学園の派閥騒動 後編 4

 その日の放課後、俺はアリシアと会うべく貴族のCクラスを訪ねた。

 アリシアに取り次ぎを願うと、ブロンドのメイドが応じる。歳は二十代半ばくらい。メリッサと名乗った彼女は、入学試験の日に俺とぶつかったメイドだ。


 立ち絵と服装や髪形が違うためにいままで気付かなかったが、俺は彼女を知っている。作中でアリシアを支える、友人のような立ち位置にあるメイドだ。


「……あなたはシリルですね。お嬢様になんのご用でしょう?」

「突然の無礼をお許しください。アリシアお嬢様がお茶会に出席するとの噂を聞いて、個人的なお願いがあって参りました。実は――」

「お帰りください」


 俺のお願いを遮って、メリッサがにべもなく拒絶する。


「お待ちください。なにか、誤解なさっていませんか?」

「誤解もなにもありません。お嬢様はご多忙なため、使用人個人の話に付き合っている暇はありません。ですから――」

「あれ、メリッサ? そんなところで誰と話しているの?」


 不意に透明感のある声が響く。メリッサの背後にアリシアの姿があった。


「あれ、シリルさんじゃないですか。どうしてここに? もしかして、私に会いに来てくれたんですか? あ、だからメリッサと話していたのね」

「い、いえ、それは……」


 メリッサが視線を彷徨わせる。どうやら、俺をにべもなく追い返そうとしていたことをアリシアには知られたくないらしい。

 このメイド、アリシア大好きっ子だからな。


「いまちょうど、アリシアお嬢様への取り次ぎをお願いしていたところです」

「あ、私になにか用事なんですね。じゃあ……テラスでお茶でもしながら伺いますね。メリッサ、私は荷物を取ってくるので、あなたはシリルさんのおもてなしをお願いね」

「は、いえ……はい」


 荷物を取ってくるのは使用人の仕事だ――と、そんな当たり前のことは口にしない。

 アリシアもメリッサもそんなことは分かりきっている。だからこそ、アリシアが自分で荷物を取りに行くと言ったのは建前で、なにか所用を済ませに行ったのだろう。


 それはともかく……と、メリッサに視線を向ける。

 なんとも言えない、気まずそうな横顔が見えた。彼女は俺の視線に気付いたのか、少し不満気な顔で「どうして私を庇ったんですか……?」と呟いた。


「月並みですが、庇った訳ではありません。あなたの警戒は当然でしょう」


 メリッサはアリシア思いのメイドだ。アリシアが身分違いの恋をするルートですら、彼女だけは最初から最後までアリシアの味方をする。

 さきほどの対応は、アリシアのことを大切に想っているからこそだろう。


 そもそも、アリシアが庶民派のお茶会に誘われ、その直後に選民派と疑わしきソフィアお嬢様の執事が接触してきた。これで警戒しなければ使用人失格だ。


「……一つ借りにしておいてあげます。でも、それは私に対してです。お嬢様に関わることでは譲歩しませんので、そのつもりでいてくださいね」


 作中に登場する彼女らしいセリフを口にしたメリッサは、こちらですと俺をテラスへと案内する。それからほどなく、その場にアリシアが姿を現した。


「お待たせしました、シリルさん」


 少し頬を染めてはにかむ彼女は、青みがかった黒髪に小さな髪飾りをつけていた。先ほどはつけていなかったので、彼女の所用とはオシャレのことだったようだ。


「とても綺麗な髪飾りですね。アリシアお嬢様に良くお似合いです」

「ふえっ!? あ、ありがとうございます」


 頬を朱に染めるアリシアが可愛らしいと思っていたら、俺の斜め後ろに控えていたメリッサに脇腹をつつかれた。余計なことは言わず、さっさと本題に入れと言うことだろう。


「それで、私に用事というのは……あ、その前に、お茶もお出しせずにごめんなさい。メリッサ、私とシリルさんに飲み物を」

「は、いえ……その」


 メリッサは主に従うことを渋った。メリッサにしてみれば、俺がなにを言い出すかも想像できない。アリシアと二人っきりにしたくないのだろう。


「アリシアお嬢様、どうかお気になさらず。用件が終わればすぐにお暇いたしますので」

「……そう、ですか?」


 心なしかしょんぼりしてるように見えるが気づかないフリをする――と、斜め後ろにいるメリッサから、どういうつもりですかという不満気なささやき声が届いた。


「あなたを納得させなければ意味がないと思っただけです」


 アリシアだけならたぶん、比較的簡単に引き受けてくれるだろう。だがそれでは、後でメリッサが反対する可能性が高い。

 この場で二人一緒に説得する方が確実だ。


「信じましょう。ですが、お嬢様をしょんぼりさせているのはどういう了見ですか。まさか、ダンスに誘われておきながら、気付いていないとは言わないでしょうね?」

「……どういう了見もなにも、あなたは反対する立場では?」

「もちろんです。でも、お嬢様を悲しませるのはもっとダメです」


 矛盾している――と言うつもりはない。俺もお嬢様の幸せを考えるがゆえに、どうするべきか悩むことがある。……いや、いまだってずっと悩んでいる。

 ゆえに、矛盾した行動を取る彼女を笑うつもりはない。


「――なにを二人でこそこそ話しているんですか?」

「い、いえ、飲み物が本当にいらないのかと伺っていたんです、ねぇシリル様?」

「え、ええ。そうです。本当に気にする必要はないと伝えたところです」


 アリシアの冷たい声に、とっさにメリッサと話を合わせる。

 光と闇のエスプレッシーヴォ――光と闇というだけあって、この世界の元となったゲームには、わりと闇の部分がある。

