Side View Story 01

05~07 Side 秋斗 01話

 今朝、高校からの付き合いになる蒼樹に頼まれごとをされた。

 会って直接話したいと言うからどんな用件かと思ってみれば、妹との待ち合わせに図書室を使わせてほしいというものだった。

 通常、図書室は生徒会メンバーが生徒会室として使っている。その奥に自分の仕事場があるわけだが、要は俺の仕事場で待ち合わせたい、ということなのだろう。

「妹さんって、翠葉ちゃん?」

「はい。今年藤宮に入学しました」

 翠葉ちゃんと司は同い年のはず――つまり、一年遅れで高校一年生になったということ。

 翳りある表情なのはそのせいか……?

 去年の三月末、蒼樹の妹はかなり重篤な状態で、同族が経営する病院へ運び込まれた。

 そのあと、長期にわたって入院していたのは蒼樹の行動パターンが変わったことで察してはいたが、蒼樹はその話を一切しようとはしなかった。

「それはさ、一年前の出来事やそのあとのことを話してくれるってことかな?」

 蒼樹は少し考えてから、「翠葉に任せます」と答えた。

 つまり、自分は言うつもりがないってことか……。

「わかった。で、これは?」

 差し出された手提げ袋には缶が三つと四角い箱が入っていた。

「あ、お茶とティーポットです」

「は?」

「ハーブティーの茶葉とティーポットです」

「……なんでまた?」

「翠葉、自販機に入ってるもので飲めるものがミネラルウォーターしかないんで……」

「どうして?」

「カフェインが摂れない体質なのと、味の濃いものが苦手で、スポーツ飲料や一〇〇パーセント果汁ジュースも水で割らないと飲めないんです」

「それはまた難儀な……。わかった、預かっておく」

 相変わらずの溺愛ぶりだ、と思いながら交換条件を持ち出した。

「これ、必要な資料のリスト」

 にこっり笑ってメモを渡すと蒼樹は苦笑を浮かべ、「集めてきます」とメモを引き取った。


 十時半ごろ、事務室へ郵便物を取りに行って戻ってくると、図書室の前に女の子がいた。

 自動ドアの、ガラス扉の前を行ったり来たり。

「図書室に何か用? それとも生徒会に、かな?」

 声をかけると、彼女はゆっくりと振り返る。

 色素の薄い子。一言で言うなら将来有望な美少女。

 その子は俺を観察するようにじっと見ていた。

 大丈夫だよ。俺、そんなに怪しい人じゃないから……と言いたくなるほどにじっと見られている。

 怪しい人とは判断されなかったのか、ようやく口を開いた。

「あの、兄にここで待っているようにと言われたのですが、中に入れなくて……」

 もしかして、

「……御園生翠葉ちゃん?」

「え?」

「あれ? 違った?」

「い、いえ、あっています。御園生翠葉です」

「よかった」

 蒼樹の妹無事確保。

「今朝、蒼樹から妹を図書室で待たせてほしいって頼まれたんだ」

「兄をご存知なんですか?」

 まるで小動物を彷彿とさせる彼女。

 ……白ウサギ、かな? うちの海斗が大型犬なら彼女はウサギだ。

 その彼女の腕が、小刻みに震えていた。

 その手には、今日配られたであろう教科書とテキストが入った紙袋。

 指が真っ赤で、今にも千切れそうな感じ。

 あぁ……これは庇護欲をそそるかもしれない。

「うん、まぁ、話は中に入ってからにしようか。それ、重そうだしね」

 言って彼女の荷物を取り上げる。

「自分で持てますっ」

「いいから」

 基本、自分はフェミニスト。女の子には優しくね。

 首にぶら下げているパスケースから、カードキーを取り出しチェッカーに通す。

「ここはカードを通さないと入れないんだ」

 開錠し、先に彼女を入れると、

「窓とカーテン開けちゃうからちょっと待っててね」

「あ、はい」

 カウンター内にあるモニターを起動させ、いくつかのキーを入力する。と、カーテンと窓が徐々に開きだす。

 空調管理は行き届いているけれど、自然の風が好きな俺は、図書室に入ると必ず窓を少し開けるようにしていた。

 彼女は図書室の天井を見たり、棚を見たりと観察に忙しそうだ。

 ご両親が建築家とインテリアコーディネーターだからかな。照明の配置にえらく感動しているよう。

 カーテンが開くと、窓から注がれる光をとても嬉しそうに眺めた。

 その瞳がひどく純粋で、きれいなものしか映さないビー玉のようで、うっかり見惚れていた自分に驚く。

 ……蒼樹、少し納得した。君の妹君は確かにかわいいかもしれない。それは認めることにする。

 そこへピッ、と電子音が鳴りドアが開く。

 入ってきたのは九歳年の離れた従弟の司。

 今日、生徒会の集まりがあるとは聞いていないから、俺が頼んでいた集計作業をしに来たのだろう。

 司は数歩歩いて足を止める。彼女を視界に認めると、眉間にしわを寄せ、

「……生徒会に用?」

 優しさの欠片もない声と目。

 こいつのコレは一生直らないんだろうか。

 司は女の子に騒がれるような容姿をしている。

 整いすぎた顔立ちに、今時珍しくカラーリングも何もしていないサラサラの黒髪。その顔をより繊細に見せる、ノーフレームのメガネ。

 そこらのアイドルよりも格好いいんじゃないかな。

 その外見に加え頭脳明晰とくれば、女の子たちが騒がないはずもなく……。

 そういったものにうんざりしている司は、女の子たちに素っ気無い態度しかとらない。弟の海斗とはえらい違いだ。

 ……司、この子だよ。俺たちが蒼樹からずっと聞かされてきた女の子は。

 彼女は少し戸惑いつつ、自分に話したことと同じ理由を口にした。

「待ち合わせにここ……?」

 司は眉間のしわをさらに深める。

 司、そのうち顔に痕がつくんじゃないか?

