戯曲 光と闇のエスプレッシーヴォ 前編 4

 各自練習することが決まってから数日が経ったある日。執事コースのAクラスでは学園祭に向けた話し合いがおこなわれていた。


 本来であれば、クラス代表の俺が先頭に立って話し合う案件だが、俺は生徒会での演劇に専念することが決まっている。

 ゆえにクラスを取り仕切っているのは代表代理のルークだ。彼が教卓の前に立ち、クラスの出し物をなににするか真剣に話し合っている。


「シリルが仕切らないのは少し残念だな」


 教室の隅で話し合いを眺めていると、いつの間にか隣に来たライモンドに声を掛けられた。


「彼が代表では不満ですか?」

「そういう訳じゃないさ。ただ、新入生歓迎パーティーでおまえに付いた連中が、おまえのやり方が為になったって騒いでたからな。俺もおまえの下で働いてみたいって思ってたんだ」


 どこか照れくさそうに笑う。出会った頃はなにかと突っかかってきたライモンドが、変われば変わるものだなと微笑ましく思う。


「そういうことであれば心配はいりませんよ。前回の設営で彼には補佐を任せていましたから、私のやり方は把握しているはずです」

「……あいつが、か?」


 ライモンドが、教卓で皆の意見を纏めているルークに視線を送る。本当なら、あの場所に立つのはクラスの次席であるライモンドのはずだった。

 俺のときのようになにか問題を起こさないだろうかと少しだけ心配する。だが、それは杞憂だった。ライモンドはあのときよりもずっと成長している。


「なら、あいつを見ていれば、シリルのやり方が学べるんだな?」


 早く俺のやり方を学びたくてしょうがないと顔に書いてある。いまのライモンドなら、ルーク達とも上手くやっていけるだろう。

 家族のために努力を続ける、彼の成長を実感して少しだけ胸が熱くなった。



 クラスの出し物を話し合った後は通常授業がおこなわれる。文化祭まではまだ二ヶ月近くあるので、新入生歓迎パーティーのときよりもスケジュールはゆったりとしている。


 だが、俺達が舞台に上がるには決して猶予があるとは言えない。

 放課後にはいよいよ演技の個人指導を始める。ソフィアお嬢様への個人指導は既に開始しているが、他のメンバーへの指導を始めるのは今日が初めてだ。

 まずは訓練室を一つ貸し切り、アリシアお嬢様の指導をすることになったのだが――アリシアと合流する前に、廊下でソフィアお嬢様と出くわした。


「どうして、わたくしだけを見てくださらないのですか?」

「いえ、お嬢様。そのセリフはわたくし“だけを”ではなく、わたくし“を”ですよ?」


 おもむろに演技を始めるソフィアお嬢様に訂正を入れる。けれどお嬢様はそれには答えず、ちょっぴり拗ねた顔で詰め寄ってくる。


「シリルは、どうして、わたくしだけを、見て、くれないのですか?」

「ソフィアお嬢様だけを見ていたら、外敵からソフィアお嬢様を守れません。だから私は、ソフィアお嬢様以外にも目を向けるのです」

「~~~っ」


 顔を赤く染めながら、悔しそうな上目遣いで睨みつけてくる。お嬢様の愛らしい姿は見ていて飽きないが、アリシア達の演技指導をするように後押ししたのはお嬢様だ。

 本気で闇堕ちしかかっているような雰囲気ではないが、様子がおかしいのは事実だ。なぜいきなりこんな反応を見せるのか、確認しておく必要がある。


「……お嬢様、なにかあったのですか?」

「台本に、王子とヒロインのキスシーンがありますよね?」

「ラストシーンですね。それがどうかしたのですか?」

「……演技指導をするときは、わたくしのときのように相手役を務めるのでしょ?」

「無論そのつもりですが……」


 だから、それがどうしたというのだろうと首を傾げる。ソフィアお嬢様のセリフには繋がりがない――と、そこまで考えたところでふとした閃きがあった。


「……アリシアお嬢様はメイド役ですよ?」


 お嬢様はなにを今更と言いたげな顔をした。だけどすぐにあれと首を傾げる。やはり、アリシアがヒロイン役をやると、誤解していたようだ。


「そう、ですよね。アリシアさんはメイド役ですよね。わたくし、どうして彼女がヒロイン役だなんて誤解していたのかしら?」


 お嬢様が不思議そうにしているのを見て、少しひやりとした。ソフィアお嬢様には、作中に登場する悪役令嬢としての記憶が存在しているのだろうか?

