閑話 ライモンドの決意 前編
いまより十数年ほど昔。とある下級貴族に仕える執事とメイドが結ばれ、主を初めとした屋敷の人間から祝福を受けた。
執事は変わらず主に仕えたが、メイドは身籠もると同時に仕事を辞めて家庭に入る。そうして生まれたのがライモンドだ。
父のライオネルは忙しいながらも、家に帰ってくると屋敷や主の話を語ってくれた。そうして使用人という仕事に憧れる彼に、母のマーシアが使用人としての作法を教えてくれる。
幼いながらも、彼は父や母のような使用人になることを夢見ていた。いや、夢見ていただけではなく、その夢を現実に変えるためにたゆまぬ努力を続けていた。
そんな彼が十二歳になったある日、運命を左右する転換期が訪れる。第一王子の誕生パーティーに出席する主が、連れて行く使用人の一人にライオネルを選んだのだ。
遠出に同伴するのは主からの信頼が厚い証として大変名誉なことである。それも、第一王子の誕生パーティーのお供ともなればなおさらだ。
ライモンドの家では、その名誉にささやかなお祝いがおこなわれた。
「おめでとう、あなた。あなたならいつか認めてもらえるって信じていたわ」
「ありがとう、マーシア。我が主は、おまえのことも覚えていたよ」
「まあ……」
マーシアが懐かしそうに目を細めた。
「父さん、ご主人様のお供、おめでとう! 俺、父さんの子供で誇らしいよっ」
「父さん、おめでとう!」
「お父さん、おめでとう~?」
弟はともかく、一番幼い妹は良く分かっていないようだ。だけど、みんなが喜んでいるというのは伝わったのだろう。無邪気な笑顔でお祝いの言葉を口にする。
ささやかだが、温かい家庭。ライオネルはその幸せを噛みしめた。
そうして、旅立ちの日がやって来た。
「ライモンド、私が留守の間を任せたぞ」
「もちろん、任せといてくれよな! 俺も絶対、将来は父さんみたいな、主に信頼される執事になるんだからな!」
にかっと満面の笑みを浮かべる。
彼は両親はもちろん、弟たちのことも心から可愛がっている。だがそれだけでなく、日々の生活こそが、使用人として飛躍するための糧となることをライモンドは意識している。
自分の身の回りのことすら出来ぬ者が、主の身の回りの世話など出来るはずがない。弟たちの機微を察して世話をすることもまた、使用人には必要なスキルを磨くことになる。
ライモンドは家族の世話を、いつか仕える主の世話に見立てているのだ。
努力家で真面目であるがゆえに、将来はとても優秀な執事となるだろう。
だが、少々責任感が強すぎるきらいがある。将来、家族や主のために自分を犠牲にするような選択をしないか、ライオネルは少しだけ憂慮していた。
だが、彼が主を得るまでにはまだまだ時間がある。それまでに自分が導いていけば良いと考え、良い子だとライモンドの頭を撫でた。
「おまえがしっかりと留守番が出来たら、お屋敷の見学が出来るように主に頼んでやろう」
「え、本当か!?」
「ああ、本当だ。おまえも来年から王都の学園に行くことになる。その前に、屋敷の者達に顔繋ぎをしておくのは重要だからな」
貴族の家の使用人は、信頼できる家の者が選ばれる。代々使用人を輩出する名門が存在するのはそんな理由だ。
子供のころから屋敷に上がり、使用人達に顔を売っていく。そうして信頼を築き、実力を見せていくことで、将来はその家の使用人として雇ってもらうのだ。
その第一歩を許された。
ライモンドが無邪気に喜ぶのも無理からぬことだった。
「ありがとう、父さん! 俺、頑張って父さんの留守を守るからな!」
「ああ、任せた」
こうして、彼は家族にしばしの別れを告げる。
主の遠出に同行するライオネルは、誇らしげな顔で出掛けていく。それが最後の別れになることを、このときは誰も想像していなかった。
知らせが入ったのは、帰宅予定を過ぎて数日経ったある日のこと。ライオネルの同僚を名乗る初老の男が、ボロボロの遺品を持ってやって来た。
彼は酷く言いづらそうに、馬車の事故でライオネルが亡くなったと告げた。当主の乗る馬車が崖から転落して、供をしていたライオネルも亡くなったそうだ。
「転がり落ちて壊れた馬車の中で、ライオネルは主を庇うように覆い被さって亡くなっていたそうだ。私は、彼を尊敬するよ」
