光と闇の裏表 4

 ここは乙女ゲームが舞台になった世界ではあるが、ゲームの中ではない。なぜなら、行動によって正しく未来が変化している。原作に沿った強制力などは働いていないからだ。

 ――と、そう思っていた。


 なのに、三つ巴バッドエンドを警戒した矢先、最後の一人であるフレイムフィールド皇国の皇女が俺に興味を抱いていると告げられた。

 まるで意味が分からない。


 俺が生を享けたのはこの国で、隣国の皇女とは関わったことがない。なのに、皇女が俺に興味を抱いているという。一体どういうことなんだ?


「アーネスト坊ちゃん、フレイムフィールド皇国の皇女が私に興味を抱いているのはなぜでしょう? 私には心当たりがないのですが」

「心当たりがない? いくらなんでも自覚がなさすぎるのではないか? かの国がどういった国であるか、おまえも知らぬ訳ではあるまい」


 言われてフレイムフィールド皇国の特徴を思い浮かべる。

 その名の通り、エフェニア国よりも暑い気候だと聞いている。そのため、風通りのよい建築物が好まれ、服装も涼しげな恰好が多いという話である。

 そしてなにより、魔術が発展した国である。


 ……待てよ、魔術?

 そう言えば、魔力過給症について隣国に相談したと聞いたことがある。けれど、隣国でもフォルを救う手立ては見つからなかった。


 にもかかわらず、魔術がさほど発展していない国の人間がその手立てを見つけた。それを知ったのなら、その人物に興味を抱いても不思議ではない。


「では、その皇女は、魔力過給症の件に興味をお持ちなのですか?」

「自らの魔力を体外に放出する。それだけを聞けば簡単そうだが、実際に実行するのは非常に難しい。そのような術は聞いたことがない、だそうだ」

「……なるほど」


 この世界は、前世の世界における中世がベースとなっている。

 物語として色々な物を煌びやかに見せるために、一部の魔導具は存在しているが、一般的な魔術の技術については前世の数百年前と変わらない。


 たとえば前世で一般人だった姉さんも、この国では魔術についての知識人。前世で魔術を学校で専攻していた俺は、魔術に優れた隣国から見ても異質という訳だ。


 だが本音を言ってしまえば、それは些末なことでしかない。前世の記憶について口外するつもりはないが、能力を是が非でも隠すようなつもりはない。下手をすれば悪目立ちするが、上手く立ち回ればお嬢様に理をもたらすことが出来るからだ。