 その割には、第二王子に対する憧れのようなものが感じられないが、なにかの切っ掛けで闇堕ちしないとも限らない。いままで以上に気を配るとしよう。


「ところでお嬢様、そろそろ行かなくては、アリシアお嬢様をお待たせしてしまうのですが」

「あ、そ、そうでしたね。引き留めてごめんなさい」

「……私が行っても大丈夫ですか?」


 あくまで最優先はソフィアお嬢様だ。

 彼女が行って欲しくないと願うのなら、アリシアにはなにか代案を提供する必要がある。王都にある劇団のリストを思い返していくが、ソフィアお嬢様は大丈夫ですと微笑んだ。


「わたくしがここにいたら、シリルが立ち去れませんね」


 そう言って、ソフィアお嬢様は踵を返す。その後ろ姿を見送っていると、後ろ手を組んだお嬢様がくるりと肩越しに振り返った。


「シリル、早く帰ってきてくださいね」


 照れくさそうな微笑みを残して、今度こそお嬢様は立ち去っていった。



 その後、アリシアと合流した俺は、訓練室へとやって来た。主にダンスや演奏の練習に使われる、よく磨かれた板張りの部屋だ。


「それじゃ、用意してくるので少し待っててくださいね」

「かしこまりました」


 内心では用意とはなんだろうかと首を傾げつつ恭しく頭を下げた。メリッサと共に奥の準備室へと姿を消したアリシアは、ほどなくして訓練室へと戻ってきた。

 そんな彼女の姿を目にした俺は目を丸くする。


 全体的に朱色。

 総じて、男性は女性よりも赤色に対する認識力が低いと言われている。ゆえに、朱色は女性に好まれやすく、男性は敬遠する傾向にある。

 ただ、その朱色は、見る者を安心させる優しい赤だった。


 ……いや、朱色はどうでも良い。

 それよりも、アリシアが身に着けている服だ。

 柔らかそうな生地で、上は白いシャツの上に、朱色の上着を羽織っている。そして下はやはり朱色のズボンを穿いていた。

 ……どう見ても、体操着の上にジャージを着ているようにしか見えない。


「アリシアお嬢様、その服はなんでしょう?」

「体操着とジャージです」


 そのまんまですね……と口にするのは自重した。

 あぁ……そういえば、ここは光と闇のエスプレッシーヴォの世界。基本的にはずっと昔に存在した貴族社会がモデルだが、その一部は現代的に置き換えられている。


 学園の制服のデザインがまさにそれである。

 ただ、使用人コースの者達は、制服で作業をするのが当たり前だったので、この世界にジャージがあると言うことをすっかり忘れていた。

 ……なんというか、貴族のお嬢様がジャージ姿というのは違和感がある。


「あの、シリルさん。なにか変ですか?」

「そのようなことはありません。青みがかった黒髪と、赤みを帯びたジャージの取り合わせは、魔法の時間を再現しているかのようです」

「……魔法の時間、ですか?」

「日が沈み始めたころ、地平線に昼と夜の境界が生まれた刹那のひとときのことです」


 夕日に染まる地平線と、夜が広がる空。一日で、最も美しい時間と言われている。いまのアリシアお嬢様にぴったりですねと笑うと、彼女の頬までが赤く染まった。


 そんな他愛もないやりとりでアリシアの緊張をほぐしつつ、彼女の演技指導を開始する。

 演技指導は初めてだが、基礎的な部分は礼儀作法のトレーニングに通じる部分が多い。まずは立ち居振る舞いの基礎を確認。それから発声練習をおこなう。

 彼女の長所を褒めて伸ばし、短所をやんわりと指摘して修正していく。しばらくすると、メリッサがなにか驚いたような顔で俺を見ていることに気が付いた。


「……どうかいたしましたか?」

「いままで幾度となくアリシアお嬢様の習い事に立ち会ってきましたが、ここまで目に見えて成果が現れるのは初めてです。ソフィア様の教育係というのは嘘ではなかったのですね」

