第19話:四女の故郷

 翌週、俺たちはロゼに報告した通りにフィーアの故郷を訪れていた。


 魔族界では二番目に大きな都市で、先日訪れたアンナの故郷とは違いここでは吸血種だけでなく多種の魔族が共同で生活している。


 すなわち彼らのことを知るには絶好の場所というわけだ


 しかし今回、訪れるに当たってフィーアの母親であるノインさんからいくつかの条件を課された。


 その一つが住人に人間であるとバレないように行動すること。


 と言うのも、この街には人間との戦争で心身に大きな怪我を負った者たちが戦いから離れて療養する場所としての側面を持っているらしい。


 故に人間への憎悪は他の地域の比ではなく、街の性質上から治安も良いとは言えない。


 魔族界では魔王に次ぐ実力と人望を有しているノインさんが治めているのもそれが理由だ。


「ふぅ……これは思ったよりも暑いな……。」


 宿泊先であるフィーアの実家、用意された自室に入ると同時に被っていたフードを脱ぐ。


 汗で濡れた肌が外気に触れてようやく人心地がつく。


 約束を守るためとはいえ、外にいる間はずっとこの格好だと熱中症になってしまいそうだ。


 フェムは最近まで一日中あんな格好をしていてよく平気だったな、と考えながら椅子に腰を落とす。


 高台に建つ屋敷、向かって正面にある窓からは街が一望出来る。


 様々な種族が暮らしているからか、景観に一貫性はなく雑多としている。


 本当ならすぐにこの街を回りたかったが、案内役を頼もうとしている人物が多忙故に今日は我慢してくれと言われた。


 おかげで昼からの予定が空白になってしまった。


「……今日は来るのが遅いな」


 椅子にもたれ掛かりながら入り口の方を一瞥する。


 いつもならイスナが勢い良く扉を開いて飛び込んでくる頃合いだが、今はその気配が全く無い。


 疲れて休んでいるのか、それとも少しは慎みを覚えたのか、何にせよ珍しい。


 ……いや、別に暇を持て余してるから来て欲しいと思っているわけではない。


 内心で自分の寂しさに対してそんな言い訳をしていると扉がコンコンと叩かれた。


 この丁寧なノックは……。


「……フィーアか?」

「はい、入っても大丈夫ですか?」

「ああ、構わないぞ」


 正解だったと心の中で微かに喜びながら招き入れる。


 半年も同じ場所で過ごせばノックの音一つで扉の向こうにいるのが誰なのか分かるようにもなる。


「失礼します……。イスナ姉さんじゃなくて申し訳ないです……」


 許可を出すと、扉がゆっくりと開かれてフィーアが申し訳そうにしながら顔を覗かせた。


「なんだそりゃ……なんでイスナの名前が出てくるんだ」

「その、最近イスナ姉さんと先生がよく一緒にいるので……来たのが私だと先生的には残念なのかと思いまして……」

「残念って……そんなことないから安心しろ。最近は少し仕事を手伝ってもらってるだけで他意はない。でも、あいつより先に誰かが来るのは確かに珍しいな」

「姉さんはここに来る途中でお母さんに捕まってました。多分、服装のことで注意されてるんだと思います」


 苦笑しながらフィーアが机を挟んで対面の椅子へと座る。


「一体、今日はどんな格好で来ようとしてたんだ……」

「そ、それは私の口からはとても……」


 その格好を見たらしいフィーアが顔をほのかに赤らめる。


 本当に一体どんな格好で来ようとしてたんだ……。


「それで俺に何か用か?」


 イスナやサンは用がなくても遊びに来るが、フィーアが来るのは大抵何が用事がある時だ。


 それもどちらかと言えばネガティブな要素を含んでいる場合が多い。


 はじめて部屋を訪れた時、この実家に帰ると言い出したのが今も強く印象に残っている。


「実はその……先生に見てもらいたい物がありまして……。これなんですけど……」


 そう言ってフィーアが衣嚢からおずおずと何かを取り出して机の上へと置いた。


「これは魔道具か。それもかなり新しい物だ。魔族界でもこれだけの品が作られてるんだな……」


 どこかに引っ掛けるような弧を描いた形のそれは、パッと見ただけで高い加工技術が用いられているのが分かる。


 魔道具の製作技術においては人間界が数歩先を行っていると思っていたので意外だ。


「あっ、いえ……それは元々人間さんが持っていた物なんです。お母さんがその……戦利品として持ち帰ってきた物で……」

「なるほど、そういうことか。それで、これは何の魔道具なんだ? いや、待て……やっぱり自分で考えてみる。この形は耳に付けるものだよな……大きさからすると必要な魔力量も少ない魔法……だとしたら……交信魔法用と見た。どうだ?」

