第56話 危ない国だった
「それにしても一体あの渦は何だったんだ……? それにあの謎の建物は……」
「私にも分からない。だが……」
聖騎士少女は神妙な顔つきで言う。
「クランゼール帝国が、魔物を意図的に大量発生させる禁呪の研究をしていると聞いたことがある」
「魔物を意図的に大量発生させる……? 何のために……?」
「戦争に利用するためだ。実際、帝国に滅ぼされたある国が、そのしばらく前から大量の魔物が発生し、その処理に追われている隙を突かれる形で攻め込まれてしまったという」
その話が本当であれば、あの建物は禁呪の研究所だったのかもしれない。
「コントロールに失敗し、そのまま破棄してしまったと考えれば合点がいく。そうしたケースを想定して、わざわざ属国内で研究を進めていたのだろう」
「属国なら別にどうなってもいいってことか? 随分と酷い国だな……」
「もちろん、推測でしかないが……。帝国は他国との交流の一切を閉ざしている。だからほとんど内情が分からないんだ」
あらゆる宗教も禁じられているとか。
代わりに〝女帝〟が絶対的な権限を持ち、まさしく神のごとく君臨しているという。
「そして徹底した合理主義の国で、他国の追随を許さないほど魔導技術を発展させているそうだ。さらに恐ろしいのはそれを軍事力へと転換させていることで、これまで侵略された国々は開戦からずっと連戦連敗、帝国軍にまるで歯が立たず、あっという間に白旗を上げて軍門に下ったそうだ」
どうやら俺はなかなか恐ろしい国に行こうとしていたらしい。
聖騎士少女と出会ってよかったな……。
◇ ◇ ◇
「陛下、やはり間違いありませんでした」
その〝影〟は深く首を垂れながら跪き、御簾の向こうに座す主君に報告した。
「我が国の属国ラオルに現れた白髪の男は、今、各国を騒がせているあのノーライフキングに違いないとのです。その進路を予測するに、我が帝国、さらにはここ帝都にまで接近するのは時間の問題かと」
告げられるのは厳しい内容だ。
しかし、御簾の向こう側の人影が動じる気配はない。
「な、なんと……っ!」
「そんな……」
一方、わなわなと唇を震わせて怯え始めたのは、御簾の両脇に控える二人の老人たちだ。
吹けば飛びそうなほど干乾びているが、これでもこの国のナンバーツーに相当する宰相でたちある。
「かの英雄王すら敵わなかった化け物が……」
「しかも二体の竜帝を従えると聞く……」
二人の皺くちゃの顔が真っ青になっていく中、ここで初めて御簾の奥から声が響いた。
「何を狼狽えておるのぢゃ? わらわのこの帝国が、それほど信用できぬとでも言うのかえ?」
若い声だ。
しかし有無を言わさぬ迫力がある。
女帝デオドラ=クランゼール。
この超大国を支配し、神にも等しい存在として称えられる彼女の言葉は絶対だ。
遥かに高齢の宰相たちが、ビクリと肩を震わせ、床に額をくっつけた。
「い、いえっ、滅相もありませぬ!」
「陛下が治めるこの帝国、たかがアンデッドごときに後れを取るなどあり得ませぬぞ!」
一転して全力でへつらうその姿からは、宰相としての威厳などまるで感じない。
事実、宰相とは名ばかりで、もはや彼らはただ女帝に唯々諾々と従うだけの従者に過ぎなかった。
と、そこへもう一人別の〝影〟が現れた。
先の〝影〟が耳打ちを受ける。
どうやら何か新たな情報がもたらされたらしい。
感情に乏しいはずの最初の〝影〟が、少し驚いたように目を開く。
そしてすぐに女帝へその内容を伝えた。
「陛下、ノーライフキングはこの国に向かわず、聖教国へ向かうようです」
「なんぢゃと? 一体どういうことぢゃ?」
「聖騎士の女と接触したことで、方針を変えたようなのです」
「元は死霊術師を追っていた騎士隊の隊長だった女ぢゃな」
――〝影〟。
それは女帝直属の諜報部隊だ。
国内のみならず、彼らの耳や目は他国にも及ぶ。
実はノーライフキングの情報も、彼らはかなり詳しく掴んでいるのだ。