その言葉を切っ掛けに、ライモンドや母は堰をきったように泣き崩れた。
その後、落ち着きを取り戻したライモンド達に、ライオネルの同僚は少し話をして去っていった。そうして残されたのは父の遺品と見舞金のみとなった。
マーシアは気丈にも立ち上がり、子供達に事情を話す。
けれど――
「父さんが、死んだ?」
「お父さん、しばらく帰れないの? いつごろになったら帰ってくるの?」
事態を理解した弟に対して、妹は父が死んだと言うことを理解できないようだ。無邪気で残酷な質問に、マーシアは子供達を抱きしめて泣きじゃくった。
だが、ライモンドはその輪の中に入らなかった。すぐに部屋に行き、見舞金の金額からこの生活を維持できる期間を算出しようと蝋板と鉄筆を使って計算を始める。
だが、その文字が滲んで上手く読み取れない。彼はそのときになって初めて、自分が泣いていることに気が付いた。
「泣くな、泣くな俺! 父さんは、留守を頼むと俺に言ったんだ。執事を目指す人間が、家族くらい護れなくてどうする!」
袖で涙を拭い、ぐしゃぐしゃの顔で計算を再開する。強いからでは決してない。そうでもしなければ、この悲しみに耐えることが出来ないだけだ。
もしもここにライオネルがいたら、息子の痛ましい姿に胸を痛めただろう。
ライモンドはいま、悲しみと責任感に押し潰されそうになっている。だが、そんな強すぎるライモンドの責任感を憂慮していた父親はもういない。
ライモンドは必死に、これからの生活についての見通しを立て続けた。
どれくらいそうしていただろう?
ライモンドの計算が、ライモンドや母親が働いた場合などにまで及んだ頃、弟たちをあやしていたはずのマーシアがやって来た。
「母さん、あいつらは大丈夫なのか?」
「ええ、あの子達は疲れて眠ってしまったわ。あなたこそ大丈夫なの?」
「もちろん大丈夫だよ。見てくれ。見舞金を上手くやりくりして、俺や母さんが町でなにか仕事を見つければ、なんとかやっていけそうだ」
誇らしげな顔でライモンドが差し出した蝋板。そこに導き出された数値を、かつてメイドとして働いていたマーシアは理解することが出来た。
だけど、だからこそ、マーシアは眉をひそめた。
「ライモンド、あなた……夢を諦めるつもりなの?」
ライモンドの立てた計画はこうだ。
まずはマーシアがメイドとして培ったスキルを活かせるような仕事――ウェイトレスや針子のような仕事について、ライモンドは早急に弟が妹の面倒を見られるように教育する。
そして弟に留守番を任せられるようになれば、ライモンドもすぐに仕事を始める。
上手くいけば、見舞金をある程度残すことが出来る。そして数年後の稼ぎが安定していれば、王都の学園に入学することも不可能ではない――二人くらいは。
ライモンドは、自分の夢を捨てて、弟たちが王都の学園に通えるようにするつもりなのだ。
「こんなことをしなくても、私がメイドとして働けば済む話でしょ? お給金はその辺りで働くよりもずっと多くいただけるもの」
「それは無理だって、母さんも分かってるだろ」
当主の座は、息子が継ぐことになったらしい。だから、いままで当主に仕えていた使用人達は、引き続き仕えることになるはずだ。
ゆえに、マーシアが復帰することも不可能ではない――普通なら。
御者が悪いのか不運が重なっただけかは分からないが、結果として当主は亡くなった。当主に同行したライオネルは当主を護れなかった。
本来であれば、断罪されたっておかしくはない。
見舞金をもらえただけでも奇跡に等しい。あらたな当主は慈悲深いと言えるだろう。だが、そこまでだ。一度は辞めた、それも当主を護れなかった執事の妻が返り咲くことは叶わない。
顔繋ぎすら出来なかったライモンドは言わずもがなである。
「……そう、ね。たしかに、私が復帰するのは難しいかも知れないわね。でも、だからって、貴方が夢を諦めることはないわ」
マーシアはライモンドから鉄筆を奪い、あらたな数字を書き込んだ。それは決して多くはないが、それでも少なくない金額だった。
「あなた達が学園に通えるように少しずつお金を貯めていたのよ。これを使えば、あなたが学園に通うことは可能でしょう? 弟達を守るのは、その後でも遅くはないわ」
