第28話:穏やかな日常?
――母親という名の嵐が去ってから三日後。
大きな事態は起こらずに、俺たちの日常は穏やかに進行していた。
「つまり、魔法ってのは大気中に満ちている魔素と呼ばれる目には見えない小さな粒子を利用した現象の総称で――」
教科書を片手に、目の前で大人しく講義に耳を傾けている五人の生徒達に魔法学の講義を行う。
魔法に関しては五人の中で理解度に大きな開きがあり、どこから講義を始めるべきか悩んだが、まずは基礎中の基礎からしっかりと足場を固めていく事にした。
「サン。魔法を行使する際の工程、それを大きく分類すると?」
この中で最も魔法に関する理解度が低いサンに魔法に関する最も初歩的な質問をする。
「はい! わかりません!」
とても元気に匙を投げつけられた。
「元気が良いのは分かったけど、もう少し考えるくらいはしろ……。この前やったばかりだろ?」
「だって分かんないんだも~ん……」
サンはその健康的な色をした上半身を机の上に投げ出しながら、口先を尖らせて不満げにする。
毎朝練習に付き合う条件で授業を聞くようにこそなったが、その理解力は相変わらずだ。
これではただ右から左に聞き流しているだけで寝ているのと大して変わらない。
「それにすぐに分からないで済ましたらダメだって何度も言っただろ。間違ってもいいからちゃんと考える習慣をつけるんだ。これは座学だけじゃなくて格闘術にも通じることだぞ」
「はーい……」
気のない返事。
分かっているのか、分かっていないのか……。
「それじゃあ、フィーア。代わりに答えてくれるか?」
「え……は、はい! えっと、魔法を行使する際の工程……工程……」
「ゆっくり考えていいからな」
「はい……、えっと……まずは魔素の認識……ですよね……?」
自信なさげに俺の方を一瞥してきたフィーアに軽く頷いて返答する。
「それから、えっと……魔素の受容……」
合っているにも拘らず、何度も自信なさげな視線を向けてくる。
この子に関してはまずはこの自信の無さをどうにかしないといけない。
その為にはまず、これだけは誰にも負けない特技を見つけてやるべきか……。
「付与と連結……、増幅……、最後が放出……で合ってますか?」
「ああ、正解だ」
「はあ……良かった……」
フィーアが胸を撫で下ろすように大きな息を吐きながら着席する。
「もっと細かく分類する事も出来るが、大まかに分けると今フィーアが言ったような工程になる。その中でも特に大事なのが付与と連結の工程だと言われている。付与と連結ってのは――」
付与と連結とは、自らの想見と魔素と結びつけ、魔素に属性を与えて一つの呪文を構築する一連の流れを指す。
つまりは俗に詠唱と呼ばれる工程。
その想見を言語にしたのがルーンと呼ばれているものである。
それをしっかりと五人に説明していく。
「それじゃあ、次の質問は少し難度が高くなるぞ……」
そう言いながら五人を見渡す。
サンは目を閉じて自分がどうにか当てられないように祈るような表情をしている。
フィーアも同じように緊張した面持ちを浮かべて、フェムは一人で教科書を読みふけっている。
となると、答えられそうなのはアンナか……、もしくは……。
背筋をピンと伸ばして座っているアンナの右側。
心ここにあらずと言った様子でぼーっとどこでもない中空を見つめているイスナに視線を移す。
三日前、エシュルさんが帰った日からずっとこんな調子が続いている。
母親が帰った寂しさがここまで表に出るような性格ではないので何か他の原因があるはずだが、生憎俺には見当もつかない。
風呂場の事件で、今度こそ授業に出てくれなくなるかもしれない危惧こそ杞憂に終わったが、これが続くようならほとんど出ていないのと同義だ。
少し無理矢理ではあるが俺の方から授業に参加させてしまうしかない。
「連結の工程において、最も大事なのは何だ? イスナ、分かるか?」
次の回答者に意を決してイスナを指名するが――
「イスナ?」
イスナは俺に指名された事にも全く気付かずに、ぼーっと中空を眺め続けている。
そのぼんやりとした目つきからはいつもの覇気が全く感じられない。
「イスナ姉ぇ? ご指名されてるよー?」
「え? 何? ご指名?」
隣にいるサンがその腕をつんつんと指先で突いてようやく気がつく。
「魔法を行使する際の連結工程に置いて、大事なのは何か分かるか?」
再び質問内容を繰り返すと、イスナは特に反抗するような様子もなく立ち上がった。
ようやく真面目に講義を受ける気になってくれたのかと心の中で喜ぶ。
まだ教えていない話ではあるが、既に第六位階魔法まで使えるイスナなら答えられるはずだ。
「連結……。大事なのは……相性……」
呆けた口調でそう答えた。
「その通り! 正解だ。いいか、呪言にはそれぞれ型があって、相性の悪いものを――」
「……んけ……いしょ……」
「ん? イスナ?」
イスナは着席しようとせずに突っ立ったまま何かをぶつぶつと呟いている。
「相性……身体……連結……男……」
「お、おい……イスナ……? どうした?」
教壇から降りて、明らかに様子がおかしい彼女に近づく。
「男の……から……あんなに……ごつごつ……ふと……」
「おーい、どうしたー?」
そのまま小さな机を挟んで彼女の向かい側に立つと――
「ひっ!」
俺の顔を見て、その整った顔を引きつらせながら一歩後ずさる。
いつもはゆらゆらと所在なげに揺れている黒い尻尾がまるで興奮した犬のように激しく動いている。
「お、おい……本当に大丈夫なのか……?」
「だ、だいじょ……、あっ……おと……にお……」
意味の分からない胡乱な言葉だけが返ってくる。
その顔は真っ赤に染まり今にも火を吹き出しそうだ。
大きく開かれた目の中央にある髪と同じ色をした瞳はせわしなく蠢いている。
体調が良くないのは明らかだ。
「お前、熱でもあるんじゃないのか?」
魔族とはいえ基本的な身体の作りに人間と大きな差異はない、となれば風邪くらいはひくだろう。
そう思って、その頭に手を伸ばす。
「ほら、やっぱりめちゃくちゃ熱――」
手のひらがその額に触れ、汗でべっとりとした感覚と火傷しそうなくらいに高い体温が伝わってくると同時に――
「きゅぅ……」
あの時と同じ鳴き声を再び上げ、イスナの身体がへなへなと床に崩れ落ちた。
「お、おい! イスナ!?」
その身体が完全に崩れ落ちる前に手を伸ばして支える。
火傷しそうな程に熱く火照っている身体の熱が衣服の上から腕に伝わってくる。
「イスナ姉ぇ!?」
「イスナ姉さん!?」
つい数日前に見た光景だが、今回はサンとフィーアも駆け寄ってくる。
流石に心配なのか、横からはアンナとフェムもその様子を見ている。
「大丈夫か?」
イスナに呼びかける。
大きく露出した双丘の谷間に、水たまりが出来そうなほど身体は汗でびっしょりと濡れている。
「だいじょ……。ぁ……う……で……。にく……かたくて……あつ……」
「分かったから今日はもう休め」
本当は何が言いたいのか全く分からない。
腕? 肉?
「二人で部屋まで連れていってもらえるか? 俺はロゼに報告してくる」
サンとフィーアに対して頼むと、二人は心配そうな表情のまま無言で頷いた。
「イスナ姉ぇ……ほら、しっかりして……」
「もう……ら、らめぇ……わたし……へんに……」
イスナはうわ言をこぼしながら、サンとフィーアの肩を借りて自室へと運ばれていった。
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