「ダメよ、メリッサ」


 憎まれ口を叩くメリッサを、アリシアが即座に遮った。

 俺がソフィアお嬢様の教育係だという話は、お茶会の席でソフィアお嬢様が口にした言葉だ。ゆえに、さきほどの言葉はソフィアお嬢様の言葉を疑っていることに繋がる。


 俺がお嬢様の教育係というのは、冗談だと受け取られる場合がほとんどだ。俺もお嬢様もそれくらいのことで怒ったりはしない。

 ただ、普段は暴走しがちなアリシアを諫める立場にあるメリッサが、俺とのやりとりでは失言してアリシアに咎められる。

 そんな二人の関係が少し面白い。


「申し訳ありません、シリルさん」

「いいえ、気にする必要はありません。私のような子供が教育係と言われても、疑いを持つのが普通ですからね」

「ええ、まぁ……そうなのですが。あなたの場合は、そもそも本当に十二歳かという疑問があるのですが……年齢を偽ったりしていませんか?」

「私の年齢は見た目通りですよ」


 以前誰かに聞かれたときと同じように、転生はしていますがと内心で呟いた。


「それより、さっそくアリシアお嬢様の演技の指導を始めましょう。基礎はもちろん重要ですが、文化祭の演劇での完成度が重要ですからね」


 今後もずっと続けていくのなら基礎は重要だ。

 だが、彼女達にとって必要なのは、文化祭で恥ずかしくない演技をすること。であれば、それに合わせた教育方針にするべきだと提案する。


「分かりました。それじゃ、さっそく演技をしてみますね」


 アリシアが訓練室の真ん中で、胸に手を添えて演技を始める。

 さすがにセリフはしっかりと覚えているようだ。手に台本は持っているが、開始時にちらりと視線を落としただけで、それ以降は一度も目を向けていない。


 ただ……アリシアの演技は明らかに素人だ。俺の意見を少し聞いただけで、ゲームの悪役令嬢を完璧にこなして見せたソフィアお嬢様が例外なのだろう。

 その辺りは要練習、いまは下手でも仕方がないと思っていたのだが――


「エルヴィールが執事に人を雇わせ、オレリアを襲わせたのだ!」


 俺が王子のセリフを読み上げる。

 悪事を暴かれてエルヴィールとその執事が断罪されるシーン。

 王子が証拠の数々を提示して、悪役令嬢を断罪していく。そのシーンの中で、メイドであるカリーヌが、主と一緒にいたところを襲われたと証言するのだが――


「どうしてそんな風に決めつけるんですか!? ソフィアさんとシリルさんはそんな酷いことしません、もう一度ちゃんと調べ直すべきです!」


 なぜかカリーヌ――というかアリシアがぶち切れた。そのセリフだけはいままでの素人同然の演技ではなく迫真の演技だった。


「いえ、あの、アリシアお嬢様。これは演劇です。悪役令嬢とその執事の役を演じるのはソフィアお嬢様と私ですが、実際に我々が断罪されているわけではありませんから」

「え? ……あ、そ、そうですよね。ごめんなさい」


 しゅんと落ち込んでしまう。

 どうやら、演技ではなく素で怒っていたようだ。


 劇の最初から最後まで通しで続けて集中力も落ちてくるころだ。ひとまず休憩ということにして、俺はアリシアお嬢様に紅茶を用意することにした。


 訓練室の隅っこ。

 椅子に座ったアリシアが、紅茶を飲んでふぅっと息を吐く。


「やっぱり、シリルさんの淹れる紅茶は美味しいですね。シリルさんのおかげで、メリッサの淹れる紅茶もとても美味しくなったんですよ?」

「アリシアお嬢様のお役に立てたのなら光栄です」


 誰かに喜ばれるのはやっぱり嬉しい。そう思って笑うと、アリシアは視線を泳がせてさっと目をそらしてしまった。


「どうかいたしましたか?」

「な、なんでもないです。妙にキラキラした光景にドキッとなんてしていません」


 それはもはや答えを口にしているも同然だ。

 しかし、別に俺は魔力を放出させたりはしていない。アリシアの乙女フィルターがありもしない光を映し出しているのだろう。