 ゆえにここで問題なのは、俺に興味を抱いた隣国の皇女が、どう考えても前夜祭における隣国ルートの悪役令嬢、第七皇女のシャルロッテ殿下だと言うことである。

 もちろん、皇女は何人もいるはずなので、別人という可能性もあるが……


「アーネスト坊ちゃん、その皇女というのはどなたのことでしょう?」

「シャルロッテ殿下だ」


 ですよねぇ。

 ここまで来て別の皇女だったら、それはそれでびっくりである。というか、これ以上、当事者が増えなかったと安堵する場面かもしれない。


「シャルロッテ殿下からの伝言だ。留学した暁には、ぜひおまえの話を聞かせて欲しい、と。ソフィアに伝えておくが、心しておくように」

「かしこまりました」


 どうやら、シャルロッテ殿下とも関わらずにはいられないようだ。

 俺の三つ巴バッドエンドがちらついてきたが、何としても阻止しなくてはいけない。そのうえでソフィアお嬢様が闇堕ちしないように、細心の注意を払う必要がありそうだ。



     ◆◆◆



 王立ロンドベル学園の敷地内には部室棟の立ち並ぶ区画が存在する。

 部活という名目ではあるが、その多くが派閥の所有する拠点。教室一つ分くらいの広さから貸し出されているが、中には土地ごと借りてそこに屋敷を建てている者もいる。

 ローゼンベルク侯爵家の次男、アーネストが所属する派閥の建物もまたその一つである。


 いや、その言葉は正確ではない。 アーネストの所属する派閥の建物こそが、王立ロンドベル学園における最大の規模を誇る。

 エフェニア国第一王子、ランスロットの所有する拠点だ。


 屋敷として見るならばそこまで大きくはない。けれど、使用人が常任する程度の規模はあり、パーティー会場や客間などは一通り揃っている。

 調度品も一流どころを揃えた最高品質の拠点である。


 そんな拠点のメインホール。

 パーティー用に作られた会場に、甘く切ないメロディーが流れている。先日、フレイムフィールド皇国より空輸によって持ち込まれたグランドピアノによるものだ。


 演奏するのはプラチナブロンドの貴公子。額から伝い落ちる汗もそのままに、アーネストは悩ましげな顔で鍵盤の上で指を踊らせている。

 その光景に、彼に付き添うメイド達がほぅっと甘い溜め息をついた。


 何者にも犯しがたい聖域で、アーネストはただひたすらに音楽を奏でる。だが、そんな聖域に踏み込む少年が一人。深い絨毯の上を踏みしめて近付いてくる。

 その姿を目にしたメイド達がさり気なく端へとよって道を空けた。


「聞き慣れない音が聞こえると思ったら、やはりおまえか」

「ランスロットか、遅かったな」


 気さくな口調で話しかける第一王子に、演奏の手を止めずにぶっきらぼうな口調で応じる侯爵家の子息。本来であれば決して許されないやりとりであるが咎める者はいない。

 ランスロットがそれを許していると、ここにいる誰もが知っているからだ。


「これでもおまえのために急いで来たんだ。で、アーネストが弾いている楽器はなんだ?」

「フレイムフィールド皇国で生まれたグランドピアノ、もしくはピアノと呼ばれる楽器だ」


 アーネストはピアノの説明を続けながらも、手は止めずに演奏を続けた。

 ただし、これはランスロットを蔑ろにした行為ではない。殿下の人柄を把握しているがゆえに、彼が演奏に興味を示していると判断した結果である。

 むろん、相応の親しさに裏付けされた判断であることは言うまでもない。


「しかし、なぜ急に演奏を始めたんだ?」


 アーネストに限らず、貴族の家に生まれた子供は嗜み程度に楽器を触ることは出来る。だが、アーネストの技術は嗜みの域を越えていた。


「俺の妹がヴァイオリンを得意なのは知っているだろう?」

「あぁ。俺の耳にたこが出来るくらい聞かされたからな」


 アーネストとランスロットは初等部からの付き合いで、いわゆる幼馴染みである。ゆえにランスロットは、アーネストが日に日に妹に溺愛していく様を間近で見ていた。


