第47話 逃走中にニアミスした

 二体の巨大なドラゴンが王都の広場に降臨した。

 だが凄まじい存在感はあっても、生き物ならば必ず有するはずの生気が感じられない。


 まさか、アンデッド化している……?

 あの白髪のアンデッドが、この最強の竜帝たちを眷属にしたというのか……?


 彼らの鋭い目が、戦慄して震える我々の方を向いた。


『貴様らか? 我が主への無礼を働いたのは?』

『殺す?』


 叩きつけられるような殺気。

 私は腰が抜けて、地面に尻餅を突いてしまった。


 信徒たちは一人残らず意識を失って倒れているし、聖騎士たちも、もはや誰一人として立っていない。

 そんな中、唯一まだ二本の脚で踏ん張り、立ち続けているのはセレスティア団長だ。


 さすが団長……。

 この状況であっても、まだ戦う意思を失っていないのか。


 と、そこで私は気づいてしまう。

 団長の足元に、水溜りができていることに……。


 ま、まさか、あの姉さんが、失き――――いや違う、あれはきっと汗だ。

 そうに違いない……そうであってくれ。


「竜帝二体を眷属に……あ、あり得ません……」

『ほう? 貴様、もしや我らに歯向かう気ではないじゃろうの?』

『ん、殺す』

「ひぃぃぃっ……」


 脚がガクガクと震え出したかと思うと、ついに立っていられなくなり、団長は内股で地面にへたり込む。

 足元の水溜まりがさらに広がっていった。


 漂ってきたのはアレ特有の匂いだ。

 ……どう考えても汗ではない。


 アルベール聖騎士団の団長として、そして教皇猊下の娘として、多くの信徒たちに慕われている姉さんだ。

 もし信徒たちがこんな光景を目撃したとしたら、その信仰が揺らぎかねない。


 ……不幸中の幸いは、広場にいる大半がすでに気絶してしまっていることだろう。


 いや、そもそも我々は生きて帰ることができるのか。

 この二体の竜帝が軽くブレスを吐き出しでもしたら最後、この場にいる者たちは残らず殺され、王都は壊滅的な被害を受けることになるだろう。


 あるいは、我々も白髪の眷属にされてしまうかもしれない。


 って、待て。

 その白髪はどこに行ったんだ……?