マーシアはライモンドが普通に働いて得るはずの収入を消し、代わりに自分が働く時間を増やすことで収入を増やして見せた。
その計画通りに事が運べば、ライモンドが三年学園に通い続け、弟が学園に入学するまではなんとかなる。
三年後に、ライモンドが働き始めればなんとかなる。つまり、三年で奉公先を見つければ、夢を諦める必要はなくなるという計算だ。
だが、その計画通りに事が運べば、だ。マーシアはさらっと収入を増やして見せたが、それは明らかなオーバーワークだ。
そのような無茶を続ければ、一年と待たずして身体を壊すだろう。
「母さん、いくらなんでもこんなに働くのは無茶だ」
「お黙りなさい。弟達のために自分の夢を犠牲にしようとしたあなたに反論する資格はありません。私が大丈夫だと言っているのだから、素直に言うことを聞きなさい」
マーシアはぴしゃりと言ってのけ、それからライモンドの顔を覗き込んで表情を和らげた。
「ねぇ、ライモンド。弟達を守ろうとする貴方はとても立派よ。でも、だからこそ、あなたにはちゃんと夢を叶えて欲しい。だってそれは、あの人の願いでもあったでしょう?」
マーシアはライモンドを優しく抱きしめた。
けれど、その身はわずかに震えている。
辛いのは自分だけじゃない。母親もまた自分と同じように、悲しみと責任感に押し潰されそうになりながら、それでも前に進もうとしている。
それに気付いたライモンドに、それでもダメだと言うことは出来なかった。母親の温もりから抜け出して、再び鉄筆を取り返して蝋板にあらたな数字を書き込んでく。
主な変化は、マーシアの労働時間の減少である。
「……ライモンド?」
「一年だ。俺が一年であらたな主を見つけてみせる」
「……貴方、それがどれだけ無茶か分かってる? 普通は高等部を卒業してから。中等部を卒業した時点で雇ってもらうだけでも大変なのに、一年だなんて……」
「無茶は承知だよ、母さん。でも、俺は弟達はもちろん、母さんも犠牲にしたくない。誰も犠牲にせず、自分の夢も諦めないにはこれしかないんだ」
青みを帯びた瞳でまっすぐに母親を見つめる。
その曇りない瞳を向けられたマーシアは、やがて小さな微笑みを浮かべる。
「いつか、ライオネルが言っていたわ。ライモンドは優秀だが、自分を蔑ろにするきらいがある。それを正すことが出来たのなら、あいつは必ず立派な執事になる、って」
「……父さんが、そんなことを?」
「ええ。だから、私はライオネルとあなたを信じます。一年でなんとか出来るというのなら、やってみなさい。私は出来る限りの協力をしましょう」
「ありがとう、母さん。必ず、一年で執事になってみせるよ」
こうして、ライモンドは一年で主を見つけるための準備を始めた。
最初におこなったのは、主とするべき候補のリストアップだ。
家族全員を守るのなら、少し裕福な商人の使用人程度では足りない。出来れば弟達が学園に通えるように支援してくれる者が望ましい。
それが可能なのは貴族くらいだろう。
だが、上級貴族の多くは、下級貴族の継承権のない子供を雇うことが多い。下級貴族であっても、代々家に仕える者や、信頼の置ける人脈を使うのが常だ。
身元を保証してくれる後ろ盾を失ったライモンドが就職するのは難しい。
ライモンドの家に支援するだけ裕福で、なおかつライモンドを雇ってくれる可能性がありそうな雇い主なんてそうそう見つからない。
だが、そんな中で一人だけ、可能性のありそうなご令嬢の噂を聞いた。
ライオネルが主と最後に出席したパーティーで噂の的となったご令嬢。彼女の実家は侯爵家でありながら、平民の生まれである使用人を多く雇用しているらしい。
そんな侯爵家の娘が、偶然にもライモンドと同い年。しかも侯爵家の令嬢であれば、中等部から学園に通うはずだ。
コースが違うために接触する機会は限られているが、それでも皆無ではないはずだ。
これほど条件が揃った相手は二人といない。これは神様がくれたチャンスだと、ライモンドは彼女に接触する計画を立て始めた。
それは奇しくも、シリルが専属執事となった直後の出来事だった。
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