閑話 恋する乙女は止まらない

 私の名はアリシア。リンドベル子爵家の娘です。

 わりと自由奔放に育てられた私ですが、この日はとても緊張していました。第一王子の誕生パーティーに出席するからに他なりません。


「アリシア。私達は挨拶に回りますが、貴方は隅っこで大人しくしていなさい。くれぐれも他の貴族に粗相をしてはいけませんよ」


 煌びやかなパーティー会場の入り口で、お母様が念押しのように繰り返します。

 本来、私のような子供が大きなパーティーに出席することはまずありません。ですが王子の誕生パーティーは例外で、私のような子供も多く出席いたします。


 でも、だからこそ、私のような子爵家の娘は細心の注意を払う必要があります。

 なぜなら、子爵は下級貴族に分類されます。上級貴族が従える使用人の多くは下級貴族の出身だといえば、そこにどれほどの隔たりがあるか分かるというものでしょう。


 つまりは、原因が相手にあろうとも逆らってはいけない。もし言い争いでもしようものなら、お父様やお母様に多大な迷惑が掛かってしまうということです。

 何度も言い聞かされているので、いまではちゃんと理解しています。


「隅っこで大人しくしているので大丈夫です」

「それはそれで良くないのだけど……でも、いまの貴方はそれくらいが良いかもしれないわね」


 お母様が言うには、上級貴族の庇護を得るのがとても重要だそうです。庇護を得ることが出来れば、他の貴族が手を出さなくなるので、一気に世界が変わると言っていました。

 ただ、私はまだ礼儀作法が拙くて逆に上級貴族を怒らせかねないので、大人しくしている方が無難ということのようです。

 家庭教師の先生にも繰り返し言われていることなので、反論の余地はありませんね。


 そんな訳で、私は粗相がないように会場の隅で大人しくしています。

 周囲を見回せば、私と同じように肩身が狭そうにしている子供達がいました。おそらくは私と同じ下級貴族の子供なのでしょう。目が合うとぎこちない笑みが返ってくる。


 私は名乗りを上げて、その子供達に話しかけました。中には男爵家の娘さんもいましたが、私は気にしません。同じ下級貴族として仲良くしましょうと言うと目を丸くされましたが。

 ひとまず、下級貴族同士の穏やかな空気を作ることには成功したようです。

 だけど――


「ほう、下級貴族の集まりかと思ったが、なかなか綺麗な娘がいるじゃないか」

 不意に、そんな無粋な声が響く。驚いて顔を上げると、いかにも我の強そうな男の人が、まるで獲物を見定めるような目で私を見下ろしていました。

 それだけで、この人が逆らってはいけない相手だと理解させられます。


「娘。リード伯爵の息子である俺が話しかけているのに名乗りもしないつもりか?」

「ご、ごめんなさい。私はリンドベル子爵家のアリシアと申します」

「ふっ、子爵家か。ちょうど退屈していたところだ。しばらく俺に付き合え」

「え、あの……その……」


 そのときの私の心を支配していたのは恐怖だった。決して上位者に逆らってはいけない。そう理解してはいても、彼に従うことが怖くて仕方ない。

 怯えた私が周囲を見回すけれど、私に向けられるのは哀れみの視線のみ。他の人達は関わり合いになりたくないと言わんばかりに離れて行ってしまいました。


「なにをしている、早くこちらに来い」


 無骨な手が伸びてくる。

 恐怖に目をつぶった私だけど、だけどその手はいつまで経っても私に届きませんでした。


「彼女が嫌がっているでしょう。その辺にしてはいかがですか?」


 凜とした声に驚いて目を開くと、大きな背中が私の前に広がっていました。その背中が私を庇っているのだと知って、胸がとくんと高鳴るのを感じます。


「あん? なんだおまえは。俺がリード伯爵の息子だって知っての発言か?」

「これはこれは、リード伯爵のご子息でしたか。では後日あらためて――リード伯爵に苦情を申し上げた方がよろしいですか?」

「なっ? そ、それは……くっ。その必要はないっ!」


 あれだけ怖かった相手を、わずかなやりとりで追い払ってしまいました。そんな相手に私が抱いた感情は、言葉ではとても言い表せません。

 そして――


「お嬢様、大丈夫でしたか?」


 気遣うように私を見る彼を見て、私は自分の鼓動が早鐘のように高鳴るのを意識した。

 ど、どうしちゃったの、私。なんで、なんでこんなに胸がドキドキするの?