 先ほどまでいたはずの場所から、奴は忽然と姿を消していた。

 竜帝たちも遅れてそれに気づく。


『……む? ぬ、主がおらぬ!?』

『どこいった?』

『あっ、あそこじゃ!』


 竜帝たちの視線を追って、私も発見する。

 こちらに背を向けて猛スピードで遠ざかっていく奴の背中。

 ちょうど今、広場から飛び出したところだ。


『主よ! また逃げる気か!』

『逃がさない』


 もはや我々など眼中にないといった様子で、慌てて二体のドラゴンが後を追いかけていく。

 凄まじい地響きを上げながら、そのまま広場から去っていった。


 というか、いま一瞬、二体のドラゴンが裸の女に変身したように見えたのだが……きっと気のせいだろう。


「た、助かった……のか?」


 私は思わず安堵の息を吐く。

 ようやく身体を起こすことができるまで、しばらくかかってしまった。


「その……団長、大丈夫ですか?」


 恐る恐る団長に声をかけた。

 下半身を濡らしているそれには、もちろん気づかないふりを貫くつもりだ。


「団長……?」


 と、そこで私は気がつく。

 団長が座ったまま、白目を剥いて意識を喪失してしまっていることに。


「ね、姉さん……」



     ◇ ◇ ◇



「もう我慢の限界だっ! わしは逃げるぞっ! 誰になんと言われようが、自分の命が最も大切なのだっ!」


 そう独り喚きながら、王城から離れていく恰幅のいい人影があった。

 タナ王国の国王、レオンハルド二世その人である。


 若き宰相により、これまで厳重な警備とともに王城内に閉じ込められていた。

 だが一瞬の隙を突いて、彼だけが知る秘密の抜け道へ。

 そしてついに誰にも見つからずに王城から脱出することに成功したのだった。


「そもそも、わしは国王だぞ! なぜあんな酷い扱いを受けねばならんのだ! バイトの奴め、最近ますます増長してきおって!」


 自由の身となった彼は、日頃の鬱憤を吐き出す。


「しかし、このわしの脱出を阻止できぬとは口ほどでもない奴だな! はっはっは!」


 よく分からない勝ち誇り方をしながら、レオンハルドは贅肉を揺らして走った。

 広場の方は危険なので、目指しているのはそれとは逆の方向だ。

 そのまま王都からも出てしまうつもりだった。


「それにしても、街中にノーライフキングを誘い込むなど、もはや狂気と言っても過言ではないわい。やはり逃げの一手しか――」


 と、そのときだ。

 ちょうど目抜き通りに出た直後、彼の目の前を凄まじい速度で何かが通り過ぎていった。


「ぬおっ!?」


 思わずお尻から地面に倒れ込んでしまうレオンハルド。


「なっ、貴様、危ないだろう! このわしを誰だと思っておるのだ! この国の王、レオンハルドであるぞ!」


 遠ざかっていくその人物に、反射的に怒声を浴びせていた。

 だがそこで彼は気がつく。


 その人物の髪が、真っ白であることに……。


 レオンハルドの叫び声に反応したのか、さらにその白髪が振り返り――

 彼が目にしたのは、真っ赤な瞳だった。

 もちろんレオンハルドは、ノーライフキングの特徴くらいは伝え聞いている。


「白い髪に……赤い目……ま、ま、まさか……ひいいいいいいいいっ!?」


 泡を食って逃げ出すレオンハルド。

 しかし腰が抜けて立つことはできず、大きな身体で這うようにして進むしかない。


「ゆ、許してくれぇぇぇっ! この国が欲しいなら幾らでもあげるからっ……わしの命だけは許してくれぇぇぇっ!」


 そんなダメ王過ぎることを叫び散らす彼は、ノーライフキングがとっくに去ってしまったことも、遅れて二人の全裸美女(ただしドラゴン)が背後を走り抜けていったことにも、気づかない。


 やがてどうにか王城へと戻った彼は、すぐに逃げたダメ王を探していた宰相に発見される。


「……何やっているのですか、陛下」

「バイトぉぉぉっ!」

「ちょっ、汗びっしょりじゃないですか!? しかもこの匂い、漏らしてませんか!? 離れてください!」

「うえええええんっ!」

「泣くな、このダメ王っ!」


 この後しばらくの間、レオンハルドは塞ぎ込んでしまい、政務の場に現れることはなかった。

 ……悲しいことに、彼が不在になっても特に何の支障もなかったが。



     ◇ ◇ ◇



「また逃げられてしまったではないか!」

「どうして?」

「どうしても何も、貴様のせいに決まっておるじゃろう!」

「なぜ? 何もしてない」

「きっとぬし様は、貴様が気に喰わなかったのじゃろう」

「がーん」


 金髪の美女と黒髪の美少女が言い争っていた。

 またしても彼女たちの主人に逃げられ、二人だけ取り残されてしまったのである。


「せっかく我が頑張って眷属にしてやったというのに……使えぬやつじゃ」

「……でも眷属にはしてもらえた」

「したはいいが、やはり期待外れだったのではないかの」

「がーん」


 雷竜帝の辛辣な物言いに、闇竜帝は傷ついたようによろめいた。


「その〝ひんにゅー〟では仕方のないことじゃがの」

「……見てる限り、その〝きょにゅー〟も、ぬし様に好まれてるようには思えない。むしろ嫌がってる可能性が高い」

「何じゃと! 貴様、我の〝きょにゅー〟にケチをつける気か!」

「そっちこそ、〝ひんにゅー〟を侮り過ぎ」


 平行線の主張を続け、睨み合う。


 ……彼女たちは知らない。

 そもそも二人の主人は、女性が苦手であるということを。

 裸の女性など、もはや直視することすらできないということを。


 やがて言い合いに疲れたのか、雷竜帝が溜息とともに言った。


「……こうなったら、また別の眷属候補を探すしかないの」

「なぜ?」

「主への貢物じゃ。貴様は失敗じゃったが、今度こそ喜んでもらえるような奴を捧げるのじゃ」

「むう……」

「貴様も手伝うのじゃ。そうすれば主に認められるかもしれぬぞ」

「なら頑張る」


 こうして彼らの主人の想いとは裏腹に、二体の竜帝は新たな眷属探しに出発するのだった。

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