「ところで、初めてなさった演技の感想はいかがですか?」

「難しいです。なんだか共感できなくて」

「共感できない……カリーヌにですか?」


 アリシアは仕えられる側の人間だ。主に尽くすという感情に共感できないのは残念だが、立場の違いを考えれば無理もない。そう思ったのだが、アリシアは首を横に振った。


「メリッサがいつも側にいてくれるから、主に尽くしたいっていうカリーヌの気持ちはよく分かるんです。ただ、オレリアに共感できなくて」


 ……自分がモデルの役を全否定?

 好きな相手が第二王子から俺に変わり、三年後に通うはずの学園に、親の反対を押し切って入学してきたという差異はあるが、性格的にはそう変わっていないように思っていた。

 なのに、自分がモデルのキャラに共感できないというのは予想外すぎる。


「オレリアは裏表がなく、誰からも好かれる性格だと思うのですが……どの辺りが共感できないのですか?」

「そもそも、裏表がないというのが見せかけだと思います」

「そ、そうなんですか?」

「私はそう思います」


 ダ、ダメだ。自分がモデルのキャラを全否定しているという状況が面白すぎる。裏表がないフリをしているのですか? と、アリシアに聞いてみたい衝動を抑えるのが大変だ。


「それに、エルヴィールから王子を奪うやり方も共感できません」

「……なぜでしょう?」


 アリシアは作中と同じように、わりとぐいぐいと来るタイプだ。

 いままでだって、パーティー会場で俺をダンスに誘ったり、自分のパートナーになって欲しいと取引を迫ってきたりしているので、オレリアに共感できないなんてことはないはずだ。


「だって、オレリアはエルヴィールの知らない場所でアルフレッドと仲良くしているじゃないですか。そんな風にこそこそして、婚約者を奪うなんて許せません」


 今度は光と闇のエスプレッシーヴォのメインストーリーを根本から否定した。

 いや……まあ、言われてみればその通りなんだが。


 ただ、アリシアにはカリーヌとして演技をしてもらう必要がある。そのためにも、オレリアの考えに共感、せめて理解してもらわなければ演技は上手くならないだろう。

 少し考えた俺は、自分自身に当てはめて考えてもらうことにした。


「では、アリシア様が同じ立場になったとしたら諦めるのですか?」

「いいえ、そんなことは絶対にありません」

「でも、相手には婚約者がいるのですよ? 諦めないのであれば、オレリアのように愛する人を略奪する覚悟もまた必要ではないでしょうか?」

「たしかに、略奪する覚悟は必要だと思います。でも、だからこそ、エルヴィールのいない場所で、こそこそと王子の気を惹くのはズルイと思うのです」

「なるほど、良く分かりました」


 たしかに、オレリアは王子とは積極的に関わっても、エルヴィールとは関わろうとはしなかった。婚約者がいることを知りながら、オレリアは王子との逢瀬を重ねている。

 貴族社会においては不倫と言っても過言ではない。


 そう考えれば、オレリアの方が悪役に見えてくる。

 いや、それよりも、エルヴィールのいない場所でこそこそとするのはズルイという意見。それはつまり、エルヴィールに正面切って勝負を挑み、愛を勝ち取るのが自分好みと言うこと。


 思い返せば、アリシアが俺をダンスに誘ったのは公衆の面前で、ソフィアお嬢様も側にいた。臨時のパートナーの件だって、お嬢様には絶対に隠し通せない案件だ。

 そういう意味、なのだろうか?

 そんな疑問を抱きながら視線を向けると、アリシアは勝ち気な笑顔で言い放った。


「私なら、正々堂々とライバルに勝負を申し込みます」――と。


 申し込まないでください、お願いですから――とは、やぶ蛇になりそうで言えなかった。

 

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