悪役令嬢の執事様 2

 シャルロッテはその光景に思わず圧倒される。

 柔らかな明かりが降り注ぐダンスホールでソフィアとシリルが踊っている。ただそれだけの光景なのに、見ているだけで涙が零れそうな衝動に囚われた。


 リードとは男性がパートナーに次の動きを伝えることだ。

 パートナーはそれをフォローして踊る。

 不慣れな者は腕でパートナーを押したり引いたりすることでリードを伝えていくが、熟練者は重心の移動など、身体全てでパートナーにリードを伝える。


 だがそれでも、パートナーはリードを受けてから動くことに変わりはない。リードとフォロにはわずかながらのタイムラグが生じるのは必然――のはずだ。

 だが、シリルとソフィアのダンスにはそのタイムラグが感じられない。


 シリルが穏やかに笑えば、ソフィアは優雅にクルリと回って微笑みを浮かべる。そこに一切の淀みはなく、二人はまるで最初から一つだったかのように踊っている。


 もしかしたら、最初から決まったステップを踏んでいるのかもしれないと疑う。

 だけどそれも違う。

 演奏のノリや周囲で踊っている者達の立ち位置でも状況は変わってくる。

 刻一刻と変化する状況に対応して、その場その場で最善のステップを踏んでいる。それが事前に決められたステップのはずがない。


「楽しそう……」


 自然と零れ落ちたのはそんな言葉だった。

 シャルロッテを美しく彩るリードとはまるで違う。自分が楽しんで、それでいてパートナーをも楽しませるような自由なリード。

 シャルロッテがそのリードに合わせれば、すぐにシリルの足を踏んでしまうだろう。だがソフィアは幸せそうに、シリルのリードに合わせてステップを踏んでいる。


「エフェニアの聖女と執事様……」


 どこかで、そんな声が零れた。

 気が付けば、多くの者達が足を止めて二人のダンスに見惚れていた。いつの間にか、ダンスホールの主役は二人になっていた。

 王国の用意した最高のオーケストラが二人のために演奏している。


「……あんなに自然に笑えるものなの?」


 シャルロッテはそう呟かずにはいられなかった。

 これは王子の誕生パーティーで、この国の重鎮達が揃っている。そこで迂闊な発言をすれば致命傷となりかねない。一つのミスが命取りになる。

 事実、シャルロッテは張り付かせた笑顔の下でずっと胃が痛い思いをしていた。


 だけど、二人は自然な笑顔で踊っている。きっと、シリルの瞳にはソフィアしか映っていなくて、ソフィアの瞳にはシリルしか映っていない。

 まるで精霊に祝福されているかのように、二人だけが輝いて見えた。


 悔しい――と、込み上げた言葉は辛うじて飲み込んだ。フレイムフィールド皇国の皇女として、ここで敗北を認めるような言葉は口に出来ない。

 だけどやっぱり悔しいと、シャルロッテは心の中で繰り返した。


「……完敗だな」


 すぐ隣からそんな声が聞こえた。顔を向けるまでもなく、その声の主がシャルロッテの兄であることはすぐに分かった。だからこそ、シャルロッテはその言葉に反発する。


「いいえ、留学中は研究の協力も取り付けたし、あたしの目的はちゃんと達成したわ」

「だが、それは必要最低限だ。そもそも、おまえはあの執事に本気で惚れていたのだろ?」

「そういう兄様だって彼女に本気だったくせに」


 イジワルな問いにイジワルで返す。

 二人がこの国に来てから相応の時間が流れている。そのあいだ、ハロルドはソフィアを案内役としてずっと引き連れていた。

 ハロルドが日に日に本気になっていくのは必然だとシャルロッテは思っている。


 ――だって、あのシリルに釣り合う女性だもの。


 そんな風に考えて、それからきゅっと唇を噛む。それからハロルドと顔を見回せ、二人は揃って溜め息をついた。


