ソフィアお嬢様の望み 1

 その日は朝から学園がざわついていた。政治的な面でも重要な隣国――フレイムフィールド皇国の皇子と皇女が前触れもなく留学してきたからだ。


「おい、聞いたかよ?」

「皇子殿下と皇女殿下の話でしょ? 私達には関係ないじゃない」

「なに言ってるんだ、お眼鏡にかなったら召し抱えられるかもしれないだろ。以前に皇族が留学してきたときも、使用人コースから何人か引き抜かれたって話だぜ」

「え、そうなの? じゃあ私達にもチャンスがあるかもね」


 使用人コースのAクラスでも、朝から引っ切りなしにそんな会話が聞こえてくる。

 ここで少し誤解を解いておく必要がある。使用人コースでも特に優秀な生徒が集まるAクラスだからといって、王族や上級貴族に重用されるとは限らない。


 王族や上位貴族に仕える専属執事やメイド長など、使用人の統括的な地位に就く者の多くは、貴族の出身――つまりは貴族コースの生徒。

 もしくは、俺の実家のように代々侯爵家に仕える家系くらいなのだ。


 だが、以前に留学してきた皇族は、使用人コースの生徒を好待遇で雇ったらしい。それゆえ、今回もそのようなチャンスがあるかもと沸き立っているようだ。


 むろん、既に内定を得ている生徒はそこまでではないが、それでも皇族がいきなり留学してきたことには驚きの声が上がっている。

 そして、ここにも話題に興味津々な生徒が一人。ライモンドが声を掛けてきた。


「シリル、噂を聞いたか?」

「朝からその話で持ちきりですね。ですが、貴方にはあまり関係のない話でしょう? 言うのが遅くなってしまいましたが、内定おめでとうございます」


 ライモンドは文化祭での働きが評価され、フォルに仕えることが決まっている。それをルークから聞かされたときは驚いたが、同時にライモンドの実力なら当然だとも思う。


「ありがとう、シリル。これはおまえのおかげだ」

「私はなにもしていませんよ」

「……そういうと思ってたよ。だが、自滅した俺におまえがチャンスをくれなければ、彼女の目に留まることはなかっただろう。だから、やっぱりおまえのおかげだよ」

「……だとしても、貴方ならすぐに誰かの目には留まっていたと思いますけどね」


 他の誰も声を掛けなければ、折を見てソフィアお嬢様に推薦するつもりだった。残念だが、王族の使用人に決まった以上は諦めるしかないのだけれど。


「いやいや、俺に声を掛けてくれるなんて、同じ平民出身の彼女くらいだって」

「……平民出身?」


 なにを言ってるんだと首を傾げると、ライモンドは誤解するなよと手を振った。


「平民出身だからって不満な訳じゃないぜ。伯爵家の後ろ盾を得るくらい優れた人であることは知ってるし、そうじゃなくても俺を初めて認めてくれた人だからな」

「……そう、ですね」


 相づちを打ちながらも、やっぱりなにを言ってるんだと首を捻る。

 フォルは能力を買われて伯爵家に引き取られた平民の娘――という名目で学園に通っているが、その正体は王族なのだが……まさか、知らないのか?

