人生とは、真っ当に生きるための命綱を探す旅でしかなかった


もし、たった1度でも彼女ができていたら人生は変わっただろうか?

もし、たった1度でもデートができていたら人生は変わっただろうか?

もし、たった1度でもセックスができていたら人生は変わっただろうか?

変わるはずだと信じて生きていられたうちは、旅の途中。

そうではなく、もう初めから決められていて、それは絶対に叶わないし変えられないとわかったとき、旅は終了する。

家族なし、友人なし、恋人なし、結婚なし、子供なしの人生。

旅が終了したとき、生きる意味、気力、目的、希望が消えた。

ちょうどその1年くらい前だったかな?あの事件は。

妙に突き刺さる言葉と、彼の自暴自棄と、私の自暴自棄……。

秋葉原連続無差別殺傷事件。

あのとき、私の役職は店長、もちろんそこには部下もいて、たくさんのパートやアルバイトもいた。

その日私は、レジ内で発注画面とネットを同時に見ていた。

次々と表示される事件の最新情報と死者の数と負傷者の数。

彼はすぐに逮捕された……、私は1年近くあとに逮捕された。

当初の報道では、彼の自暴自棄と私の自暴自棄の精神崩壊プロセスには極めて類似点が多く、ひょっとしたら、生きづらさを感じている人たちの代弁者なのではないか?という、数多くの共感者の声に興味を引かれたが、裁判が進むにつれて、そういう境遇や人物像ではないとわかり、結局、違った。

各論が違うのは初めからわかっていたけど、総論は同じなのではないかという期待があっただけに非常に残念。

私は彼に何を期待したのだろう?もし、私の望んだ境遇や人物像だったら彼を尊敬しただろうか?

私は彼より一回り年上なので、いろいろと難しい……、年代が違うと世界観がズレるので、境遇が似ていても、妬みか見下しの感情しか湧いてこない……、しかも年下だと余計に。

総論の部分では、家族崩壊が原因でこの世で独りになってしまうと、もはや家族主義国家日本においては、余程の才能と運に恵まれていない限り、転落していく自分を止められない。

それを引き留める命綱のような存在として映るのが、彼女だ。

「彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊」など、何度も彼女がいないという現実に対する悲観をネットに上げている。

総論としては、私の自暴自棄と全く同じで、違いなんか無いのでは……と思っていたが、裁判が進むにつれて全然違うというのがわかってしまい、この事件への興味も無くなった。

各論は初めから違っていた。

まず家族崩壊→彼女(命綱)作れない→仕事への意欲低下・社会への不満という流れなら、犯行時の年齢が25歳というのは若すぎる……、私と10年も違う、次に、顔(外見)が理由で彼女ができないと断定している点……、元モデルの私からしたらとんでもない勘違いで、境遇が同じなら、たとえ犯人がイケメンであっても結果は変わってない(そこまで言うなら、なぜ私と同じように整形しなかった?)、決定的に違うのが「孤独」という言葉の捉え方……、40歳前後にならないと見えない景色を25歳でその理由として使うのは言葉の度数が違うから……、彼に共感する人たちも同じ……、加えて、人の輪の中で使う孤独と天涯孤独とでは、天と地くらい違う。

結局、私の旅の終わりと事件がたまたま同時期だったため、彼の発した「彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊」という一つのフレーズに、何も感じずにはいられなかっただけ。

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