戯曲 光と闇のエスプレッシーヴォ 後編 2
連休明けの初日。
俺達の淡い期待も虚しく、フォルは学校を休んでいた。その結果、放課後の生徒会室でそのことを知ったアリシアが、お見舞いに行きたいと言い出す。
だが、いまではアルフォース殿下だけでなく、ソフィアお嬢様もフォルが王族だと知っている。軽々しくお見舞いに行こうなどとは言えない。
ゆえに、二人はアリシアの要望に沈黙で答えた。
「どうしちゃったんですか、二人とも。生徒会の仲間が病気なんですよ?」
「分かっています。だけど、フォル先輩は……」
ソフィアお嬢様の言葉は歯切れが悪い。本音ではお見舞いに行きたいのだろう。それを察したのか、アルフォース殿下が「行きましょう」と声を上げた。
「アルフォース殿下はフォル先輩のお家を知っているんですか?」
なにも知らないアリシアが首を傾げる。
その後、アルフォース殿下が案内すると言って馬車を手配してくれたのだが、馬車は当然王城に入っていくわけで――
事情を知ったアリシアがご令嬢らしからぬ声を上げたのも無理からぬことだろう。
案内された王城の待合室。
アルフォース殿下が面会を取り付けてくれるとのことで、俺達は許可が下りるのを待っていたのだが、アリシアはいまだにショックが抜けきらないようだ。
「いつまで驚いているのですか?」
「だ、だって、王族ですよ? 私、王族にあんなに馴れ馴れしく接して……先輩とか呼んじゃって、不敬罪で叱られたりしないでしょうか?」
過去の言動を振り返って不安を抱いているようだが、アリシアはアルフォース殿下をヴァイオリンの練習相手扱いしていたことを忘れているのだろうか?
王族に馴れ馴れしくと言われても今更感が強い。
「心配せずとも、彼女がそのような理由で怒ることはあり得ません。王族としてではなく、一人の先輩として接して欲しかったからこそ、身分を明かさなかったのです」
「……そう、なんですか? というか、シリルさんは知っていたんですか?」
詳しくは語れないのでこくりと頷く。それを見たアリシアが「知っていて先輩呼び……シリルさん凄いです」と呟いた。
人というのはやはり、自分のことになると意外と見えなくなるものなのだろう。
その後、フォルへのお見舞いの許可は下りたのだが、少人数に分けて欲しいという要請があり、まずは俺とソフィアお嬢様がお見舞いをすることになった。
そうして待合室で待つ俺達を迎えに来たのは――ルークとクロエだった。
「……そうですか。あなた方の仕える相手というのは」
「ああ。俺とクロエはフォルシーニア殿下にお仕えしている」
それで色々と繋がった。フォルの教育係である女性の正体や目的。俺の立てていた仮説が、ほんの少しだけ信憑性を帯びてくる。
だが、まだその仮説が真実かどうか分からない。だからそれをたしかめるために、俺はソフィアお嬢様と共にフォルのもとへと案内してもらった。
案内されたのはフォルの寝室だ。
王族の――それも年頃の娘が暮らすにはあまりになにもない。彼女がいつもペンを走らせていた日記帳だけが、彼女の生きた証だと言わんばかりに棚に並べられている。
そんな部屋の真ん中。
お姫様ベッドの上で、フォルは上半身だけを起こしていた。
「ソフィア、それにシリルも。わざわざお見舞いに来てくれたのね」
「……フォル先輩、こんにちは」
ソフィアお嬢様は令嬢らしからぬ挨拶をする。
だが、ソフィアお嬢様が言葉に困るのも無理はない。ブロンドの髪は心なしかくすんでいて、顔も少し青白い。見ているだけで痛々しい有様だ。
「先日は心配を掛けてごめんなさいね」
「そんな、謝らないでください。フォル先輩はなにも悪くありません」
「……私のこと、まだ先輩と呼んでくれるのね」
フォルは少しだけ悲しげに、だけどそれ以上に嬉しそうな顔をする。見ているだけで胸が張り裂けそうになる笑顔を浮かべた彼女は、関わってごめんなさいと呟いた。
「……どうして、どうしてそのようなことを言うんですか?」
「知っているでしょう? 私はもう長く生きられない。なのに、私は貴方達と仲良くしてしまった。いつか、悲しませると知っていたのに」
「それがなんだというのですか! いつか悲しい別れが訪れるのだとしても、フォル先輩と関わったことを後悔なんていたしません!」
「……後悔、してないの?」
フォルが驚いたように目を見開いた。
「後悔なんてするはずがありません。もしもう一度、あの日をやりなおすことが出来たとしても、わたくしはフォル先輩と仲良くなる道を選びます」
