第57話 逃げられなかった
私は陛下の〝影〟の一人。
陛下からの命を受け、とある任務に参加していた。
それはノーライフキングと名付けられたアンデッドの調査と追跡である。
各地に点在している〝影〟たちが協力し合うことで、我らはほぼ完璧にその動向を把握し、陛下へとお伝えしていた。
その目的が何か、〝影〟である私が知る必要はない。
ただ陛下の目や耳となって、得た情報を陛下に捧げればよいのだ。
「新たな勅命だ。聖騎士の女を眠らせ、帝都へと連れていく。ノーライフキングに気づかれてはならない」
「「「は」」」
僅かな孤児ばかりが残る無人の都市。
そこで我々は連絡役の〝影〟から、陛下の指示を受け取る。
そしてすぐさま互いの役割を決めると、そのための行動を開始した。
ちなみに我々〝影〟には上下関係はない。
状況に応じて各々が必要な任務を成すだけである。
属国を含めた帝国全土から集められた大勢の子供たち。
その中から選び抜かれた者だけが、幼い頃から地獄のような訓練を受け、女帝を裏から支える〝影〟として育てられる。
もちろん全員が〝影〟になれるわけではない。
訓練中に命を落とす者もいれば、見込み無しとして失格の烙印を押される者もいる。
どうにか訓練を乗り越えても、その先には幾つもの試験が待つ。
その合格率は低く、ここでも大勢が脱落する。
晴れてすべてを突破した精鋭中の精鋭だけが、〝影〟として陛下に拝謁することができるのである。
そんな我らにとって、深夜に街へと忍び込み、一人の女を攫うなど容易いことだった。
完璧に気配を消した我らは、子供たちが寝静まったスラム街を進む。
無論、女の居場所は特定済みである。
「(ここだ)」
薄汚れた家屋だ。
女はここに一人で寝ているはずだった。
「(間違いない)」
〝影〟の一人が窓から中を覗き込んで確認する。
「(誘眠香を)」
窓から火をつけた誘眠香を投げ込んだ。
この煙を吸い込めば、数時間は何をしても起きない。
我々〝影〟に代々伝わる、かなり強力なお香である。
効果が十分に出た頃を見計らって、我々は家の中へと押し入った。
「(運び出せ)」
眠った女を毛布にくるみ、外へと連れ出す。
女はしっかり眠っているようで、起きる気配はまったくない。
後は帝都へと連れて行くだけ。
我らからすれば容易な任務だった。
ただ、私はこの場に残ることとなっている。
詳しい理由は分からないが、十分な時間を置いてから、女を帝国へ連れ去ったことを奴に伝える必要があるのだ。
私はその役割を引き受けていた。
やがて朝になると、奴はすぐに女が消えたことに気づいた。
女が寝ていた家屋を調べているところへ、私は気配を消して近づいていく。
「……? この焼き痕は……」
「それは誘眠香と呼ばれる香を焚いた痕だ」
「っ!」
ノーライフキングがこちらを振り返った。
恐るべきアンデッドだというが、見た目はただの白髪の青年にしか見えない。
戦えば私でも勝てそうに思えるほどだ。
我々〝影〟は厳しい戦闘訓練も積んでおり、時に暗殺などの任務を遂行することもある。
要人を護るのは凄腕の戦士ばかりであるため、万一、正面からの戦闘になっても負けないだけの強さが求められるのだ。
もちろん今の任務は戦うことではない。
私はただ、伝えるべきことを端的に伝えた。
「あの女は我らが連れ去った。そろそろクランゼール帝国領内に到達する頃合いだろう」
「な……んだ、と……?」
目を剥くノーライフキングを余所に、私は地面を蹴った。
入り口手前に立っていた私は、一瞬にして家屋の屋根に飛び乗ると、そこから屋根伝いに跳躍を繰り返す。
その速さは、常人では目で追い切れないほどだ。
我々〝影〟は特別な移動法を使う。
縮地と呼ばれるそれは、まさしく大地が縮んでしまったのではないかと錯覚するほどの速度で、移動することが可能だった。
その際、足音は一切立てない。
完全な隠密状態だ。
ゆえに逃げる〝影〟を捕まえることは、いかなる強者にも絶対に不可能――
「……ちょっと、待て」
は?