 まあ、ここで待ち合わせなんてまずあり得ないことだから、そんな反応を見せるのもわからなくはないけれど……。

 でも、そんな対応をしたらウサギさんは怯えるんじゃないかな。

「その子、蒼樹の妹さんなんだ。僕もまだ自己紹介すらしてないから。とりあえず、奥行かない?」

 俺はカウンター先のドアを指し示した。


 カウンター奥にある俺の仕事部屋の鍵を開錠する。

 アナログの鍵に数字を入力するタイプのオートロック。そして最後にカードキー。

 時代の流れが目に見えてわかるセキュリティの数々。

 どうせなら、部屋の改装時にドアも見直すべきだったな。

「さあ、どうぞ」

 彼女を部屋へ促すと、どうしたことか入り口で固まってしまった。

 部屋に入ることなく、部屋のつくりに視線を巡らす。四方の壁と窓、そしてインテリアのひとつひとつに。

「翠葉ちゃん、どうかした?」

「あ、いえ――なんだか見たことがある気がして……」

「デジャヴ?」

「そういうわけでは……」

「ま、入って入って」

 この部屋は蒼樹がデザインした部屋だ。

 インテリアひとつとっても、すべて蒼樹が手配してきたもの。

 どこかでそのデザイン画か家具のパンフレットを目にしているのかもしれない。

 彼女をダイニングテーブルのスツールに座らせると、俺はお茶を用意することにした。

 蒼樹に渡された紙袋から三つの缶を取り出し、そのうちのひとつを手に取る。

 缶の蓋を開けると、優しいハーブの香りがした。

 それにしても、カフェインが摂れない体質とは……。

 俺なんて、カフェインなしでは生きていけない人間だというのに。

 お茶を淹れてテーブルに戻ると、彼女はまだ不思議そうに部屋の中を見回していた。

「じゃあ、まずは自己紹介。僕は藤宮秋斗。この図書室の司書と、この棟全体の管理をしています。蒼樹は二個下の後輩なんだ」

 彼女は慌てて立ち上がり、

「あ、一年B組の御園生翠葉です。兄がいつもお世話になっています」

 一瞬よろけた気がするけれど、少しバランスを崩しただけだろう。

 彼女がペコリとお辞儀をすると、司も自己紹介を始めた。なんとも簡素な自己紹介を。

「二年A組、藤宮司――御園生さんはよくここに来るから知ってるだけ」

 蒼樹のことを知ってるだけ、とは……。もう一年の付き合いになる人間のことを、一言で済ませるのはどうかと思う。

 呆れた顔で司を見ていると、ドアの方から新たな声が発せられた。

「ずいぶん素っ気無いな。一緒に徹夜で仕事片付けた仲だろ?」

 蒼樹はドアに寄りかかっていた。

 この男はそんな立ち姿ですら様になる。

 今日は図書室の利用者がいないことを見越して、司がドアを開けたままにしていたのだろう。そのほうが風が良く通るから。

 それを俺が好むのを知っていての行動。

「蒼兄っ!」

 大好きな人を見つけたかのような喜びを見せたのは彼女。

「いつからそこに……」

 若干いやそうな顔をしたのは司。

「蒼樹、もう終わったの?」

 これは膨大な資料集めを指示した自分の言葉。

 蒼樹はいくつかのファイルを脇に抱えていた。

 要領を得ない人間なら、カートに積んでくるであろう分量の資料を、この男は数冊のファイルに変えて持ってくる。

「翠葉、今日はどうだった?」

 今にも蕩けそうな優しい顔で妹に歩み寄る。

 今までだってそんな顔は散々見てきたつもりだけど、対象物が目の前にいると拍車がかかるようだ。

 それはとても微笑ましい光景で、ふたりの周りだけ、とても柔らかな空気に変わった気がした。

 彼女の周りに張られていた、警戒の壁が緩んだからだろうか。

