戯曲 光と闇のエスプレッシーヴォ 後編 1

 合宿の成果によって、ソフィアお嬢様は悪役令嬢としての凄味を増した。アルフォース殿下やアリシアはまだ少しぎこちない部分が残るが、それでも確実に成長している。

 連日行われた練習の成果は確実に現れていた。


 だが、ソフィアお嬢様に勝るとも劣らない存在感を放っていたフォルが、この日は朝から少しだけおかしかった。ずっと顔をぽーっと赤く染めているのだ。明らかに体調不良だが、フォルは心配する周囲に問題ないと言って聞かず、朝からずっと練習を続けていた。

 そして――


「――フォル先輩!?」


 相手役を務めていたソフィアお嬢様の悲鳴が訓練室に響いた。それとほぼ同時に、フォルの上半身が傾いだ。ピンクゴールドの髪をなびかせ、板張りの床に倒れ行く。

 ――寸前、その身体を抱き留めた。

 いつかこうなるかも知れないと警戒していたおかげで間に合った。

 板張りの床に叩き付けられることは防げたが、腕の中に収まったお姫様はぐったりとしている。倒れた原因が、少し足を滑らせた程度の話でないことは明らかだ。


 近くのソファに寝かせて脈拍を取る。少し脈が速いが、稽古の直後と考えれば異常なレベルではないだろう。ただ、青い瞳がいまは赤みを帯びている。

 魔力過給症による、魔力飽和状態だ。

 だが、魔力過給症で倒れるとは思えない。体調不良が引き金となったとみるべきだろう。つまり、他に原因があるはずだと考えていると、フォルのメイドであるリアが駆け寄ってきた。

 その手に錠剤が握られていたのですぐに場所を空ける。


「お嬢様、お薬です」

「あり、がとう……」


 フォルが差し出された薬を口に含む。水もない状況でこくりと白い喉を鳴らして飲み下した。間違いなく、同じような状況で薬を飲み慣れている。

 だが、魔力過給症であれば薬など必要としない。


「フォル先輩は……病気なのですか?」


 皆の内心を代表するかのように、ソフィアお嬢様がリアに問い掛けた。


「申し訳ありません。わたくしの口からは……」

「かまわない、から、話して、あげなさい」


 瞳を閉じていたフォルがぽつりと呟いた。

 許可を得たリアが頷く。


「先にお嬢様をベッドに寝かせてくるので、皆様はリビングでお待ちください」


 彼女はフォルを抱き上げて訓練室を出て行った。

 それを見届けた俺達は言われたとおりにリビングへと移動するが、待っている間の空気が重い。フォルとリアのやりとりから、ただならぬ気配を察したからだ。

 そして、そんな嫌な予感ほど良く当たる。

 戻ってきたリアは、フォルが死病を患っていると告げた。


「そんな……」


 声にならない声を漏らしたのは誰だったのか。

 ソフィアお嬢様が信じられないと目を見開いていた。この数日で急速に彼女との仲を深めたからだろう。赤く染まった瞳には絶望が滲んでいる。


 アリシアや――そしてアルフォース殿下も似たような反応なので、フォルは自分の従弟にすら病気のことを話していなかったようだ。

 唯一、可能性を考慮していた俺だけが平常心をたもっていた。

 だから――


「その死病というのは、どのような病気なのですか?」


 俺は執事としての領分を越えて、彼女のプライバシーへと踏み込んだ。

 けれど、リアは謝罪と共に首を横に振る。


「病名はご容赦ください。現代では治療方法の存在しない死病ですが、みなさんに移るような病気ではないとだけお伝えしておきます」

「……そう、ですか」


 病の中には偏見を持たれるような種類が存在する。

 たとえば、魔力過給症がその一つだ。

 あれは不治の病であっても死病の類いではないが、精神的に不安定になる病気として認識されている。偏見をもたれるような死病であれば、その病名を伏せたがるのは当然だろう。

