第63話:本戦開幕

 予選に出てくるような選手に、アンナの相手になるような者は存在しなかった。


 次から次へと休み無く充てがわれる対戦相手に対して武器を手にすることなく勝ち進み。


 アンナはあっという間に本戦への出場権を手にした。


 しかし、手を抜けるような性格ではないと思っていたが、多少は苦戦を演出して欲しかった。


 おかげでこの有様だ。


「アンナ選手! 私、地元新聞社の者ですが! お時間よろしいでしょうか?」

「おいこら! 先に取材しようとしてたのはこっちだ! 後ろに並んでろ!」


 大柄な男たちを一撃でのしていく少女がいる。

 それも名高い学校の生徒ではない平民のようだ。


 そんな噂は瞬く間に広がり、一晩明けて本戦が始まる前にはその周囲に人の輪が出来てしまっている。


「きゃー! アンナ様ー!」

「こっち見てくださーい! レスくださーい!」


 既に熱烈な支持者団体のようなものまで出来てしまっている。

 しかも、やけに女性比率の高い。


 いや確かに同性にモテそうな雰囲気をしてはいるが……。


「ふむ……困ったな……。すまない、少し通してくれないか?」


 満更でもなさそうな様子で聞き分けの良い支持者たちの群れを一言で割って、アンナが俺の方へと戻ってくる。


「ったく……まだ本戦前だって言うのに目立ちすぎだぞ……」

「いや、すまない。まさかこんな事になるとは思いもしなかった」


 申し訳無さそうな謝罪の言葉が向けられる。


 まあアンナはこちらの世界の事をよく知らないのだから仕方ない。

 俺がもう少し具体的に言っておくべきだったと自省する。


 しかし、それにしても俺の想像以上に盛り上がりすぎだ。

 この大会の盛況さといい、一般民衆はそれほど娯楽に飢えているってわけか……。


「それで、フレ……じゃなかったフー老師。次はどこに?」


 アンナが俺の見た目に合わせた偽名を呼ぶ。


「まずは本戦の組み合わせ表を確認しにいくつもりだ」

「組み合わせ……私は誰が相手であれ負けるつもりはないが、君がそう言うのなら確認しにいこうか」


 自信に満ち溢れているアンナを連れて、本戦の組み合わせの確認へと向かう。



**********



「ふむ……私はここか。しかし、他の者は名前だけ書かれても私には誰がどういう人物なのか分からないな……」


 顎に手を当てて、本戦での組み合わせが書かれた板を眺めるアンナ。

 そんな彼女を横目に俺はあの名前を探していく。


 十分すぎる程の実力があるにも拘らず、その出自からこの大会とは縁が無かったその名前を。


 今年は十回目となる記念大会で出場枠が増えるという話は数ヶ月前に聞いていた。


 そして、その枠に入れられる候補として彼女の名前が挙がっていたのも覚えている。


「どうだ? 手強そうな者はいるのか?」

「……ああ、いたぞ」


 見つけた。


 アンナの名前が書かれている山とは反対側に燦然と輝く名前。


 かつての教え子で、学院の歴史においても最高峰の才能を持つ生徒――リリィ・ハーシェルの名前がそこには書かれていた。


 担当教員だった俺の件で候補から外されている可能性も考えたが杞憂だったようだ。


「それで、その者とはいつ戦えるんだ?」


 アンナは俺が認める強敵と戦えるかもしれない事が嬉しいのか、少し興奮気味に尋ねてくる。


 その声色からは多少ではあるが、今は父親との試験の事を忘れられている様子が感じられる。


「いや、まだ気にするな。今はとりあえず目の前の相手に集中しろ」

「……確かに、その通りだな」


 俺の言葉に対して、アンナも納得する。


 今の時点であまり気負わせる必要はない。


 負ける事はないと思うが、リリィと当たる前に怪我をして全力で戦う事が出来なくなってしまっては困るからな。


「ここから先の相手は文字通り、予選の相手とは住んでいる世界が違う相手だ。心してかかれよ」


 そう、ここからの相手はその多くが貴族の子息。

 それも名高い学院の生徒達だ。