「これから、どうするつもりだ?」

「どうするもなにも、まだ留学は始まったばかりよ」

「おまえは、あの二人の姿を見て勝てると思っているのか?」

「むぅ……嫌なことを言うわね」


 シリルが開発した魔導具の明かりは非常に柔らかい。明るさにムラがなく、会場の全体を自然な光で満たしている。

 だと言うのに、二人は、二人だけがキラキラと輝いているように見える。まるでこの世界の神々が二人を祝福しているかのように。


「でも、このまま引き下がるのはしゃくだと思わない?」

「まぁ……たしかにな――って、なんだ、その手は?」


 シャルロッテが手を差し出した。

 それはソフィアと同じ、ダンスに誘って欲しいという意思表示だ。


「憂さ晴らしに付き合ってくれない?」

「……まぁ良いだろう。俺もちょうど身体を動かしたい気分だったからな。一曲お相手いただけますか、我が妹殿」

「もちろんですわ、お兄様」



     ◆◆◆



 ソフィアお嬢様と踊っている。

 練習でお嬢様の相手をしたことは数え切れないほどあるが、こんな風に大きなパーティーでダンスを踊るのは演劇を除けば初めてだ。


 楽しい――と素直に感じ、ついついその気持ちを乗せたリードを示してしまう。リーダーである男性は、フォロワーである女性を輝かせる。それがダンスの基本なのにな。

 そんな風に考える俺に、ソフィアお嬢様がにこりと微笑んだ。


 せっかくのダンスなのだから、一緒に楽しみましょう――と、ソフィアお嬢様がそう考えているのが分かった。だから俺は更に大胆なリードを示していく。


 練習でもめったにしないような難易度の高いステップの組み合わせ。これはいかがですかと視線で問い掛けると、お嬢様が唇をほころばせた。


 お嬢様はもっと難易度を上げても良いですよ――と、挑むような笑みを浮かべる。

 既にセオリーを無視したリードを続けている。

 これ以上はダンスとして成り立たない。

 そう思う反面、お嬢様がどこまで応えてくれるのか知りたくなった。


 もう少しだけ大きく動いてみよう。

 俺がそう思うのと同時に、ソフィアお嬢様が少しだけ大きく踏み込んだ。


 一歩目はほんの少し、二歩目はもっと大胆に。俺がステップを大きくするのとまったく同じタイミングで、お嬢様は絨毯の上を滑るようにステップを踏む。

 さっきから一言も発していないのに、お嬢様の想いが伝わってくる。そして間違いなく、俺の考えていることも伝わっている。


 楽しい――と、やはり思ってしまう。

 いつの間にか一曲が終わっていたが、俺達は続けて二曲目を踊り始めた。

 一度のパーティーで二回踊るのは特別な行為だ。それに気付いた周囲からざわめきが上がるが、俺は少しも気にならなかった。後のことなんて、後から考えればいい、と。

 それより、いまのこの楽しい時間を終わらせたくない。


「ねぇ、シリル。一体どんな魔法を使ったんですか?」

「私は魔法なんて使っておりませんよ。ただ、シャルロッテ皇女殿下の望みを叶えるのと引き換えに、お嬢様から手を引いていただいただけです」


 ただし、そこには二つ重要なポイントがある。

 一つは、提供したのが魔術の知識そのものではなく、完成した魔導具であること。そしてもう一つは、シャルロッテ皇女殿下の本当の望みを調べ上げたこと。


 魔術の知識を渡せばおしまいだが、魔導具ならそうはならない。少なくとも、解析するまで長い時間を要するだろう。つまり、こちらは手札を失っていない。

 そしてシャルロッテ皇女殿下の望みを知っていることも大きい。理由は知らないがとにかく欲しがっているので提供するというのと、大切な妹君の命を救うために提供するのは違う。