「ぐげっ?」
いきなり背後から声が聞こえてきたかと思うと、首根っこを掴まれ、私の喉から変な音が漏れた。
下半身だけが勢いを失わず、そのまま一回転してしまいそうになる。
「げほげほげほっ……」
首を掴んでいた手が離れ、盛大に咳き込む私。
恐る恐る振り返ると、そこにいたのはあの白髪のアンデッドだった。
「い、一体……どういう、ことだ……?」
「っ……」
信じられない。
まさか、縮地中の私に追いついたとでもいうのか?
それに何だ、この凄まじい威圧感は……?
先ほどまではまったく感じられなかった暴風のごとき魔力を前に、私は全身の震えが止まらなくなった。
もし私が〝影〟でなかったなら、これだけで気を失っているだろう。
恐怖の感情を抱いたのは、一体いつぶりだろうか。
〝影〟としての訓練の過程で、我らはそうした不要な感情をすべて捨て去っているはずなのだ。
勝てるわけがない。
これがノーライフキング……正真正銘の化け物だ。
「彼女を……連れ去った、というのは……本当、か……?」
「そ、そうだっ……だ、だが、安心するがいいっ……危害は一切、加えていないっ……」
震える声で辛うじて言い切ると、少しだけノーライフキングの威圧感が収まった気がした。
「何のために……?」
「そ、それは知らないっ……わ、私はっ、必要最低限のことしか、教えてもらっていないのだっ……」
陛下から最初の〝影〟に勅命が下される際には、恐らくもっと詳細が伝えられているだろう。
だが敵に情報が漏れることを避けるため、現場で動く〝影〟には、余計なことは知らされない。
「……そうか。だったら……帝国は、どっちだ……?」
「て、帝国は向こうだ!」
私が指さした方向へ目を向けるノーライフキング。
「……なるほど」
頷きながら、なぜか奴は私の方へと近づいてくる。
射すくめられた私は足が動かない。
こ、殺されるのか?
だが、任務は果たしたはずだ。
ここで死んでも後悔はない。
がしっ。
「っ!?」
死を覚悟した私だったが、奴はなぜか再び私の首根っこを掴んでいた。
「……お前も連れて行く」
「え?」
……ま、マジ?
次の瞬間、私は凄まじい速度で宙を舞っていた。
ノーライフキングが私の身体を抱え、走り出したのだ。
な、なんて速さだ!?
我ら〝影〟の縮地を遥かに凌駕している!?
「ぎゃああああああああああああああああっ!?」
私は久しぶりに大きな悲鳴を上げてしまった。
◇ ◇ ◇
私は陛下の〝影〟の一人。
陛下からの勅命を受け、現在とある任務に参加しているところだ。
……だが一体これはどうすればいいんだ?
帝国領内に辿り着いたノーライフキングに、女は帝都へ連れていったと伝えるのが、私の役目である。
しかし、予想より遥かに早い。
本来なら他の〝影〟たちが女を連れて帝国領に入ってから、どんなに早くても奴が現れるまで五、六時間はかかるだろうと考えていた。
なのに、まだたったの二時間だ。
しかもどういうわけか、奴は〝影〟の一人を小脇に抱えている。
ぐったりしているその〝影〟は確か、最初に帝国へと誘導する役割を担っていたはずだ。
……まさか、捕まったのか?
これでは女を帝都に連れていく前に、奴が先に帝都へと辿り着いてしまう。
「どうする?」
『仕方ない。予定変更だ。帝都ではなく、いったん別の都市に誘導しろ』
「了解した」
どうやら時間を稼ぐ必要があるようだ。
私は奴の前に姿を見せる。
「……? また似たような奴が……」
「女は都市ヘイルンに連れて行った」
「……ヘイルン?」
「北西にある街だ」
「そう、か……次はお前を連れて行く……迷うと困るからな」
「へ?」
気が付くと私はノーライフキングに抱えられ、猛スピードで大地を飛んでいた。
「うわあああああああああああっ!?」
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