 そんな馬鹿な――と視線を巡らすと、こちらの話を聞いていたらしいルークと目が合ったのだが、彼は露骨に目をそらした。どうやら、フォルの正体は秘密らしい。


 たぶん、フォルが面白がって隠したんだろう。

 平民出身のお嬢様にお仕えすると思ってた? 残念、貴方の主はお姫様だったのよっ! などとフォルに言われるライモンドのことを思うと――実に楽しみである。

 別に隠しててもマイナスはないし、温かく見守るとこにしよう。


「ところで、シリルの方はどうなんだ?」

「……なぜですか?」

「さっき、貴方“には”関係ないと言っただろ? 本来なら、貴方“も”と言うところのはずだ。もしかして、なにか関わっているのか?」

「……ソフィアお嬢様と私が案内役を仰せつかっているだけですよ」

「案内役? それって……」


 なんとなく察したのだろう。ライモンドの視線が俺を気遣うモノに変わる。


「ご心配なく、大丈夫ですから」

「……そうか? だったら良いけど、なにか困ったことがあれば言えよ? 俺に出来ることなら全力で協力するからよ」

「ええ、そのときは相談させていただきますよ」


 作った笑みを顔に張り付かせ、感謝の言葉を伝えた。



 その後も落ち着かない授業が続き、ついには放課後になる。シャルロッテ皇女殿下と面会することになっている俺は貴族コースのAクラスを訪れた。

 それを待っていたかのようにソフィアお嬢様が俺を呼ぶ。


「シリル、ちょうど良いところに来ましたね。こちらへいらっしゃい」


 招きに応じてソフィアお嬢様の斜め後ろに控えると、周囲にクラスメイトが集まっていることがうかがえた。どうやら立ち話をしていたようだ。


「ハロルド皇子殿下、シャルロッテ皇女殿下。彼が先ほどお伝えしたわたくしの執事です。そしてシリル、こちらのお二人がハロルド皇子殿下とシャルロッテ皇女殿下です」

「シリルと申します。お目にかかれて光栄です」


 ソフィアお嬢様が声を掛けた二人の足下に視線を定め、そのまま恭しく頭を下げる。そうしてかしこまっていると「頭をあげよ」と力強い少年の声が響いた。

 その声に従って顔を上げた俺は両殿下の姿に軽い驚きを覚えた。


 赤髪の少年がハロルド皇子殿下だろう。

 上質の布を使ったコートのようなモノを羽織っているが、その下に着込んでいるシャツの胸元は大きく開いていて褐色の肌を覗かせている。


 エフェニアでは考えられないドレスコードだが、常夏で陽差しの強いフレイムフィールド皇国ではおそらく一般的な衣装なんだろう。引き締まった身体や強い意志を秘めたアメシストの瞳とあいまって、男でありながら色香を纏っている。


