第33話:戦略級魔法

 それは人間の俺にとっても非常に馴染み深い書籍だった。


「『アーステラ物語』じゃないか!」


 『アーステラ物語』、それは架空の世界アーステラを舞台にした娯楽小説。


 本当に存在するんじゃないかと思う程に作り込まれた世界観と、多数の魅力的な登場人物達が織りなされる物語によって老若男女問わず人気を博している小説だ。


「フェムも好きなのか!?」

「……も?」


 突然興奮しだした俺に少し狼狽えているようなフェムに対して、服の内側から一冊の本を取り出す。


「実は俺も好きなんだよな」


 フェムに全く同じ表紙のその本を見せる。


 その瞬間、陰になって見えはしないがフェムの表情がぱーっと明るくなったのを確かに感じる。


 読書好きという事は知っていたが、まさか人間界の娯楽小説好きだとは思わなかった。


 どうやって入手しているのかは定かでないが、意外な共通点を持てたのは喜ばしい。


「フェムはどの話が好きなんだ?」


 同士が見つかった興奮のままに尋ねる。


 フェムは少し考え込むような仕草を見せてから、ローブ越しに腕を前に突き出す。


 それは以前の食事中にエシュルさんに対して見せた動作。


 よく見ると、親指を突き立てているのか布の上部がテントのように張っているのが分かる。


「そ、それは……まさか……」


 フェムが同じ小説を愛好しているという事で全てが繋がる。


「第三巻、自動人形のアーノルドが溶岩の中に沈んで行く場面か! 確かにあれは涙無しには語れない名場面だ……」


 フェムは心なしかいつもよりも大きく何度も首を縦に振った。


「……先生は?」

「俺? 俺はそうだな。甲乙つけがたいが――」


 まさかの場所で同好の士が見つかったという興奮のまま、朝練の事も忘れてフェムとしばらく話し込んでしまう。


「おっと、もうこんな時間か……」


 太陽はもう少しで頂点に達しようとしている。


 もう昼食を食べて、昼からの授業に備えなければいけない時間だ。


「……また」


 立ち上がって軽く伸びをしていると、フェムが俺の服の裾を掴んで小さな声で囁く。


 また話したいと言っているようだ。


「ん? そうだな。フェムがこれからも授業を真面目に聞いてくれたらな」


 そう言ってやると、フェムは嬉しそうに何度も頷く。


「じゃあ、そろそろ行くか。昼の授業の準備をしないとな」


 ローブに包まれたその少女が立ち上がりやすいように手を出してやると、彼女は特に躊躇する様子も見せずに俺の手を掴む。


 そのまま立ち上がろうとした時――


 頭の上にあった木の枝に、フェムの着ているローブが引っ掛かる。


「あっ」


 気がついた時にはもう遅かった。


 引っ掛けたまま立ち上がった事で、頭を覆っている部分が外れてフェムの頭部が露わになる。


 先端が綺麗に切り揃えられた光沢のある銀色の短めの髪。

 まだ幼さの残る、美しいというよりは可愛らしく整った目鼻立ち。

 突然の出来事に驚いたのか丸い目は更に丸く見開かれている。


 だが、一番目を引いたのは幽鬼種の特性である半透明な身体。

 髪の毛も肌も透けて、向こう側が僅かに見えている。


 目が合い、僅かに透けた真っ白な肌が真っ赤に染まっていく。


 その直後だった。


 突然、キーンという耳鳴りのような高音が鼓膜を揺らす。


 なんだこの音は……。


 そう思ったと同時に、全身が凄まじい悪寒に包まれた。


 いつの間にか俺とフェムの視線の中間地点辺りに、握りこぶし程の大きさの真っ黒な球体が現れている。


 この悪寒の元がそれである事に直感的に気づく。


 虚空に空いた穴のような一切の光沢もない真っ黒な球体。


 それは超高密度の純粋な魔素そのもの。


 純然たる力の塊。


 知識や理性ではなく、本能で理解する。


「あー! こんなところにいた! もう! 置いてかないでよね!」


 背後からイスナの声が聞こえる。


「イスナ! 伏せろ!」


 悪寒に覆われた身体を無理やり動かして、イスナへと向かってそう叫んだ瞬間。


 黒い球体はイスナの声に反応したかのように、彼女のいる方向へと向かって音もなく一直線に飛んでいった。


 それはまるでさっきの出来事と同じように。


 違うのはフェムとイスナの立場が逆で、魔法が含有する魔力量も桁違いであること。


「え? きゃあっ!」


 俺の声で動きを止めたイスナ、その深緑の髪の毛を掠めて黒い球体はそのはるかに後方へと飛んでいった。


 安心して一息つく暇もなく、次の瞬間には目も開けていられないような強烈な閃光が辺りを包んだ。


 一瞬遅れて、鼓膜が破れそうな程の轟音が鳴り響く。


 球体が飛翔していった方向から吹き飛ばされそうなほどの爆風が流れ込んでくる。


「な、何!? 何なのよこれ!!」


 爆音に紛れて、慌てふためいているイスナの声が僅かに聞こえる。


「イスナ! 大丈夫か!?」

「だ、大丈夫だけど何が起こったのよ!」


 聞かれたところで俺にも何がなんだか全く分からない。


 フェムが関係しているという事以外には。


 徐々に閃光と爆風は収まっていく。


 晴れた視界の先に砂埃を吸い込んだのか、ごほごほと咳き込んでいるイスナの姿。


 あれが直撃していたらどうなっていたのか考えるだけでゾっとするが、とにかく無事だったようなので一安心する。


 そのまま視線を先に、黒い球体が飛んでいった方向へと移す。


 遠景にあったはずの山の一つが、円形に切り抜かれたかのように消失していた。

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