「せ、正解です……流石は先生です……」


 正解して少しほっとする。


 それからフィーアがどうして俺のところにこれを持ってきたのかも大体見当がついた。


「お前の役割にはピッタリの魔道具だな。それに道具を使うなら魔法が苦手でも関係ない」


 魔道具は魔法を発現させる一連の行程を術式として魔力触媒に封じ込めたものだ。


 火を起こすものや光を放つものなど。


 どれも簡易な魔法ではあるが使用には特別な能力を必要とせず、あまねく者に魔法の恩恵を授ける。


 その根幹を成す学問を魔工学と呼び、昨今の人類の進歩を支えている。


「はい、それで実は最近フェムちゃんに手伝ってもらってこの魔道具さんを使う練習をしてたんです」

「なんだ、それなら俺にも言ってくれれば良かったのに。水臭いな」

「それは、その……先生、このところお忙しそうだったので……ご迷惑かなと……」

「……そんなに近寄りがたいくらい忙しそうにしてたか?」


 無言でコクリと首肯される。


「だったら申し訳ないことをしたな。俺としてはそういうつもりはなかったんだが……」


 思い返してみれば、確かにここしばらく他のことにかかりきりで下の三人のことを全く見てやれていなかった。


 放っておいても伸び伸びしているサンとフェムはともかく、フィーアを放置していたのが今になって心苦しくなってくる。


「い、いえ謝られるほどのことじゃ……先生がお忙しいのは当然のことですし……」

「それで、こいつの使い方が知りたくて俺のところに来たのか?」


 このままだと謝罪合戦になりそうだったので話題を元に戻す。


「えっと、使い方はもう分かっています。フェムちゃんと二人で近い距離ならお話も出来ました」

「へぇ、それは大したもんだ。道具を使っても交信の魔法はなかなか難しいんだけどな。流石は姉妹、離れてても通じ合ってるってわけか」


 交信魔法はその名の通り、魔素に思念を乗せて遠隔地にいる者同士が会話するための魔法だ。


 仕組み自体は単純で必要な魔力量こそ多くないが、上手く思念を伝達させるためには相手の位置情報に加えて、互いの相性なども重要になってくる難度の高い魔法とされている。


 近年は魔道具の進歩によって使い手も多くなってきたが、今度はその高すぎる製造コストが問題になっているらしい。


 この小さな物を一つ作るだけで目玉が飛び出るような金と時間が必要になるらしい。


 俺の愛読書『アーステラ物語』は、それを更に発展させたような道具を誰もが持っているような世界が舞台だが、この世界がそこに到達するにはまだまだかかりそうだ。


「でも、使い方が分かっているなら何を聞きに来たんだ?」

「実は近くでは大丈夫なんですけど、少し遠い距離になると何回やっても声がとぎれとぎれになっちゃうんです……」

「途切れる……なるほど……。もう片方は今もフェムが持ってるのか?」

「はい、そうです。今は少し遠くに行ってもらってます」

「ふむ……。おーい、フェム。聞こえるかー?」

『……ん、せ……ゃん……は……』


 装置へと向かって声をかけてみると、辛うじて声だと認識できるレベルの雑音が返ってくる。


「確かに、一応動いてはいるけど良好とは言い難いな。ノインさんが接収した時にどこか壊れたのか……?」

「それが私にはさっぱりなので、先生なら何か分かるのではないかと思ったのですが……どうでしょうか……?」


 じっと純朴な眼差しで見つめられる。


 フェムの杖を作ったことからこの方面にも詳しいと思われているようだが、昔ながらの大工仕事の杖製作と最新鋭の精密機器の検査とでは話が全く違う。


 正直言って専門家でもない一介の教師には少々無茶な要望だが、その役割を期待されるなら全力で応えるしかない。


「とりあえず見てみないことには分からないな……ちょっと借りるぞ」


 今度は手に持って見てみるが、外から見ただけではどこが不調なのか分からない。


「やっぱり中身も見ないとダメだな……道具はあるから開いてみてもいいか?」

「は、はい……どうぞ」


 不安げながらも許可を得たので、荷物の中から自前の工具を取り出して机の上に並べていく。


 こうして工具を持つのはフェムの杖を作った時以来だ。


 久しぶりの製作に自分の体内を流れる魔工学技師の血が喜んでいるのが分かる。


 その高揚のままに、手のひらサイズの魔道具の留め具を外して慎重に開いていく。


 長年使い慣れた道具はやはり手に馴染む。


 大人しく見守るフィーアを前に作業は順調に進んでいく。


「これは……」


 そうして外装を取り除き、大元の魔力触媒を見つけたところで手が止まる。

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