 続けて、ほんのりとピンク掛かった銀髪の少女がシャルロッテ皇女殿下のようだ。

 こちらも皇子同様、上着を羽織り、その下には貴族令嬢としては薄手の衣を纏っている。貴族感覚では露出気味だが、前世の記憶を持つ俺的にはそれほど違和感はない。

 そんな彼女がアメシストの瞳を輝かせ、興味深げに俺を見つめていた。


「貴方がシリルですか、ようやく会えましたわねっ!」


 周囲から声にならない悲鳴が響いた。

 シャルロッテ皇女殿下があろうことか、俺に抱きついてきたからだ。


 抱きつかれたとは言っても、ダンスをするときに身体を寄せ合う程度。いくら彼女が薄着とはいえ、年相応の発育でしかないので、俺が動揺する必要はない。

 だが、ソフィアお嬢様が『なぜ避けなかったのですか?』と言いたげに俺を見ている。


『違いますよ、お嬢様』

『なにが違うのですか? 私はなにも言っていませんが?』


 心の声で訴えかけると、そんな視線が返ってきた。だが、その瞳は赤く染まっていて、ソフィアお嬢様の不満がありありとにじみ出ている。

 だが、俺が抱き留めなければシャルロッテ皇女殿下は転んでいたかもしれない。そんなことになれば国際問題になりかねないと心の中で訴えかける。

 それが伝わったのか、ソフィアお嬢様がむぅっと頬を膨らませた。

 早くなんとかしなければ、ソフィアお嬢様が闇堕ちしてしまいそうだ。


「シャルロッテ皇女殿下、どうか離れてください」

「あら、あたしは貴方に会えた喜びを表現しただけですわよ?」

「身に余る光栄ですが、それはこの国の作法と掛け離れておりますので。周囲の方々がに、いらぬ誤解を与えかねませんよ」

「あら、あたしはそれでもかまわないのだけど?」


 無邪気な表情で笑っているが、その瞳は妖しく光っている。どうやら、見た目通りの無邪気な皇女様という訳ではなさそうだ。

 だが、貴族社会に生きるご令嬢が一筋縄ではいかないのはいつものことだ。


「誤解を与えてしまった場合、私は責任を取って案内役を辞退することになりますが――」


 それでもよろしいですかと、みなまで言うよりも早く彼女は身を離した。そうして俺から二歩ほど距離を取り、スカートの裾を摘まみ上げてカーテシーをおこなった。


「大変失礼いたしました。あたしはまだこの国の作法に疎いようなので、早く覚えられるように、案内役である貴方があたしを導いてくださいませ」

「かしこまりました。私の持てる全てで尽くします」


 恭しく頭を下げて応じる。この国の作法に疎いと言ったが、どうすれば俺が案内役であると周囲に認識させられるかは良く知っているらしい。


 そのやりとりで、お茶会の参加者は俺が案内役を承っていることを察した。巧く表情を隠しつつも、どうしてと言いたげに俺とソフィアお嬢様を見比べる。


「実はあたしが留学してきたのは、シリルに会いたかったから、ですのよ?」


 またいらぬ誤解を招くようなセリフを口にして……もしかしなくてもわざとだな。だが、どうしてそんな不用意な発言をするんだ?

 理由は不明だが、ソフィアお嬢様が闇堕ちする前に訂正しておくべきだろう。


「私のおこなっていた魔術の研究をありがたくも評価してくださったのです。シャルロッテ皇女殿下はずいぶんと魔術の研究に熱心なのですね」


 前半は周囲に向けて説明し、後半はシャルロッテ皇女殿下に問い掛ける。そうして彼女の興味が魔術であることに誘導して、余計な憶測を生まないようにする。

 俺の思惑通り、周囲の方々に理解の色が灯った。

 もっとも、魔力過給症の一件は秘密なので、それ以上は探られないように気を付ける必要もあるのだが……もともと魔術の研究は部外秘が多いので隠し事をするには都合がいい。


「シャルは魔術の研究が目当てだが、俺は俺が留学したのは別の理由だ。ゆえに、俺はソフィア嬢に案内をしてもらうことになっている」


 シャルロッテ皇女殿下が落ち着くのを待ち、ハロルド皇子殿下が口を開いた。

 彼は自分が留学をした理由を口にしてはいないが、いまのセリフの繋がりから、彼の目当てがソフィアお嬢様であると認識した者は少なくないはずだ。

 こちらはこちらで隠すつもりがないらしい。


 別の理由で留学してきたのなら助かったんだが……まったく。パメラがヒロインを担当するはずの、前夜祭のシナリオはどこへ行ってしまったんだ?