「……ありがとう。そんな風に言ってもらえるとは思っていなかったわ」
フォルが少しだけ照れくさそうに笑う。
それから、彼女はぽつぽつと現状を話し始めた。それは彼女のメイドから聞いていた話とあまり変わらない。あと半年持つかどうか分からないという話だった。
病名も探りを入れてみたが、やはり教えてはくれなかった。
ただ、このままずっと寝たきりになるわけではないようだ。ときどき容態が悪化することもあるが、それが治まればまたいつものように活動できるそうだ。
「貴方達にお願いがあるの。予定通りに演劇を公演させてもらえないかしら?」
「……演劇を、ですか? お体に障るのではありませんか?」
「そうかも知れないわね。でも、生きた証を残したいの」
彼女の切なる願いに、ソフィアお嬢様は胸を押さえた。
「最初は日記だけで良いと思ってた。でも、貴方達の楽しそうな演奏を聴いて思ったの。日記だけじゃなくて、私も誰かの心に残るようなことをしてみたいって」
それが、心変わりをしてソフィアお嬢様の生徒会入りを認めた理由。
誰かの心に残りたい。忘れられたくない。
それはきっと、死から逃れられないと知った彼女の精一杯の抵抗。死にたくないという悲痛な叫びを感じて胸が苦しくなった。
ソフィアお嬢様が俺へと視線を向ける。
意見を求められていると感じた俺は、こくりと頷くことで応じた。それに後押しされたように、ソフィアお嬢様はフォルへと視線を戻す。
「分かりました。演劇は予定通りやりましょう」
「……良いの?」
フォルの青い瞳が見開かれる。
「短い期間ですが、フォル先輩にはとてもよくしてもらいました。あなたの願いを、わたくしが拒絶する理由はありません」
「……嬉しいわ。クロエもルークも身体に障るから止めて欲しいって言うのよ」
主の身を案じない従者はいない。
だが、誰かに仕える以上、主が自分の意に反する望を抱くことがある。それでも、主が心から願うのなら、その望みを叶えるのが使用人の役目だと俺は思っている。
だからこそ、クロエやルークは俺達の面会を止めようとはしなかった。
フォルはそれを理解しているのだろうかと、使用人の立場としての疑問が湧き上がる。
……いや、彼女であればきっと、クロエやルークの想いは理解しているはずだ。だって、彼女はソフィアお嬢様と良く似ている。
理解した上で思い出を残したいと彼女が願うのなら、他人が口を出すことはなにもない。
そう考えた俺は、一歩下がって二人の会話を見守った。
こうして、生徒会の演劇は予定通りに行われることが決まった。
ただ、あまり長時間のお見舞いは身体に障ると、話はそこそこに切り上げることになったのだが……立ち去る間際になって、フォルが俺に話しかけてきた。
「シリル、私の教育係があなたに興味を持っているわ。理由に心当たりは……あるかしら?」
唐突な――けれど予想通りの言葉。お嬢様が同席していることを少しだけ憂慮するが、フォルは肝心なところをぼかしている。その辺りの気遣いはしてくれるようだ。
だが――
「あなたの質問に答える前に、二つお聞かせください。その教育係というのは、あなたにとってどういう人間ですか?」
「私にとって? ……そうね。ソフィアにとってのあなたかしら」
自分で言うのはなんだが、客観的に考えるなら、信頼の出来る使用人という意味だろう。だがそれだけなら、ソフィアお嬢様にとっての俺、などとたとえる必要はない。
ソフィアお嬢様の想いを知っている可能性もあるが、フォルの教育係は『彼女』と言うことなので、そういうニュアンスは含んでいないだろう。
だとすれば、それ以外のニュアンスを含んでいると考えるべきだ。
たとえば――転生者とその教え子という関係。フォルの教育係が転生者であり、俺が転生者であることも疑っている。そのことをフォルが知っている可能性は高い。
だが――
「では二つ目の質問です。あなたは教育係の目的をご存じですか?」
「あなたが彼女と似ているから、じゃないかしら」
「……なるほど」
転生者同士だからという意味。だが、フォルは憶測で語った。教育係がなぜ別の転生者を捜しているかは知らないと言うニュアンスだ。
教育係が、フォルに事情を説明しない理由にはいくつか心当たりがある。そして、信頼関係があるというのなら、その理由は更に絞ることが出来る。
最初は現実的な可能性としては認識していなかった。