 少なくとも、リアにこれ以上聞いても困らせるだけだ。


「……分かりました。では、容態について教えていただけますか?」


 後どれくらい生きられるのか――と、遠回しに問い掛けた。

 俺の心ない問い掛けにリアがきゅっと唇を噛む。けれど、ソフィアお嬢様はもちろん、アリシアやアルフォース殿下も口を挟まなかった。

 彼女達もまた、その答えを知りたいと思っているからだろう。


「……お医者様には、中等部の卒業は難しいだろう、と」


 周囲から息を呑む声が聞こえた。

 フォルは三年生で、いまは夏。この世界にはゆるやかながらに四季が存在するので、リアが突きつけたのは、フォルがあと半年ほどしか生きられないという現実に他ならない。


 心配になってソフィアお嬢様に視線を向けると、その瞳が悲しみに染まっていた。

 無理もない。まだ仲良くなったばかり……いや、仲良くなったばかりだからこそ、初めての対等な相手に強い好意を自覚していた。

 その相手がもう永くは生きられないと聞かされたら落ち込むのは当然だ。


 結局、その日はまともに稽古が出来るはずもなく合宿は終了。フォルも迎えの馬車に乗せられて帰還。各々が自分達の馬車で帰ることとなった。



 合宿からの帰り道、俺やルーシェはソフィアお嬢様と同じ馬車で揺られていた。けれど、俺はもちろん、お調子メイドのルーシェも今日ばかりは口を利かない。

 俺の隣に座っているソフィアお嬢様が、沈んだ様子で窓の外を眺めているからだ。


 今回の一件で、ソフィアお嬢様の心に深い悲しみを抱かせてしまった。フォルの言うとおり、ソフィアお嬢様に生徒会入りを諦めるように説得しておけば良かった。

 ――などと、悔やんだりはしない。


 フォルが他人を拒絶するのは、遠くない未来にいなくなるからと予測していた。そのうえで、俺はフォルとの出会いが、ソフィアお嬢様にとってプラスだと判断したのだ。


 ただし、誤算もあった。

 フォルの健康状態から、深刻な状況である可能性は低いと思っていた。数年後に政略結婚などで遠くへ行く可能性、もしくは田舎で療養する可能性が高いと思っていた。

 余命があと半年くらいと言うのは、予想しうる中では最悪のケースだ。


「シリル」

「はい、お嬢様」


 呼びかけに応えるが、ソフィアお嬢様は沈黙してしまう。それだけで、お嬢様がなにを言いたいのか察することが出来る。だからこそ、早めに否定する必要がある。


「残念ですが、ローゼンベルク侯爵家の力をもってしても、彼女の病を治すことは不可能だと思われます」

「なぜ、ですか? 彼女は伯爵家を後ろ盾に持っているだけの平民でしょう? であれば、最先端の医療を受けられないだけかもしれないではありませんか」

「彼女が本当に伯爵家を後ろ盾に持つだけの平民であれば、そうだったかも知れませんね」

「……違うの、ですか?」

「ええ。彼女の本当の名はフォルシーニア。この国の王族でございます」


 ソフィアお嬢様が目を見開いた。


「知っていて……黙っていたのですか?」


 ソフィアお嬢様の瞳が揺れている。俺が隠し事をするとは思っていなかったのだろう。


「はい、知っていました。彼女が王族であることは無論、近々いなくなる可能性も察していました。そのうえで、ソフィアお嬢様に黙っていました」

「どうして黙っていたのですか?」

「……それは」


 とっさには答えることが出来なかった。覚悟できていたはずなのに、お嬢様に罵られることを恐れているのだと自覚する。

 だけど、それでも、これは俺が選んだ結果だ。


「秘密にしていたのは、その方がお嬢様のためだと思ったからです。彼女の身分や境遇を知ってしまえば、お嬢様は気遣いを優先させてしまうでしょうから」


 フォルも、ソフィアお嬢様も、身分が下の者にも優しく接することの出来る女の子だ。だけど同時に、身分が高い者への敬意を忘れることが出来ない貴族でもある。


 アリシアが良い例だ。

 俺のことが絡んでいるので難しい部分もあるが、性格的な相性はかなり良い。だが、身分の差が二人のあいだに遠慮を生んでいる。

 気の合う友人ではあっても、親友だとは言い難い。


 だが、ソフィアお嬢様はフォルを先輩と呼んで慕っている。もしもフォルの身分や境遇を知っていれば、ソフィアお嬢様が彼女を先輩と呼ぶことは無かっただろう。


 それが、俺がフォルの素性を黙っていた理由。

 だけど――


「本来はお嬢様にお知らせすること。それを黙っていたのは私の独断です。ですから、どのような罰でも受ける覚悟は出来ています」


 深々と頭を下げる。