 出会った当初、初等部に入学したときはとくになにも言ってなかったのだが、およそ一年後くらいから妹のことを話題に出すようになった。


 いわく、我が家に舞い降りた天使。

 礼儀作法は完璧で、音楽を奏でれば使用人までもが作業を止めて聞き惚れる。踊る姿はまさしく聖女で、神様がひいきしたかのように妹にだけ光が降り注ぐ、などなど。


 ランスロットは正直、アーネストのシスコンには困ったものだ……などと思っていたのだが、数年前にその認識をあらためる事件が起きた。


 自分の誕生パーティーで、お忍びの弟がアーネストの妹とダンスを踊ったのだ。それを目撃したため、アーネストの妹自慢が決して誇張ではないことを理解させられた。


 容姿が優れているだけではない。立ち居振る舞いは年下とは思えぬほどに洗練されており、その微笑み一つで国を滅ぼしかねない美しさを秘めている。

 なにより驚いたのは、アルフォースとのダンスの内容だった。


 アルフォースはわりと甘やかされて育ったこともあり、厳しく躾けられた自分と比べると未熟な面が目立つ。ゆえに、ダンスの腕前も決して優れているとは言い難い。

 事実、アルフォースはソフィアの足を何度か踏んでいた。


 そこまでは想定通り――だが、ここからが想定外だった。

 二人のダンスが時間をおくごとに滑らかになっていく。アルフォースのリードが急速に上達している訳ではないにもかかわらず、だ。


 この国のダンスは男性がリードを示し、それをフォローする女性が踊る。ゆえに、男性のリードが未熟なら、二人が息を合わせて踊ることはほぼ不可能だと言える。

 例外は女性がリードを奪ってしまうことだが、それをすれば確実に分かる。だが、ソフィアがリードしている様子はない。だとすれば、考えられるのは一つだけ。


 ソフィアがアルフォースのリードを予測しているのだ。

 行動の予告を予測するという常識外の行為だが、その行為自体を疑うことはなかった。ランスロットの従姉であるフォルシーニアもまた、その技術を身に付けていたからだ。

 ゆえに、そのときのランスロットはこう思った。


『ソフィア嬢、か。たしかにアーネストが自慢するだけのことはある。アルフォースが惚れ込むのも無理はない。それでも、フォル姉さんの方が綺麗で素敵だけどな』――と。

 対象が従姉ではあるが、彼もまたシスコンに分類される人種であった。


 それはともかく、話を戻そう。アーネストがピアノを空輸で持ち込んだのは、妹のバイオリンとピアノによる、初めてのデュエットを奏でるためだそうだ。

 実際には、シリルが既に持ち込んでおり、ソフィアの初デュエットもシリルが奪っているのだが、悲しいかなこの時点のアーネストはその事実を知らない。


「そのためだけに、わざわざピアノを空輸したのか?」

「そうだ。この国でピアノの弾き方を知っているのは俺だけだからな」


 繊細な指先で妹への友愛を奏でながら、アーネストは「ところで――」と呟いた。その声はピアノの演奏に掻き消されながらも、ランスロットにだけ辛うじて届く。

 その瞬間、アーネストの意図をランスロットは正しく理解した。


「なかなか興味深いな。パイプオルガンと似ていて、まったく違うんだな」


 ランスロットはピアノに興味を示した体で、アーネストの肩に手を置いて顔を寄せた。

 パーティー会場のスポットライトに照らされた美少年二人が寄り添っている。その光景にメイド達が声もなく沸き立つ。それを隠れ蓑に、二人は内緒話を始めた。


「おまえの耳にも届いていると思うが、フレイムフィールド皇国のハロルド皇子殿下とシャルロッテ皇女殿下が留学を希望してる」

「皇族の留学、か。それはつまり、そういうこと、なのか?」


 皇族とはいえ、皇位継承権はないに等しい二人だ。そういった皇族が海外に留学する目的は限られている。皇子と皇女であることを考えれば、おそらくその一つである可能性が高い。

