第40話:自分だけの魔法

「んっ……」


 フェムの口から微かな声が漏れる。


 小刻みに震える小さな身体。


 その前方にある豆粒程の黒い球体も同じく不安定に震えている。


「む、むり……」


 苦しそうにそう呟いた直後――


 球体は細かい粒子となって大気中に霧散していった。


 フェムがその場にペタンと座り込む。


 全力で走った後のように、肩を大きく上下させながら呼吸をしている。


「す……」

「……す?」


 フェムが俺の方を見て、小首を傾げる。


「すごいじゃないか! 今、どうやったんだ!?」


 つい呆気に取られてしまっていたが、今フェムは完璧にではないがあの魔法を自力で制御していた。


「そ、その……右手と左手で……」

「右手と左手で!?」

「ふえっ……! 近い、先生近い……」

「え? あ……す、すまん!」


 フェムに身体ごと迫って居たのに全く気付かなかった。

 興奮しすぎてつい悪い癖が出てしまった。


「右手と左手で……別の魔素を扱うように意識したら……出来た……みたい……」


 自分でもまだ実感のない胡乱な口調ではあるが、間違いなく出来ていたのを俺がこの目で確認した。


「別の魔素……って事はつまり二種類の魔素が本当にあるって事か? 隣り合うもう一つの世界から持ってきたのか!? どんな感じなんだ!? もう一回出来るか!?」

「え、えと……先生……。ち、近いって……」

「え? わっ! す、すまん!」


 気がついたら目の前にフェムが居た。


 慌ててその場から跳ねる様に退く。


 未知との思わぬ遭遇に、自分でも訳が分からないくらいに興奮している。


「えっと……まだよく分からないんだけど……さっきのを読んで意識してみたら……」


 フェムがゆっくりと、区切るように離し始める。


「自分が何か……ぽわぽわ~ってしたものに包まれてるって感覚があって……」

「ぽわぽわ……、それで?」


 抽象的な言葉だが、本人にしか分からない感覚なので今のところ深くは踏み込まないでおこう。


「普通の魔素を右手から……そのぽわぽわを左手から出すようにって意識したら……出来ちゃった……」

「なるほど、出来ちゃったか」

「うん」


 一生分は話したんじゃないかと思うようなフェムの説明。


 それを聞く限りではあの論文に書かれていた事は概ね事実と判断してよさそうだ。


 アストラ・ハシュテット。


 どこの誰かは知らないが、胡散臭いとか思って悪かった。


 心の中で、あの論文を書いた見知らぬ研究者に謝罪する。


「じゃあ消えたって事は今のは魔素かそのぽわぽわ~って奴の供給が足りなかったって事か……? それとも両方のバランスが大事なのか……?」

「そこまではまだ……」

「まあそうだよな。こればっかりは地道に試していくしかないな」


 しかし、暗闇の中を模索しているような状況ではなく突破口らしきものが見えたのは大きい。


 フェムの口調もさっきまでと比べて心なしか明るくなっている。


「俺もその感覚が分かればよかったんだけど、こればっかりはな」

「説明下手でごめんなさい……」


 フェムがしゅんと頭を下げる。


「いや大丈夫だ。それに俺が分からないって事は逆に言えば、それはフェムだけの魔法になるって事だぞ」

「私だけの……?」

「ああ、そうだ。サンにもフィーアにも、イスナにも出来ない事が出来るようになるかもしれないって考えるとワクワクしてこないか?」


 あの論文に書いてある事が全て事実だとしたら俺やこの子の父親ですら出来ないことだ。


「お姉ちゃん達にも出来ない、私だけの……」


 自分だけのという響きが気に入ったのか、フェムは僅かではあるが恍惚に打ち震えるような声を出す。


 あの魔法はこの子の個性と密接に結びついていると言っていい。


 制御が進めば、それがそのまま劣等感の解消に繋がるかもしれない。


「でも、それもちゃんと使えるようにならないと意味はないからな」


 しかし、過信は事故の元だ。


 いい気になりすぎないように釘を差して、篭手の紐を締め直す。


「……うん!」


 これまでで一番気持ちの良いの返事が返ってくる。


 それからは暴走した魔法を抑える訓練と二種類の魔素を組み合わせて自力で魔法を構築する訓練をただひたすら交互に繰り返した。


 時に失敗しながら、時に新たなコツを掴みながら。


 地道ではあるが、着実に前進を重ねる。


 あっという間に時は流れ、フェムが俺の前で顔を露出しても全く赤面しなくなった頃――


「んっ……」


 両手を前に突き出すフェム。


 その前方で漆黒の球体が徐々に大きさを増していく。


 最初は豆粒大だった物がすぐに握りこぶし程の大きさになる。


 今の目標はこの大きさを留める事。


 俺の前で素顔を晒しても恥ずかしさで暴走させてしまう事はもう無くなった。


 しかし、これ以上大きくすると制御が間に合わずに暴走してしまうので篭手は相変わらず手放せない。


「ん……んん~……」


 フェムが唸りながら、左右の手から魔素を放出して練り上げていく。


 左手から出ている負の魔素とやらは俺には全く感知できないが、最早その存在を疑う余地はない。


 フェム自身も以前よりも遥かに、それの存在を知覚出来るようになったと言っている。


 もともと魔法の才能はあったのだろうが、この成長速度は末恐ろしい。


 練り上げられた漆黒の球体は最適な大きさになると、その脈動がピタリと止めた。


 後はこの状態を保持するだけだが、本人曰くそれが一番難しいらしい。


 魔素の供給が過剰になると暴走し、足りなかったりバランスが崩れたりすると霧散する。


 今までも何度かこの段階には来られたが、最後の最後で体力と集中力が保たなかった。


 しかし、今回のフェムは過去最高に集中出来ている。


 俺から余計な声かけはせずに、暴走した時は即座に介入出来る心構えだけをして見守る。


 暴走や霧散してしまう気配を見せずに、十秒、三十秒、そして一分が経過した。


 苦しそうな顔のフェムが俺の方を一瞥する。


 それに微笑みと頷きで返す。


 そして、山……ではなくその上方を指差す。


 俺の意図を理解してくれたのか、フェムは小さく頷いて返答してくれる。


 両手を曇天の空へと向けられると、球体もその動きに追従する。


 狙いが定められ、フェムが大きな深呼吸をする。


「えいっ!」


 掛け声と共に漆黒の球体が空へと向かって射出される。


 風切り音を伴い飛翔したそれはあっという間に雲の中に消える。


 直後――


 強い閃光。

 耳をつんざくような爆音が発生する。


 それから一瞬遅れて爆風が真上から届く。


 立っていられないという程ではないが、フェムの身体に手を添えて支えてやる。


 暴走時と比べて規模こそ少しだけ控えめだが、それこそが間違いなく魔法を完璧に制御出来ている証だった。


「え!? な、何さ!?」

「ちょっと……や、やだ! 髪が崩れ……」

「きゃっ! な、何ですか~!?」


 広場の反対側から三人分の驚く声が聞こえてくる。


 少し悪戯心が過ぎたかと思いながら空を見上げる。


 次第に弱くなる閃光と爆風。


 その向こう側にある大きな穴の開いた曇り空が徐々に姿を現す。


 綺麗な真円状の大穴から暖かい陽光が俺たちのいる場所へと向かって射し込まれる。


「ん~……いい気分だな!」


 心地の良い暖かさを全身に感じながら大きく伸びをして、隣に目を向ける。


 そこには射し込んでくる陽光にも負けない晴れ晴れとした笑顔を見せるフェムの姿があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る