 闇堕ちするソフィアお嬢様しかり、怒ったときのアリシアしかりである。


「……なんだか、息ぴったりな気がします」

「そ、そんなことはありません。ねぇ、シリル様?」

「ええ、もちろんです」


 慌てて否定するが、アリシアの疑惑は深まってしまう。ジト目を向けられた俺は、ところで本題なのですがと話を逸らすことにした。


「……そう言えば、私に用があるんでしたっけ?」

「ええ。その前に一つ確認させてください。アリシアお嬢様はリベルト様のお茶会に招かれていると耳にしましたが、それは事実でしょうか?」

「え? ええ……よくご存じですね」

「そうですか。実はそのお茶会に、臨時の専属執事として同行させて頂きたいのです」

「――ダメです」


 即座に否定したのはメリッサだ。


「こら、止めなさいメリッサ。シリルさんに失礼でしょ?」

「彼はお客様ではなく使用人です」

「もぅ、そんな屁理屈を言って。……シリルさん、ごめんなさいね?」

「いいえ、彼女が反対するのは当然ですから」


 俺が説得するべきなのはメリッサだ。だからこそ、アリシアにはメリッサと同じレベルまで認識を引き上げてもらう必要がある。

 そう思ったのだが――


「そうですね。私も、シリルさんの目的を聞かなくては返事できません。シリルさん……いえ、ソフィア様の目的はなんですか?」


 アリシアは俺の目的が派閥関連であると気付いていた。作中のアリシアはいまより三歳年上であるにもかかわらず、世事には疎かったので少し意外だ。


「ふふ、私が気付いていないとでも思っていましたか?」

「……申し訳ありません」


 思っていたとは言うのも失礼なので、謝罪だけを口にする。それに対してアリシアはクスクスと笑い声を零した。


「気にしないでください。私も昨夜に教えられたばっかりなんです。その、シリルさんにダンスを申し込んだことで色々と……」

「あぁ、なるほど……」


 アリシアの昨日の行動は明らかに異質。庶民派寄りの考えだ。だが、アリシアがダンスを申し込んだ平民は、選民派疑惑のある侯爵令嬢の執事。


 見ようによっては、アリシアが選民派を切り崩そうとしている。もしくは、侯爵家の執事がアリシアを誘惑して、庶民派を切り崩そうとしているように見えたかも知れない。

 メリッサがピリピリしているのも当然だな。


「それで、シリルさんがお茶会に出席したい理由はなんですか?」


 アリシアは目を伏せて、自分の専属執事になりたい理由ではなく、お茶会に出席したい理由を尋ねてきた。その言葉と態度に、チクリと胸が痛む。

 だが、いや、だから――か。ここで誤魔化すことは出来ない。


「私がリベルト様に接触する理由は、お嬢様に敵対する意思はないとお伝えするためです」


 お嬢様が選民派ではないという事実が意外だったのか、はたまた俺がそれを口にすることが意外だったのか。おそらくはその両方だろう。二人は顔を見合わせる。


「……つまり、ソフィア様は選民派ではないと、シリルさんはおっしゃるんですか?」

「ええ、その通りです。お嬢様に平民を差別する考えはございません」

「それが事実だとして、どうして私にそのようなことを打ち明けるんですか?」

「理由はいくつかあります……が、端的に申し上げるのなら、アリシアお嬢様、あなたなら信頼できると判断したからです」

「わ、私を信頼……ですか?」


 頬を染めるアリシアの横で、メリッサが小さく息を吐いた。きっと心の中では、お嬢様チョロすぎですとか思っていることだろう。


 だが、俺は別におべっかを使って騙そうとしている訳じゃない。ゲームのヒロインである彼女は疑いようもない善人で、いまのアリシアもそうであると判断した。

 だから、この件について彼女に隠し事はしない。


「重ねて言います。お嬢様はもちろん、私も選民派とは相容れぬ考えを持っています。ゆえにお嬢様が誤解されつつあるいま、リベルト様と接触する必要があるのです」

「……つまり、ソフィア様のために、私を利用しようというのですか?」


 青みを帯びた瞳が、俺の心の内を覗き込んでくる。

 俺は決して目をそらさずに「その通りです」と認めた。刹那、メリッサが「ふざけないでください……っ」と静かな怒りを露わにする。

 だが、そんなメリッサを窘めたのもまたアリシアだった。


「控えなさい、メリッサ」

「ですがお嬢様、この男はお嬢様を利用すると言ったんですよ?」

「最初から分かっていたことでしょ? それに、シリルさんは隠さなかったじゃない」

「それは……そうですが、隠さなければ良いと言うものではないと思います」


 メリッサは不満を口にして、なおもアリシアを諭そうとする。だがアリシアはそれを遮り、俺へと視線を向けた。


「ねぇシリルさん。シリルさんが私の気持ちを利用するのなら、私がシリルさんの目的を利用しても問題はないですよね?」


 予想外の切り返しに、俺は面をくらってしまう。けれど、アリシアを利用している俺が文句を言うつもりはない。ゆえに、もちろんですと応じた。


「じゃあ……私からの提案です。臨時の専属執事ではなく、パートナーとして同行してください。もちろん、今回だけでかまいません。そうしたらお茶会に連れて行ってあげます」

「は? いえ、それは……」

「以前、ソフィア様のパートナーをしていましたよね? なら、今回だって問題ないはずです。それとも……リベルトさんのお茶会への出席、諦めますか?」


 こてりと首を傾げるアリシアは茶目っ気たっぷりに笑っている。

 はてさて、お嬢様になんて説明しようか。

 

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