だが、入学試験のダンスを踊ったときにソフィアお嬢様が口にした言葉。そして、いまフォルが口にした言葉。それらから考えると、『彼女』の正体が見えてくる。
だから――
「ぜひ、教育係と話をさせていただけますか?」
俺もその教育係に興味があるとのニュアンスを込める。
「……あなたは、彼女の好奇心を満たせるというの?」
「さあ。それは話を聞いてみなければ分かりません。もしかしたら、お役に立てないかも知れません。ですが、私は話をしてみたいと考えています。そうお伝えください」
俺の仮説が正しければ、教育係には十分に意図が伝わるはずだ。
けれど――
「分かったわ。なら、文化祭の後に彼女とあなたが話せるようにするわ」
事情を知らないであろうフォルがそう口にした。出来れば早いほうが良いとさり気なく伝えるが、文化祭までは好きにさせてもらうと約束しているらしい。
文化祭まで残り二週間ほど。
残された時間が少ないのは、当然ながら『彼女』は分かっているはずだ。そのうえで二週間後で大丈夫だと判断したのなら、それからでも間に合う算段があるのだろう。
他人の判断に委ねるのは不安があるが……大丈夫だという予感もある。その根拠を他人に話せば笑われるかも知れないが、おそらくは間違っていないという根拠がある。
だから俺はフォルの提案を受け入れ、文化祭の最終日に『彼女』と会う約束をした。
その日の夜、俺はグレイブ様に呼び出された。
執務室で待つ彼は、どこか憔悴しているように見える。侯爵家を束ねる立場として、俺には及びもつかないような重責を背負っているのだろう。
「シリル、そなたにいくつか話がある。まずは演劇のことだ」
グレイブ様には当然、お嬢様が演劇をすることは伝えている。
娘を溺愛している彼は、なんとか演劇を鑑賞できないか予定を空けようとしていたので、用件はそのことかと思ったのだが――違った。
「国王から非公式の依頼があった。演劇を必ず成功させて欲しい、と」
フォルの切なる願いが国王の耳に入ったようで、姪をよろしく頼む的な話をされたらしい。
あくまで世間話的な感じだったそうだが、国王からの頼みなうえに内容が内容だ。断ることはもちろん、失敗も許されない状況に追いやられた。
とはいえ、他ならぬソフィアお嬢様が演劇に乗り気な以上、どのみち答えは決まっている。
「お任せください。必ず成功させてご覧に入れます」
「うむ。そなたに任せておけば安心だろう。……と言いたいところだが、一つ忠告しなければならない。演劇にかかわらず、そなたはしばらく行動を自重するように」
即座に頷くことは出来なかった。なにより、なぜそんなことを言うのか、その意図が読み取れない。俺は素早く考えを巡らせた。
「私に舞台に関わるな、と言うことでしょうか?」
俺はナレーションでしかない。
けれど、その演劇は王族や侯爵令嬢が中心になって開催される。それに参加すると言うことは、それだけで非常に名誉だと言える。
「いや、そこまでは言わぬ。これはそなたのための忠告だ。そなたは随分と派手に動いたことで王族に目を付けられている。心当たりはあるであろう?」
「……はい。アルフォース殿下の臨時教育係の件ですね」
王妃からの許可が出ているとはいえ、客観的に見るとかなりの大事だ。他家の執事、それも子供が王族に対して偉そうな口を利いている。
顔をしかめる者がいてもおかしくはない。
「……いや、他にもあるであろう」
「無論、心当たりはありますが……それが問題になっていると言うことでしょうか?」
侯爵家の執事が生意気だ――と、そういう話なのかと考える。だが、それに対してグレイブ様は即座に否定した。
「王族からは感謝の言葉を賜っている。だが、それが問題なのだ。そなたは完全に、王族から目を付けられている」
「……なるほど」
引き抜きかなにかの話があったのだろう。
もし王族に引き抜かれたら、俺はソフィアお嬢様の側にいられなくなる。それが嫌なら、これ以上目を付けられるなということだ。
付け加えるなら、それを俺に伝えるということは、王族の要請を断ってくれたのだろう。ゆえに、俺はご忠告に感謝いたしますと頭を下げた。
……だが、アルフォース殿下の教育は今更な上に、ソフィアお嬢様の為であることを考えると断りがたい。演劇も王族の要請通りに成功させるためには、ある程度前に出る必要がある。
なかなか厄介な状況に陥ってしまったようだ。
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