カレの夢のために婚約破棄

「いいよ、婚約破棄しましょ?」


 わたしは精いっぱい明るく言いました。

 悩んで涙を流すのは、昨日でおしまい。


 今日からは彼の夢を後押しする、本当の意味での理解者となります。


「そんな……本当にいいのか? きみに借りたお金だってまだ返せていないのに……」

「ふふ、あなたってほんとにまじめなんだから。そんなの気にしなくていいに決まってるじゃない」

「え?」


 彼はびっくりした顔。

 それはそうでしょう。

 結婚に向けた貯金をいつのまにか使っていたり、そういったこれまでのいろいろなことを含めると、新しい車が2台は買えるくらいの金額になっています。


 でも、わたしは中途半端が嫌い。


 夢を後押しするために婚約破棄するのに、借金で足を引っ張るのでは意味がありません。


「あなたに借金なんてないよ。わたしは全部、あなたの夢に投資したの。……わたしにここまでさせるんだから、絶対に夢を叶えてよね?」

「……うん、わかった」


 彼の決心したような硬い表情に、わたしは「必ずやりとげる男」の姿を見たように思いました。


 彼の夢――


 それは、靴職人です。

 長い修行に専念するために、今は婚約や結婚にわずらわせるわけにはいきません。


「イタリアにはいつ留学するの?」

「できればすぐにでも行きたい。でも、まずはバイトをしてこつこつ――」

「そんなことでどうするのよ!」


 わたしはあえてキツく言い放ちました。

 本当はつらいけど、これも彼の夢の後押し。


「あなたには覚悟があるの? 夢のためにすべてを踏み台にする、その覚悟が」

「でも――」


 わたしはそこで、彼のまえに封筒を出しました。

 厚みのある封筒です。


「これが、わたしの本気の応援。だから、あなたも本気を見せてください」

「はい」


 彼は神妙な面持ちで封筒をバッグに入れます。

 わたしは満足して彼を抱きしめました。


「これで最後。ごめんね、もうこれで……本当に最後だから……」


 涙は見せないつもりでした。

 でも、これは彼の夢を応援できる喜びの涙。


 悲しい気持ちは昨日に置いてきました。


「連絡は気にしないで。イタリアと日本でも、空は繋がってるの。だから寂しくなったら空を見るから」

「おれも、必ず」


 別れのキスをしようとする彼の唇を、わたしは人差し指で止めました。

 あなたの愛は、もう充分にもらいました。

 あとのすべては、靴作りのために……ね?


 人は夢を見るために生きているのかもしれません。


 彼は自分の夢のため。

 わたしは、彼の夢を応援するため。


 婚約破棄なんて、夢のまえには些細なことです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る