 全員が武術はもちろん、魔法にも長けている。


「それは楽しみだ。心が躍るな」


 アンナは不安や怯えなどは一切感じさせない表情で言う。


 だが、この自信に満ちた表情が父親……。


 つまりは勝ち目のない相手には一気に反転してしまうのがこの子の抱えている問題だ。


 良く言えば自分の実力をしっかりと認識していると言えるが、実力では抗いようのない困難に対して立ち向かえる気概を持っていないとも言える。


「どうした? 妙な顔をして」

「いや、なんでもない。それよりそろそろ時間だ。行くぞ」


 アンナの問題について考えていると、既に本戦開始の時間が迫っていた。


 二人で急いで待機場所へと向かう。


「もー! 遅いですよー!」

「す、すいません」


 到着するや否や、案内係の若い女性に怒られた。


 俺たちが待機場所へと到着した頃には場内の準備は完全に整っていた。


 数千人にも及ぶ観客に見守られた円形の主会場。


 中央にある魔法障壁で囲まれた半球状の空間。


 更にその中央には一枚の石で作られた演台が敷かれている。


 その上が本戦での戦いの舞台だ。


 試合の決着がつくのは以下の3パターン。


 まずは気絶や大きな負傷などで試合の続行が不可能だと判断された場合。

 本人か引率の教師による降参。

 場外へと一歩でも外に落ちてしまった時。


 アンナが既に舞台へと上がっている対戦相手の男子生徒へと目を向ける。


 対して向こうはアンナの方を全く見ていない。


 いくら予選で話題になった選手とはいえ、所詮は平民。

 自分の相手ではないと思っているのは明らかだった。


「気をつけろよ。さっきも言ったがここからの相手は予選とは桁が違うぞ」

「ああ、分かっている。問題は無い」


 アンナが大きな歓声を受けながら戦いの舞台へと上がっていく。


 対戦相手は自分よりも無名であるはずの彼女に対する大きな歓声が気に食わないのか、露骨な嫌悪の表情を浮かべている。


 アンナが壇上へと上がりきり、同じ武器――長剣を腰に携えた二人が向かい合う。


「それでは! 第1試合! エストレア学院のダマント選手と、えーっと……ミ……ミラジュ学院のアンナ選手の試合開始です!」


 音を増幅させる魔道具によって、歓声を上回る大きなの音になった女性の声が場内に響く。


 試合が開始された。


 ダマントと呼ばれた男子生徒が、自身の腰に携えた剣に手をかけた瞬間――


「へ?」


 予備動作もなく、一歩でその目の前に移動したアンナ。


 それを見て、口から空気の抜けたような声を出したダマント。


 会場にいる大半の者からすれば、その動きはまるで瞬間移動でもしたように見えただろう。


 そんな最初の一歩に使われた魔力は今は右手を覆っている。


 惚れ惚れするくらいに滑らかな魔力の遷移だ。


 今はもう魔力の込められたその右手がダマントのみぞおちに深々と突き刺さっている。


 男子生徒は悲鳴を上げる事もなく一瞬で白目を剥き、顔面から地面に倒れ伏した。


 場内を数秒の静寂が包む。


 数秒後、ようやく判定員が試合続行が不可能を示す身振りを行う。


「や、やば! 今危ない倒れ方をしたぞ!」

「きゅ、救護班! すぐに運べ!」


 慌てふためく係員たち。


 それとは逆に場内を大半を占める一般市民の観客からは大歓声が上がる。


 その大きさは予選会場の比ではない。


 しかし、アンナは観客から向けられる歓声とは噛み合っていない怪訝な表情をその顔に浮かべている。


 そこにあるのは対戦相手が微塵もその期待に応えてくれなかった落胆の表情に相違ない。


 俺としても多少は粘ってくれると思っていたが、本戦の連中でさえこの子の相手をするには力不足が過ぎたというのは誤算だった。


 それでも問題はない。


 決勝まで進めば、間違いなくアンナの期待に応えてくれる相手が待っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る