 恨まれたって仕方がない。罵られたって文句は言えない。そんな風に思っていたのに「顔を上げなさい」と紡がれたお嬢様の声は悲しみに満ちてなお凪いでいた。


「たしかにショックでした。ですが、シリルはいつだってわたくしのことを考えてくれている。それを今更疑ったりはしません」


 それは、俺の独断を許すと言うことに他ならなかった。

 アメジストの瞳には一点の曇りもない。フォルと出会い、親友になったことを少しも後悔していないと、ソフィアお嬢様はそう言っているのだ。


「……本当に、ソフィアお嬢様は強くなりましたね」

「シリルが側にいてくれるからですよ」


 謙遜だと思った。

 ――だけど、それが間違っていることをすぐに思い知らされた。ソフィアお嬢様の手が、俺の服の裾を掴んでいることに気が付いたからだ。


「……ソフィアお嬢様?」

「――ご、ごめんなさい」


 無意識の行動だったのだろう。ソフィアお嬢様が裾を放そうと手を引っ込める。だけど、その手は服の裾を放してくれない。俺の服がぐいっと引っ張られた。


「あ、あれ? ちょっと待ってくださいね。すぐに放しますから」


 そんなお嬢様を見ていると胸が張り裂けそうになる。せめてもの想いを込めて、そのままでかまわないと、お嬢様の手に自分の手を重ねた。


「……シリル?」

「私はどこへも参りません。これからもずっと、いつだってお嬢様の側にいます」


 幼き日の誓いを口にする。フォルという身近な人間を失う事態になり、ソフィアお嬢様は少しだけ臆病になっている。そのことにようやく気付かされた。


「……本当、ですか? シリルはどこへも行きませんか?」


 凜とした雰囲気が壊れ、幼い頃の弱虫なお嬢様が顔を出した。大人になったように思っていたけれど、寂しがり屋の本質はいまも変わっていないようだ。


「明日も明後日も、一年先も十年先も、ずっとずっと。死が二人を分かつまでソフィアお嬢様の側にいます。……もちろん、必要ないと言われたら去りますけどね」

「そ、そんなことは言うはずがありません!」

「ならば、私はずっと側にいます」


 ここに来て初めて、ソフィアお嬢様の瞳に安堵の色が浮かんだ。だけどすぐに悲しみを滲ませて、俺の胸に顔を押し当ててきた。


 不安な気持ちは分かるが、それは侯爵令嬢のすることではない。

 メイドだって許してくれないはずだ。そう思ったけれど、今回同席しているメイドはルーシェで、彼女はなにも見てませんとばかりに眠っていた。

 ……こんなガタゴトと揺れる馬車の中でそうそう眠れるはずはないのだが。


 とにもかくにも、お嬢様の行動を咎める者はいないらしい。だから、俺はお嬢様の好きなようにさせる。ほどなく、お嬢様が俺の腕をぎゅっと掴んで顔を上げた。


「ねぇ……シリル。シリルなら……」


 俺を見上げるアメジストの瞳が揺れている。その先は訊かなくても分かる。シリルなら彼女を救えないか――と、そう言いたいのだろう。


 俺にフォルを救えるかどうか可能性で言うのなら零ではない。フォルが不治の病を患っているという事実は、想定する限り最悪――つまり、想定内だった。


 ゆえに、これまでのフォルの言動や取り巻く状況から思うところはある。

 だが、ソフィアお嬢様は口を開きながらも、結局はその願いを口にしなかった。

 彼女が願えば、それが無理難題だったとしても俺は無視できない。それが分かっているから、お嬢様は自分のわがままを口に出来ないでいる。

 ソフィアお嬢様は学園に入学してますます強くなった。だけど、だからこそ、自分の弱さを見せられなくなってしまっているように見える。

 もしもソフィアお嬢様が願うのなら……


 そんな風に考えていると、薄目を開けてこちらをうかがっているルーシェに気付いた。俺が気休めを口にして、ソフィアお嬢様を傷付けないか心配しているのだろう。


 だが、俺だって分かっている。根拠の薄い言葉は束の間の慰めにしかならない。ぬか喜びさせて、ソフィアお嬢様をより悲しませる結果になりかねない。

 だから、俺からはなにも口にしなかった。

 やがて――


「いいえ、なんでもありません」


 ソフィアお嬢様は荒れ狂う感情を胸の内に留めることを選んだようだ。

 彼女が悲しみに耐えることを選んだのなら、いまの俺に掛ける言葉はない。ソフィアお嬢様がなにかを願うとき、それを叶えられるように準備をするだけだ。

 そんな決意を胸に、震えるお嬢様の手をきゅっと握り締めた。

 

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