ、この時期は花盛りだな」

 蒼兄は思い出したかのように笑った。

「ねぇ、蒼兄……恋ってどんな?」

 飛鳥ちゃんや佐野くんのことを思い出して訊いてみると、運転席の蒼兄は手に持っていた缶コーヒーを落とした。

 すぐに回収したので、それほど零れてはいないけれど、

「せっかくの白いシャツが茶色くなっちゃったね。ブラックだからベトつきはしないかもしれないけれど……。おうちに帰ってすぐに染み抜きすれば取れるかな?」

 助手席からハンカチを差し出すと、蒼兄が私を見たまま固まっていた。

「蒼兄?」

 ――プップー。

 後続車に催促されてはっとする。

「蒼兄、青っ! 信号、青っ」

 急いで発進するも、

「……何? 誰か気になる人でもできた?」

 蒼兄はシャツの汚れをまったく気にしていなかった。

 なんて気の毒なシャツだろう……。

 しょうがないから私が拭くことにした。

「そんなのどうでもいいから」

 と、拭く手を止められる。

「でもこの白いシャツ、よく似合うのに……」

「シャツの話は置いておいて、翠葉、好きな人できた?」

 あまりにも食いつき良好な蒼兄にびっくりしながら、

「私じゃなくて……蒼兄、内緒だよ? 佐野くんがね、飛鳥ちゃんのことを好きなの。でも、飛鳥ちゃんは秋斗さんが好きで、それを知ったうえで佐野くんは飛鳥ちゃんに告白して断られて……ということが球技大会の日にあって、なんとなく訊いてみただけ」

「なんだ……そういうことか」

 全身から力が抜けたような声で言われる。

「なんかね、それを見ていてちょっといいな、っていうか……心がほんわかあたたかくなったの。だから、恋をしている人はどんな感じなのかな、と思っただけ」

 もし、恋をしたらどんな気持ちになるのだろうか、と。

 それは小説で読むような、言葉で表せられるものだろうか。

「そうだなぁ……。たぶんさ、その人が側にいてくれるだけで嬉しかったり、幸せだったりするんじゃないかな。で、あまりにも自然で当たり前と思っていると、気づいたときには失っている、とかね」

 なんだか小説に書いてあることとは少し違う意見だ。

 小説には甘く切なく、最後には夢のように幸せな言葉が綴られている。でもそれを読んだところで、私には単なる言葉の羅列にしか思えなかった。

 唯一こうだったらいいな、と思えた言葉は――「恋した瞬間、自分を取り巻く世界がキラキラと輝き始めた」。

 それは恋をしたときの気持ちではなく、自分の変化のようにも思う。

「ドキドキする」とか「胸が高鳴る」とか、そういうのはたくさん種類があるような気がする。

 だって先日の球技大会でも、私はすごくドキドキしていた。心臓がフル稼働しているんじゃないか、と思うくらい、ドキドキしていた。

 あんなことは初めて。

 でも、スポーツ観戦のドキドキと恋のドキドキはきっと違う。

「蒼兄の言うそれは、家族に似ているね。いつも側にいてくれて、それが幸せで嬉しい。でも、当たり前のようでそうでもない。両親に大きな感謝をしたいときにはもう他界している、とか……」

「……そういう本でも読んだ?」

 私はクスリと笑ってコクリと頷いた。

「でもね、その本を読まなくてもわかってたよ? 家族がいなかったら、私の人生は真っ白なままだった。それに――家族といつも一緒に過ごせることは、絶対に当たり前じゃない……」

 死んだら一緒にはいられない。病気で入院しても、離ればなれだ。

「翠葉は色んな意味で、人より多くの人生経験を積んでるな。俺よりもずっと達観してる気がする」

「そんなことないよ。私、蒼兄より七つも年下だもの」

「俺だってまだ二十三だっ!」

 言われて、入学式の日の仕返しであることに気づく。

「ところで……その試合、ひとりで行くのか?」

「ううん、桃華さんが一緒。あと、試合が終われば海斗くんも合流できるって言ってた」

「そっか……二十九日ね。その日なら都合つくな。俺も一緒に行っていい? 彼の走り、見たいんだ」

 あ、佐野くんの……。

「佐野くん、喜ぶね。大丈夫だよ。明日、桃華さんから連絡あるからそのときに話しておくね」

 そんな話をしていると、家の前に着いていた。

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