 そのうえで、ランスロット殿下を通じて提供したため、隣国に恩を売ったのは彼と言うことになる。執事の俺が出しゃばったと言うことにもならない。

 むろん、それだけだとランスロット殿下がソフィアお嬢様の婚約を破棄してくれない可能性があるが、彼にはフォルを救う為の魔導具を提供することで恩を売った。

 ゆえに両国の関係は良好なまま、ソフィアお嬢様の婚約は立ち消えになった。


「シリルはそんなことをしていたのですね」


 俺の話を聞き終えたソフィアお嬢様が少し驚いたような素振りを見せる。どうやら、俺がなにをしているかまでは把握していなかったようだ。


「私の行動に疑問を口になさらなかったので、お気付きなのかと思っていました」


 失敗したときに巻き込まないため、ソフィアお嬢様には俺が政略結婚を阻止するつもりであることすら口にしていなかった。

 それなのになにも言わないのは、俺の動きを察しているからこそだと思っていた。


「シリルが色々と動いていることは知っていましたが、それだけです」

「では――」

「シリルを信じていただけですよ」


 俺を信じていたから、なに一つ聞かなかったのだという。

 俺が政略結婚阻止に動くかも分からない。動いたとして阻止できる算段があるかも分からない。その状況で俺を信じてくれたことに少し驚かされる。


「シリルは決して嘘を吐きませんから」

「信じてくださってありがとう存じます」


 心から感謝を述べる。

 だけど、ソフィアお嬢様はシリルも同じですよと笑った。


「……同じ、ですか?」

「シリルも、わたくしが案内役を引き受けた理由、一度も聞かなかったでしょう?」

「……そう言えば、そうでしたね」


 アーネスト坊ちゃんは、ソフィアお嬢様が引き受けた理由を色々と考えていたようだが、俺にはその理由が最初から分かっていた。


「穏便に解決して欲しいという意思表示であることはすぐに分かりましたので。もっとも、それだけでは説明できないこともございましたが……」


 今回あれこれ画策したのは、俺が穏便にソフィアお嬢様の婚約話をなくすためだ。もしソフィアお嬢様が最初から拒絶していたのなら、もっと穏便に収める方法もあったはずだ。


「さすがシリル、そこまで気付いていたのですね」

「ええ、まぁ……お恥ずかしながら、その理由には至れませんでしたが」

「恥じることはありません。シリルはわたくしの思惑通りに動いてくれました。それも、わたくしが想像していたよりもずっとずっと高い水準で」

「そう、ですか……」


 だとしても、ソフィアお嬢様の意図に気付かなかったのは事実だ。少し出来た気でいたが、やはりまだまだ精進が足りないようだと落ち込む。

 そんな俺に、ソフィアお嬢様がわずかに身を預けてきた。


「……ソフィアお嬢様?」

「わたくしは、シリルにその意図を気付かせないようにしていました。もっと言えば、気付いて欲しくなかったとも言えます。だから……わたくしの勝ちですね?」


 不意にいたずらっ子が顔を覗かせた。

 少し前までは見抜くことが出来たのに、最近のお嬢様は隠し事がすっかり上手くなった。少し寂しい気もするが、予測できないお嬢様というのもまた愛らしい。


 俺はお嬢様に、貴方は幸せですか――と、ダンスを通じて問い掛ける。

 その答えは、いままでで一番素敵な笑顔だった。




 ソフィアお嬢様と続けて踊った後。俺達はダンスホールを後にして、立食のテーブル席で軽食をとりながら他の客達と挨拶をしていた。

 といっても俺は本来執事なので、その手の挨拶は主にソフィアお嬢様が担当する。


 ただ、ソフィアお嬢様とずっと踊っていたことで注目を浴びたのか、俺が執事であることを知った上で、ソフィアお嬢様に俺のことを質問する者達も少しだけいた。


 そもそも、ランスロット殿下のパーティーで俺がソフィアお嬢様のパートナーを務めるのはこれが初めてじゃない。