 すなわち、政略結婚の下見である。


「ハロルド皇子殿下の目当てはおそらく」

「ああ、間違いない」


 二人はこくりと頷きあい――


「――我が妹、ソフィアに違いない」

「――俺の従姉、フォル姉さんだな」


 同時に異なる名前を口にした。

 もっとも、シスコンであるという一点においてはぴったり一致しているが。とにかく意見の相違に、二人は信じられないとお互いを睨みつけた。


「なにを言っているのだ、ランスロット。たしかに身分では劣るが能力は同等。美しさで言えば我が妹の方が圧勝ではないか」

「冗談はやめてくれ、アーネスト。身分や能力なんてどうでも良いが、優しさや美しさではフォル姉さんの圧勝に決まっているだろう」

「ふざけるな、ソフィアの方が可愛い」

「いいや、フォル姉さんの方が綺麗だ」


 可愛いのはソフィアで、綺麗なのはフォルシーニアと言うことで良いのではないか? と、しごく真っ当な疑問を呈する者はこの場にいない。

 ついでに言うと、政略結婚はむしろ身分や能力が重要だろうというツッコミもない。


「まあ……この際、どちらが可愛いかの決着はあとでつけるとして、少なくともどちらか、あるいは両方が政略結婚の候補であることは間違いないだろう」


 アーネストに取っての一番はソフィアだが、ソフィアを除けばフォルシーニアが政略結婚の対象に上がるだろうという認識はある。

 そしてまたランスロットも――


「そうだな。どちらが一番かはともかく、どちらも候補である可能性は高いだろう」


 フォルシーニアが一番だと信じて疑わないが、フォルシーニアを除けばソフィアが政略結婚の対象に上がるだろうとの認識はある。

 ゆえに――


「ならば、この件について、お互い協力し合える範囲で協力すると言うことでどうだ?」

「それならば異論ない。フォル姉さんを政略結婚の道具になんてさせるものか」


 こうして、強力なシスコン同士での協定が結ばれた。

 だが――決して誤解してはいけないことがある。

 それは、この二人が決して無能ではないという事実だ。むしろ非常に有能な二人の唯一の欠点がシスコンであるという方が正しい。


 二人が結んだ協定も、政略結婚を潰すことではない。

 国益を損なわないとなると、政略結婚自体を潰すことは難しい。その政略結婚の対象から、自分の大切な家族を除外させるのが第一目標。

 つまり――


 最終的には親友の大切な相手を生け贄に差し出すことも厭わない。

 だが、それをすれば足の引っ張り合いになる。ゆえに、可能な範囲で協力し合う――むしろ、足の引っ張り合いからの共倒れを避けるのが協定の趣旨である。


 ならばどうするのが正解か。

 二人は考えを巡らせ――やがてアーネストがニヤリと口の端を吊り上げた。


「そう言えば、シャルロッテ皇女殿下がシリルに興味を示していたな」

「……シリルに? そうか、彼の魔術か」


 フレイムフィールド皇国は魔術に特化した国だと言っても過言ではない。その国でも不可能だった技術を、一介の執事が再現して見せた。

 興味を示すのは当然と言える。


「――っ。まさか、シリルを生け贄に差し出すつもりか?」


 その可能性に至ったランスロットが眉をひそめる。

 両国の関係を強化する方法はなにも政略結婚だけではない。相手国の望みを叶えることで関係を強化することも出来る。この国で魔術はさほど重要視されていないが、フレイムフィールド皇国にとっては貴重な存在である。

 ゆえに、シリルは政略結婚に勝るとも劣らないカードになり得る。


「不満か? シリルの存在はおまえにとっても邪魔だと思ったが?」

「たしかに、彼はフォル姉さんをたぶらかす危険人物だ。だが――」


 シリルがいなければ、フォルは余命いくばくもない状態だった。もしかしたら、なにもなすことが出来なかったと、失意のままに死んでいたかもしれない。

 シリルのおかげでフォルが希望を取り戻したことを、ランスロットはよく理解している。


「――彼は恩人でもある。彼を犠牲にすると言うのなら俺が許さない」


 普段は穏やかな緑色の瞳を炎のごとくに揺らし、友人であるはずのアーネストを睨みつける。その視線を真っ向から受け止めたアーネストは演奏の手を止めた。

 束の間の静寂が流れ――アーネストがふっと笑う。


「心配するな。シリルは俺にとっても恩人だからな」


 シリルがいなければ、ソフィアはメイドに苛められたままだった。もしかしたら、それが原因で性格が歪んでいたかもしれない。

 シリルのおかげでソフィアが明るくなったことを、アーネストはちゃんと理解している。


「あいつを害するつもりはない。なによりそんなことをしたら、俺がソフィアに恨まれてしまうからな」

「……俺もフォル姉さんに恨まれるのはごめんだ。だが、だったらどうするつもりだ?」

「簡単なことだ。シリルにとっての利を用意すれば良い」


 フレイムフィールド皇国はかなりの能力主義だ。

 かの国では、皇族であっても下級貴族の血を取り入れることは珍しくない。さすがに一介の貴族が皇族を娶るなど聞いたことはないが、やりようはいくらでもある。


「まさか、彼を貴族にするつもりか? ……シリルは、そこまでの逸材なのか?」

「ああ。妹の執事は優秀だ。生まれが違えば、あるいは俺の上に立っていただろう。だが、だからこそ、この計画はきっと上手くいく」


 シリルに莫大な利を与え、彼に恩を感じるソフィアやフォルをも喜ばせることが出来る。その計画を実行に移すべく、二人は真剣な顔で話し合いを始めた。

 

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