「ふむ、やはり各国が怖れているような存在ではないようぢゃのう。むしろ自ら望んで、浄化されようとしているのかもしれぬな」
女帝は冷静にノーライフキングの意図を見抜く。
しかし続いて彼女が口にしたのは、その場にいた誰もが耳を疑うような言葉だった。
「わらわの〝影〟よ。そのノーライフキングを、なんとしてでもこの国に連れてくるのじゃ」
年老いた宰相たちが目を剥く中、彼女は楽しげに告げる。
「かの英雄王が手も足も出なかったことは事実。そんな存在をこの帝国が討ったとなれば、我が国の威光は天下に轟くぢゃろう。攻めずして白旗を上げる諸侯もおるやもしれぬ。くくく、それがたった一体のアンデッドを倒すだけなのぢゃ。これほど費用対効果の高いものはないぞ」
戦慄する宰相たちとは違い、〝影〟は静かに「御意」と頷いた。
「ならば、まずは聖騎士の女を拉致し、連れてまいりましょう。間違いなくノーライフキングは救出に動くはずです」
「それは妙案ぢゃの」
「ただ懸念があるとすれば、その女が聖メルト教の教皇の娘であるということです。下手をすれば、聖教国……いえ、西洋諸国の大半を敵に回すことに」
「その心配は不要ぢゃ」
〝影〟の懸念を、女帝は一笑した。
「どのみち避けては通れぬ道ぢゃろう? わらわの帝国が目指すべきところ――世界征服のためにはのう」
◇ ◇ ◇
街の子供たちのところに戻った俺たちは、彼らに元凶を取り除いたことを伝えた。
「しばらくすれば魔物の数も落ち着いてくることだろう。いずれ街の人たちも戻ってくるはずだ」
「ほ、本当かっ? 姉ちゃん、ありがとう!」
「白いお兄ちゃんも!」
「あ、ああ……」
子供たちからまるで英雄のように称えられるが、俺は相変わらず緊張しながらしか話せない。
そんな俺を見て、聖騎士少女が呆れたような顔をする。
「……貴様、子供相手にそんなに硬くなる必要はないだろうに」
「し、仕方ないだろ……こういう性質なんだから……」
「さっきまで私とは普通に会話できていたのだがな」
それは慣れてきたからだ。
しかし相手が女でも、慣れればちゃんと話せることが分かったのは、大きな収穫だろう。
……まぁ、これが上手くいって永遠の眠りにつけたら、もう試す機会はなくなるのだが。
「あれー? 兄ちゃんたち、なんか仲良くなってねーか?」
「「なっ」」
少年の遠慮のない指摘に、俺たちは思わず顔を見合わせた。
聖騎士少女が慌てて否定する。
「べ、別に、そんなことはないっ」
「えー、怪しい! ていうか、姉ちゃん、顔赤いぜ! ひゅーひゅー」
「お、大人をからかうんじゃないっ!」
元凶を排除したと言っても、まだ通常よりは魔物の数が多くいるし、都市の中にも入り込んでしまっている。
すぐに聖騎士少女の故郷である聖教国に行きたいところだったが、この子供たちが魔物に襲われて死んだとなってしまうと寝覚めが悪い。
なので、できるだけ駆除してから出発することとなった。
まぁ数日くらい我慢できるさ。
しかしある朝のことだった。
「……え? あいつが、いなくなった……?」
「う、うん。朝になって、姉ちゃんのところに行ったら、もぬけの殻になってて……。昨日の夜は確かにいたはずなんだけど……」
「どこかに出かけたのか……?」
朝になって、突然、聖騎士少女の姿が消えてしまったのである。
「ここがお姉ちゃんの泊ってたとこだよ」
あの兄妹の妹の方に案内され、その小さな家屋の中に入ってみた。
「槍が……」
その壁に立てかけてあったのは、彼女がいつも肌身離さず持ち歩いていた槍だ。
これを置いてどこかに行くなんて考えられない。
「……? この焼き痕は……」
部屋の床。
そこに何かを焼いたような痕が残っていた。
「それは誘眠香と呼ばれる香を焚いた痕だ」
「っ!」
背後から聞き慣れない男の声がして、俺は咄嗟に後ろを振り返った。
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