 加えて、俺はさきほどまでシャルロッテ皇女殿下の案内役を務めており、アーネスト坊ちゃんやランスロット殿下にまで話しかけられていた。


 本当にただの執事なのかと疑われるのも無理はない。

 実際、ただの執事なんだけどな――と、代わる代わるやってくる貴族達とお嬢様の話を聞いていると、再びアーネスト坊ちゃんが戻ってきた。


「ソフィア、ずいぶんと無茶をしたものだな」

「あら、わたくしは無茶だなんて思っておりませんわよ?」


 王族が集まるパーティーの席で、他国の皇子を振っておいてその発言。アーネスト坊ちゃんには呆れられるのではないだろうかと思ったのだが、彼は「そうか」とだけ呟いた。


「ソフィア、おまえは本当に良い執事を持ったな」

「ええ、誰よりもわたくしがそれを理解しておりますわ」


 ソフィアお嬢様はクスクスと笑ったけれど、アーネスト坊ちゃんに評価されるとは思っていなかった。軽く目を見張る俺に、彼は向き直る。


「認めてやろう。おまえは俺にすら出来なかったことを為し遂げた。おまえはたしかにソフィアの専属執事に相応しい存在だ」

「ありがたきお言葉、身に余る光栄でございます」


 恭しく頭を下げて、ゆっくりと顔を上げる。

 俺が彼の顔に視線を戻すと、その唇が声を発することなく動いた。


 だが、それは俺の妹だ。そう易々とはやらん――と。


 どうやら、俺が読唇術を使えることを前提としているようだ。……ソフィアお嬢様も読唇術が使えるから意味がないんだけどな。

 それを知ってか知らずか、彼はソフィアお嬢様に向き直った。


「ソフィア、実はこの会場にグランドピアノという楽器を持ち込んでいる。俺が弾くから、おまえはヴァイオリンで併せてくれないか?」

「……ピアノ、ですか?」

「そうだ。フレイムフィールド皇国で生まれた楽器でな。おまえは知らぬだろうが、俺は練習済みだ。素晴らしい音色だからきっと演奏が出来るぞ」


 アーネスト坊ちゃんはお嬢様に優しく笑いかけ、それから俺に向かって『あらたな楽器を使った、ソフィアとの初の共演、羨ましいだろう?』と唇を動かした。


 子供か――なんて突っ込む余裕はない。むしろ俺は、そこで羨ましがることの出来る立場でありたかったと青ざめる。そしてお嬢様、空気を読んでくださいと訴えかけるが――


「あら、グランドピアノなら知っておりますわよ?」


 俺の心の声も虚しく、ソフィアお嬢様はあっさりと言ってのけた。


「なん、だと……?」

「シリルがフレイムフィールド皇国に技術者を送り込んで、グランドピアノの製作技術を学ばせたんです。ですから、この国でも生産が始まっておりますわ」

「で、ではまさか……」

「はい、シリルがグランドピアノを弾いてくれたので、わたくしがヴァイオリンを。とても楽しくて、まるで夢を見ているようなひとときでしたわ」


 無垢な笑顔でアーネスト坊ちゃんの心を無遠慮に傷付ける。それ以上は俺がアーネスト坊ちゃんに殺されそうなので止めてください。

 やがてアーネスト坊ちゃんは、ギギギを錆びた音でも聞こえそうな感じで首を俺に向けた。


「やはり……やはりおまえなんぞに可愛い妹はやらん!」

「いえ、えっと……」

「まぁまぁ、お兄様。せっかくだからわたくしと演奏いたしましょう?」


 ソフィアお嬢様が、お兄様のことはわたくしに任せて大丈夫ですわよとでも言いたげに微笑んで、アーネスト坊ちゃんと別に会場へと向かっていった。


 ……自分で煽っておきながら、嫉妬を抱いたアーネスト坊ちゃんから俺を護ってあげると言いたげに去っていくお嬢様は、なんだか小悪魔的な方向に育っている気がしないでもない。

 せめて、アーネスト坊ちゃんの演奏の腕は褒めてあげてくださいね。

 

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