「お嬢様? あの、大丈夫ですか?」

「……え? あっ。だ、大丈夫です」

「そうですか。あなたが無事で良かった」

「――ふえっ!? あ、あぁあぁあっ、あの、その……あ、ありがとうございます」


 な、なんだか分からないけどドキドキする。落ち着いて、落ち着かなきゃダメだよ。相手は伯爵家の息子を一蹴するような相手。しっかりしないと、失礼に当たっちゃう!


「それでは、私はこれで失礼します」


 私を救ってくれた男の子が踵を返します。

 ここは下級貴族らしく、大人しく見送る――あれ? でも、私まだお礼を言ってない。というか、名前も聞いてない。ここで見送ったらそれっきり――


「あ、あの、私はアリシア。リンドベル子爵家の娘です。お名前を聞いても良いですか?」


 気付いたら、私は男の子の服を掴んでいました。

 失礼なって怒られるかなとドキドキする。だけど彼は気を悪くした様子もなくて、シリルという名前を教えてくれた。しかも彼は貴族ではなく、執事さんらしい。


「もし不快な思いをさせてしまったのなら謝罪いたします」

「いえ、うちも下級貴族ですから、気にしません!」


 私も将来はメイドになるかも知れない。だから身分的には上級貴族よりも執事の方が……なんて考えている自分に気づき、慌てて振り払おうとする。

 だけど、胸の高まりは一向に収まってくれません。


「その……良かったら一曲、私と踊っていただけませんか?」


 気が付けば、私はダンスをねだっていた。

 娘からダンスをねだるのは非常にはしたない行為とされている。それを忘れていた訳じゃないのだけど、こう……感情が暴走して止まれなかったのだ。


 後から思い出して顔から火が出そうなくらい恥ずかしい思いをするのだけど……だけどきっと、もう一度やりなおす機会があったとしても同じ選択をするでしょう。

 シリルさんとのダンスは、それだけ素敵な思い出でした。



「……アリシアお嬢様、パーティー会場でなにかあったのですか?」

「ふえっ、ど、どうしてそう思うの?」


 帰りの馬車の中、迎えに来たメイドのメリッサに問われて私は声が裏返るのを自覚した。


「どうしてもなにも……物凄く顔がにやけていますよ?」

「そ、そんなことないわよ? ……ないわよね?」

「どうぞ、ご覧ください」


 メリッサに手鏡を突きつけられて絶句する。どう見ても頭の中がお花畑になったようなだらしない顔の女の子が鏡に映っていたからだ。


「わ、私、こんな顔、してない……」

「鏡は嘘を吐きません」

「あう……」


 なんというか非常に恥ずかしい。というか、自分からダンスのおねだりまでして、よくよく考えたらはしたない女の子って思われたんじゃないかな?

