ぽっちゃり王子と婚約破棄

「えっ、嘘だよね? 婚約破棄なんてしないよね?」


 婚約者が血色のよい頬を揺らして、わたしに問いかけます。


 もう成人しているというのに、赤子のように愛らしい、すこし太った男性。

 わたしは彼に冷酷に告げました。


「いいえ、王子。本当に婚約破棄します。嘘ではありませんよ」


 わたしの婚約者は、この国の第一王子です。

 その見た目から、国民のあいだでは『ぽっちゃり王子』なんて呼ばれていました。


 醜く肥えるのではなく、とても愛嬌のある太り方。

 すこし馬鹿にされてはいたけど、嫌われるようなことはけっしてありませんでした。


 国王様も、王妃様も、彼を大事に大事に育ててこられました。

 甘やかしすぎたとも言えるでしょう。


 だから彼は、自分に起こっていることが信じられません。


「嘘だよ。きみと結婚していいってママも言ってたし、こないだだって、ぼくのこといっぱい愛してくれた。ぼくもっと、あれしたい」


 あどけない表情でそう訴える彼に、わたしは、


「あれはもうできません。わたしではなく、ご自分で見つけた、本当の運命の相手となさってください」

「なんで⁉︎ きみが運命の相手だよ!」

「違います」


 ゆっくり首を振って、拒絶の意を示しました。

 わたしが冗談ではなく本気で婚約破棄することを悟った彼は、


「ぼく……どうしたらよかった? 何がいけなかった?」


 大粒の涙を流しながらわたしに質問しました。


 わたしは、ぐっと我慢しました。


 抱きしめたいけど。


 その涙を拭って差しあげたいけど。


「王子様。いっぱい考えてください。ずっとずっと、一生考えつづけてください」

「……どういうこと?」

「あなたはこれから、王となる存在です。ご自身の行動はすべて、考えて考え抜いた末の結果でなくてはなりません。今のような思いをもう二度としないで済むように、もっと強く、自分に厳しくなってください」


 わたしはそう告げて、彼の目をじっと見ました。


 丸くて澄んだ瞳。


 生まれてきたあのときから、まるで変わりません。


 でも――

 こんな目をしていては、王になったときに国が終わってしまう。


「待ってよ! 行かないで!」

「王子……。この国のことを、よろしくお願いします」


 そう言い残して、部屋を出ました。


 わたしはこのまま、城を去ることになっています。

 国民にも公表しない、ごっこ遊びのような『婚約』でしたが――


「坊っちゃま。本当に愛しております」


 彼の最初の失敗が国を失うことになるくらいなら、これでいい。


 彼を男にすることと、初めての挫折を味わわせること。

 わたしの、20年以上も務めた筆頭乳母としての最後の役目が終わりました。

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