 ひとまず、ハロルド皇子殿下のセリフは俺に向けられた訳ではないので、一介の執事である俺が口を出す訳にはいかない。

 こちらはソフィアお嬢様の対応に任せるしかないだろう。


 だが、執事の俺が介入できないのは想定された状況だ。こういうときのために、ソフィアお嬢様が自分で対処できる様に教育を施してきた。

 俺が育てたソフィアお嬢様ならなんの心配もいらない。俺がむしろ心配しなければいけないのはそれ以外。いまはひとまずシャルロッテ皇女殿下の対応だ。

 そう考えてシャルロッテ皇女殿下に視線を向けると、彼女はにっこりと微笑んだ。


「シリル、さっそくですが学園を案内してくれるかしら?」

「かしこまりました」


 シャルロッテ皇女殿下の要請に従い、貴族コースの教室を後にする。彼女の使用人達は同行するが、どうやらハロルド皇子殿下は別行動のようだ。


「どうかしましたか?」

「いえ、貴方は制服を着ていないのだなと思いまして」


 考えていたのとは別の質問を投げかける。なんとなくだが、俺がソフィアお嬢様を気に掛けているところはあまり見せない方が良い気がしたのだ。


「急に留学することになったから、制服が出来ていないんですわ。それとも、あたしの服装が気になるのかしら?」

「隣国に馴染みがない方は驚くかもしれませんね。ですが、私はシャルロッテ皇女殿下のお召し物がフレイムフィールド皇国では一般的なことは存じておりますので」


 ですからなんの問題もありませんと答えると、彼女は少し意外そうな顔をした。


「この国の装いは露出が低いと聞いていたから、もっとなにか言われるかと思ったけど、意外にそうでもないんですね。それとも貴方だから、でしょうか?」

「貴族の装いの露出が低いと言うだけですから」


 実のところ、この国にも水着などが存在する。というか、水着のアリシアが攻略対象と湖のほとりで遊ぶシーンが存在する。

 それと比べれば、シャルロッテ皇女殿下の露出も大したことはない。


「それよりも、どちらから案内すればよろしいですか?」

「あぁっと……そうですわね。まずはゆっくり話せるところに連れて行っていただけますかしら? 学園の施設を見るよりも、貴方の話を詳しく聞かせていただきたいわ」

「かしこまりました」


 予想の範疇なので特に戸惑うこともなく、シャルロッテ皇女殿下を中庭へと案内する。そのままテーブル席へと案内すると、彼女は俺に紅茶を所望した。


 案内役の俺が紅茶を入れると、そのあいだ彼女をほっぽり出すことになるのだが……どうやらシャルロッテ皇女殿下は、俺の紅茶の淹れ方が他と違うことまで知っているらしい。


 察するに、アーネスト坊ちゃんから色々聞いているのだろう。

 そんな訳で、彼女のお付きのメイドにあいだを任せて紅茶を準備。同席を望まれたので、素直にテーブルを挟んで彼女と同じ席に着いた。


「へぇ……貴方はすぐに従うのですね。大抵の使用人は恐れ多いと口にするのに」

「たしかに本来はあり得ないことですね。ですが、それをご所望のようでしたので」


 無茶ぶりに慣れている俺としては、素直に従うのが一番だと判断しただけだ。なにか問題ありましたかと視線で問い掛けると、何処か満足げな笑みが返ってきた。


「あたしは堅苦しいのも、二度手間なのもあまり好きじゃないから助かりますわ」


 彼女はそう言うと、俺が準備した紅茶を口にした。

 本来ならソフィアお嬢様が毒味をする。

 だがソフィアお嬢様はこの場にいないので、俺、もしくは彼女の使用人が毒味代わりに紅茶を口にするべきところなのだが……言っても無駄だろう。

 彼女はこくりと喉を鳴らし、それから艶っぽい吐息を零した。


「本当に味が違うんですわね。それにとても薫り高い。貴方の腕はたいしたものですわ」

「お褒めにあずかり光栄でございます」


 気に入ってもらえたのはありがたいが、おそらく本命の会話はこのあとだろう。そんな風に気を引き締める俺に向かって、彼女はすぅっと目を細めた。


「貴方は魔力過給症の処置として、魔力を放出する技術を生み出したそうですわね?」

「いいえ、私は魔術書に載っていた技術を再現しただけでございます」


 真顔でそう口にする。


「あり得ないわ」

「なぜそう思うのですか?」

「我が皇国は魔力過給症に対する治療法をあらゆる角度から探しました。だけど、魔力抵抗の高い人間を救う方法はどうしても見つからなかった。なのに、あたしが見たことも聞いたこともない技術が書き留められた魔術書が存在するとおっしゃるの?」


 信じられないのは無理もない。

 だが、いくら魔力の回復速度が速くとも、普通は消費の方が大いに決まっている。そうじゃないのは、この世界の魔術が発達していないからに他ならない。


「貴方が知らずとも、魔術書が存在するのは事実ですよ。それに、一介の執事が零から生み出したというよりは現実的ではありませんか?」


 首を傾げてみせると、シャルロッテ皇女殿下はすぅっと目を細めた。


「ねぇ……シリル。取り引きをしましょう」

「取り引き、ですか?」

「貴方があたしの条件を呑むのなら、貴方のお嬢様を助けてあげますわよ?」


 怪しい微笑みを浮かべる。やはりこの皇女様は一筋縄ではいかなさそうだ。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る