 あぁでも、ダンスが下手な私を上手くリードしてくれるシリルさん、格好よかったなぁ……


「また顔がにやけていますよ。本当になにがあったんですか? 話していただければ、場合によっては協力できるかも知れませんよ?」

「……え、それ、本当?」


 私は思わず、マジマジとメリッサの顔を見る。


「ええ。私はお嬢様のメイド。お嬢様の幸せこそが私の幸せですから」

「そ、それじゃ教えて欲しいんだけど……」


 前置きを一つ、シリルさんに助けられたことを打ち明けた。


「執事を名乗る貴族のような少年、ですか。それで、お嬢様はなにを教えて欲しいんですか?」

「その……シリルさんに助けられてから、どうしてか胸がドキドキして落ち着かないの。私、なにかの病気になっちゃったのかな?」

「……そこからですか。初心なお嬢様は可愛いと思いますが……教えるか悩ましいところですね」

「協力してくれるって言ったじゃない」


 拗ねるように見上げると、メリッサは小さな溜め息をついた。


「分かりました。たしかに協力すると言いましたからね。それではお教えいたしますが、お嬢様の抱いている感情。それは……恋です」

「……来い? どこへ行けというの?」

「恋、恋愛感情。好きってことです」

「ふえっ、わ、私がシリルさんを……す、好き? ~~~っ」


 言葉にした瞬間、胸がどくんと高鳴った。

 自分の胸に渦巻いていた感情がなにかを理解して、顔がかーっと熱くなる。


「お嬢様、落ち着いてください。そのように取り乱してもなにも良いことはありません」


 ぴしゃりと放たれた言葉に息を呑んだ。酷く嫌な予感を抱いたからだ。


「メリッサ、良いことはないって……どういう意味?」

「アリシアお嬢様が一番に求められているのは有力な貴族との婚姻です。それが叶わなかった場合には、上級貴族のメイドなどの就職も未来としてはありますが……」

「シリルさんを好きなことがバレたら、お母様に反対される?」

「どこの貴族に仕える執事かにもよりますが、決していい顔はされないでしょうね」

「そんな……」


 急に景色が色あせていくような錯覚を抱く。わりと自由に育てられた私だけど、だからこそリンドベル子爵家のために生きるという気持ちはちゃんと持ち合わせている。

 シリルを好きという感情と、家のためにならないという事実がせめぎ合う。


「そのような顔をしないでください。協力すると言ったでしょう?」


 私はばっと顔を上げ、「どういうこと?」と、メリッサの言葉の続きを待った。


「旦那様や奥様が、お嬢様に有力な貴族との婚姻を望んでいるのは、家への利益とお嬢様の幸せを考えての結果です。であれば、その二つを満たせるのであれば……」

「相手がシリルさんでもかまわない?」


 私の問いに、メリッサはこくりと頷いた。だけど私には、執事であるシリルさんとの婚姻が家に利益をもたらすというのが良く分からない。


「教えて、メリッサ。どうすればお父様を味方に出来るの?」

「分かりません」

「分からないって……」


 ここまで来てそれはあんまりです。


「シリルさんが誰に使えているのかも分かりませんし、どうして貴族のような恰好をしていたのかも分かりません。それらが分からなければ、対策の立てようがありませんから」

「つまり……情報を集めろというの?」

「はい、情報があれば、旦那様や奥様を説得する道が見えるかも知れません。ただ、たとえ情報があったとしても、それをいかせなくては意味がありませんよ」

「……私が未熟だと言いたいのね」

「お嬢様はよく頑張っていらっしゃいます。それは私が良くしています。ですが、お嬢様の望みを叶えるには、今のままでは届かないと思います」

「そう、だね……」


 シリルさんのことを思い出します。背丈からして歳はきっと同じくらい。なのに、自分とは比べものにならないくらいしっかりしていました。

 いまの自分では、彼の隣にはとても立てないでしょう。


「メリッサ、今日からもっともっと、私のことを躾けてちょうだい」

「いまより厳しくしてよろしいのですか?」

「ええ、もちろんよ。中等部から学園に通うことにお父様が認めてくれるくらい厳しくして」


 歳を考えれば、学園で再会できる可能性が高いです。彼ともう一度会うためにも、彼のことをもっと良く知るためにも、中等部へ通うことは重要に違いありません。


 だから、私はその日から心を入れ替え、礼儀作法を始めとした勉強に取り組みました。

 メリッサ達はとても厳しかったけれど、その甲斐あってお父様から中等部への入学許可をもぎ取ることに成功します。最後は、根負けさせた気がしますけど。


 とにかく、中等部への入学をもぎ取った私は学園でシリルさんを探し続け、ついには新入生歓迎パーティーで再会することが出来たのです。

 ――信じられないくらい綺麗なお嬢様と寄り添うように立っているシリルさんと。

 

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