 蒼樹が現れて、明らかに彼女の表情が変わった。今はとても穏やかで柔らかな表情。

「どうもこうも、今日は入学式だけだよ?」

「そっか、そうだった。ところで翠葉、座ったらどうだろう?」

「あ、はい」

 そんなふたりの空気を邪魔したくなって、蒼樹にお茶を差し出す。

「今淹れたばかりだから、蒼樹も飲んでいきなよ」

「ありがとうございます」

「お茶の一杯二杯で蒼樹って優秀な手足が手に入るなら、いくらでも?」

「はは……要領の良さは相変わらずですね。今朝頼まれた資料、カウンターに置いておきました。全部持ってきたつもりですけど、足りないものがあれば言ってください」

「悪いね」

 カウンターに置かれた資料に視線をやりながら、思う。

 きっと、何ひとつ欠けているものなどないだろう、と。

 それに加え、使う順番や見やすいように整理されているのはいつものこと。

 こんな手足が手に入るのなら、妹の託児所でもなんでも引き受けようと思う。

「これ……」

 彼女がお茶を口にして目を丸くする。

「ん? あぁ、このお茶ね。今朝、蒼樹に渡されたんだ」

「学校の自販機に入ってるもので、翠葉が飲めるの水しかないからな」

 蒼樹が苦笑いを浮かべた。

 それらを知ったうえで、妹が飲めるお茶を用意してくるところが、この男のシスコン度合いを表していると思う。

「カフェインが入ってるものや味の濃いものが飲めないんだってね? そこの棚に並んでる缶は全部翠葉ちゃんのお茶だから、いつでも飲みにおいで」

 簡易キッチン脇にあるカップボードを指して言うと、

「……秋兄、何か忘れてない?」

 パソコンカウンターを陣取った司から鋭い突っ込み。

「何が?」

「ここ、関係者以外立ち入り禁止」

「つまり、関係者なら問題ないわけでしょ?」

「あぁ、そういうこと……。基準値に問題は?」

「司、彼女は外部生だよ? 素材はいいはず。それを使いこなせないのなら、お前の力不足だな」

「ふーん……」

 司が何事に対しても突っかかってくるのはいつものことだけど、今日はいつも以上な気がしなくもない。

 ま、一年前の出来事の発端が目の前にいるのだから、それも仕方ないか……。

 だけどさ、きっとこの子はそんなことは知らないよ。

「翠葉のセールスポイントは計算力かな? 正確だし速いよ? それは俺が保証する。物事は系統だてて教えればそのまま覚えられる。苦手なのは暗記」

 蒼樹は自慢げに妹のセールスポイントを話し始めた。

 彼女はなんの話なのかまったくわからないといった顔で、目をパチクリさせている。

「ほかは……そうだな、パソコンの入力もミスタッチなしでいける。書式や文例があれば応用させるのは得意」

「……なるほど、ならすぐにでも使えそうだ」

 司は司でこの子の使い道を考えているよう。

 なんだかんだ言いつつも、彼女が生徒会に入ることには反対ではないらしい。

「これ……なんの話?」

 恐る恐る、といった感じで自分の隣に座る兄に質問をする彼女。

 その引きつり笑いのかわいいことったらない。これはいじめ甲斐もありそうだ。

「それはね、翠葉ちゃんを生徒会役員に引きずり込もうって話だよ」

 言うと、彼女は文字どおりにフリーズした。

 面白い……これはしばらく楽しい思いができそうだ。


 このとき俺は、暇つぶしのひとつになるとしか思っていなかったよね。

 まさか、この子に自分を変えられるとは思いもしなかった――

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