第13話:散歩

「アンナ、少し休憩するか」


 修練所の中央で疲弊し、膝に手をついているアンナへ提案する。


 アンナの故郷へと来てから今日で三日目。


 今日も朝からほとんど休憩もせず、立て続けに訓練を行ってきた。


 だが、成果らしい成果は今だ見えない。


 異なる二つの方向から秘儀への理解を深める方針は今のところ完全に停滞してしまっている。


「そうさせてもらうとするか……すまないな……」


 額に大粒の汗を浮かべているアンナに手ぬぐいを渡す。


 室内ですら肌寒い気温の場所にも拘らず、全身が汗に塗れているのも分かる。


 魔法の行使は見た目以上に体力を使う。


 人一倍体力のあるアンナであっても、あの規模の魔法を何度も使うのは流石に堪えるはずだ。


「汗を拭き終わったら、少し散歩にでもいかないか?」


 俺がいるのも気にせず、上着を脱いで汗を拭き始めたアンナに背を向けて尋ねる。


「……散歩?」

「ああ、気晴らしにお前の生まれ育った場所を少し見て回りたいと思ってな。俺一人で里を歩くと里の人らに色々と気苦労をかけそうだから付き添ってくれ」


 人間である俺が一人で里を彷徨いているといくら事情は知られていても警戒するだろう。


 巫女であるアンナが一緒に居てくれれば、その心配は緩和される。


「まあ、構わないが……見て面白いものはないぞ?」

「それは見てから判断するさ」



*****



「あそこでは食料調達班が狩ってきた肉の加工を行っている」

「へぇ……なかなか大きな建物だな」


 アンナが指差すのは少し遠くに見える石造りの大きな建物。


 天辺についた煙突からは煙がモクモクと立ち上っている。


 その様子を見るに、保存用の燻製肉に加工しているのだろうか。


「我々は食料の大半を狩猟によって賄っている。だが狩猟は成果が一定でない故、食料の長期保存は重要だ。今でこそこうして安定した生活基盤が出来ているが、祖母の代は大変だったらしい」


 立場が入れ替わったかのように、巫女として学んだ知識を披露してくれるアンナ。


 先の時代の竜人族は竜族との完全な上下関係にあったのは、種々の資料を読んで知っている。


 漁場も竜族たちが優先で竜人族は里全体の食料を賄うのも一苦労だったらしい。


 そんな暗黒時代から彼らを解放した魔王はまさに彼らにとっての救世主。


 その娘であるアンナも道を歩いているだけで、まるで現人神のように住人たちから崇められているのも分かる。


「この里に店のようなものはないのか?」

「ああ、ここには基本的に経済の概念がない。誰かの取ってきた食料や資材は皆の物として老若男女に分け隔てなく与えられる」

「なるほど……」


 歓心しながら改めて通りを眺めてみる。


 皆がそれぞれ自分の役割を熟して生活している光景がそこにはある。


 原始的な狩猟生活に近い形態といえば聞こえは悪いが、良く言えば里全体がまるで家族のような絆で結びついている。


 数千人の民で破綻なくそんな生活を続けられているのは、同じ神に対する信仰心の強さが為せる業なんだろう。


 これはこれで、共同体の理想形の一つと言えるのかもしれない。


 そんなことを考えながら歩いていると、不意にアンナが尋ねてきた。


「フレイ……君の目から、この里はどう見える?」

「どう……? そうだな、良いところだと思うぞ。住民がまるで家族のように一丸となって暮らしてて、文明的な暮らしにはない温かさがある。こうして実際に生活している姿を見ると、人間も魔族も大した違いなんてないんだな……ってな」

「実を言うと、私も同じことを思った」

「同じこと?」

「以前、君に人間の街へと連れて行かれた時のことだ」

「ああ……あの時の……」


 それはまだ一月も経っていない出来事だ。


 アンナに遠い目標だけに限らない広い視点を持ってもらうために連れて行った人間界。


 父から受けた言葉で意気消沈しながらも、その目では人間の世界をしっかりと見ていたらしい。


 敵対する種族の世界にも当たり前の日常が存在する。


 考えてみれば当たり前の事実だが、大半の者はそれを知らない。知る機会がない。


「もちろん文明や文化という意味では全く違う。それでも俗世という泥の中で自分のため、あるいは誰かのために懸命に生きる人の姿というのはどこも変わらなかった」


 どこか、果てしなく遠い場所を見つめるような目をするアンナ。


 もしかしたら今の俺と全く同じ所感を抱いているのかもしれない。


 人間も魔族も、本当は誰も争いなんて望んでないんじゃないのかと。


 無論、ただ二人がそう思っただけで解決する話ではない。


 両者の間にある憎しみの炎は、今やどちらかが根絶やしになるまで消えない大火だ。


 アンナの胸中にだって今尚、父親を騙し討ちされた怒りは燻っているのかもしれない。


 けれど、怒りや憎しみだけが人の全てではない。


 人間の俺と魔族のアンナが今こうして並んで歩いているのもまた事実だ。


 決して分かり合えない関係でないはず。


 その時、ふと思った。


 俺がそう感じたのであれば、手記の人物もここで同じ所感を抱いたんじゃないかと。


 あるいは元々持っていたそれを確信へと変えるために、彼は人間の身でありながら魔族界を見て回ったのではないか。


 もし、そうだとしたら彼が……父さんが成そうとしていたのは……。


 頭の中で真実の欠片が少しずつ揃っていく感覚。


 これは自分に都合の良い願望を象ろうとしているのか、それとも……。


 ……いや、想像だけで答えを導くのは止めよう。


 彼の足跡に関する情報は手に入れた。


 なら後は眼前に開かれた道筋を辿ればいい。


 真実はその先にあるはずだ。


 それからは大した会話もせずに、当初の目的通りに心身の休憩として里を歩いた。


 アンナには面白いものがないと言われたが、未知の文化に接する俺にとっては十分に見どころのある場所だった。


 そうして時間が瞬く間に経過し、そろそろ修練所に戻ろうかと考えた時だった。


「おお! あんた! 戻ってきたんかい!」


 突然、近くにいた住人の一人が大きな声を上げた。


 少し遅れて、自分が声をかけられたのだと気づく。


 振り向いた先にいたのは竜人族の老婆。


 アンナの祖母よりも更に年上だと一目で分かるシワだらけの顔。


 腰は曲がっているが、まだまだ健勝そうに俺の方へと歩いてくる。


「え? お、俺ですか……?」

「よぉ、戻ってきたねぇ……」


 困惑する俺に対して、また顔見知りのように話しかけてくる。


 当然だが俺は竜人族に知り合いはいない。


「フレイ、知り合いか?」

「いや、そんなわけないだろ……おばあさん、人違いじゃないですか?」

「あんたに助けてもらったおかげで、まだこうして歩けとります」


 間違いなく人違いなので優しく諭すが、おかまいなしに喋り続ける老婆。


 信心深い種族特有の行動なのか、まるで神へ祈りを捧げるように手を合わせられている。


 どうやら過去に助けてもらった誰かと俺を勘違いしているようだ。


「お、おばあちゃん! 何してるのよ! その人のはずないでしょ! もう!」


 竜人族の女性が大慌てで駆け寄ってくる。


 俺と同じ年頃、口ぶりからするとこの老婆の孫のようだ。


「す、すいませんアンナ様……うちの祖母、少しボケてしまってて……」


 人間である俺にはまだ警戒心があるのか、女性はアンナへと向かって平謝りする。


「いや、私に謝られてもな……。しかし、一体誰と間違えているんだ?」

「昔、魔物に襲われてるところを助けてくれた方が真っ黒な髪の人だったみたいで……黒髪の人を見ると誰にでもこうやって話かけてしまうんです……」

「なるほどな……誰にでもというのは困りものだが、受けた恩をしっかりと覚えているのは良いことだ」

「と、とにかく本当にすいませんでした……」


 そうして女性はペコペコと俺たちに向かって頭を下げながら、老婆を連れて屋内へと戻っていった。


 その間も老婆は俺に向かって、何かを言いながら手を合わせて祈り続けていた。


「ふむ……黒髪か……確かに、魔族界こつちでは珍しいからな」


 改めて物珍しそうに俺の頭をジロジロと見る。


「確かにこの辺りにはいないみたいだけど、お前らの父親もそうだろ?」

「それはそうだが。そもそも父上もかなり珍しい種族だからな……しかし、あの老人があれほどの反応を見せたということは、その恩人と君は相当似ていたようだな」

「……かもな」


 十数年前に竜人族の里を訪れた人間。


 手記に記されていた奔放な人物。


 そして、先の老婆を助けた黒髪の者。


 その三者が全員同一人物で、父だとしたら流石に話が出来すぎている。


 けれど、父が課された条件を破ってでも誰かを助ける姿は容易に想像出来た。

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