第98話 魔王

 今のわたしたちに逃げ場は無い。

 撤退するにしても周囲を調べるとしても、どうにかして魔王ヴィゾフニールを無力化しないと不可能。

 それはつまり――倒さないと逃げ出すことすら、ままならない。


「リムル、イーグは?」

「もう少し掛かる。時間を稼いで欲しいけど……」

「アレを相手には難しい」


 それでも、やらなきゃいけない。

 イーグが治療中である以上、わたしが足止めしないと……みんな死ぬ。


「無理はしないで、って言いたいところだけど――」

「無理しないと、時間すら稼げないよ」

「……ゴメンね」


 リムルはわたしを心配してくれるのがわかる。

 無茶を言っていると彼も理解している。でもアレを止められるのは、現状わたしだけなのだ。


 一歩、二歩……武器を構え、少しずつ間合いを詰める。

 その気配を察して、魔王もこちらへと歩を進める。

 その歩みはまるで散歩でもするかの様に、無遠慮で無警戒だ。


「行く――」


 呼気と共に小さく宣言。

 そのままわたしは一気に踏み込んでいった。



「でやあぁぁぁぁぁ!」


 裂帛、というには少しばかり甲高い、悲鳴染みた声。

 子供っぽい声なのは仕方ないけど、武器に込められた力はその間の抜けた声とは裏腹に、桁外れの破壊力がある。

 身体強化各種に加速まで使った渾身の一撃。

 魔王が完全耐久というギフトを持つ以上、まともな手段では傷一つ付かないというが、まずはそれを試してみようという考えだ。


 正直言って、この攻撃はイーグの首すらも撃ち落とせるレベルの威力がある。

 これを真っ向から受け止めるなんて、わたしにとっては信じられない。


 だが魔王の肩口に叩き込まれたクト・ド・ブレシェはボクンと言う鈍い音を立てただけで、あっさりと弾き返された。

 まるで自分の力が弱いまま、硬い肉を叩いたかのような手ごたえ。

 いや、きっとわたしの力が、魔王にとっては『弱い』と言うレベルなのだろう。


 驚愕と逡巡。

 その一瞬の隙を突くように、魔王の腕が横薙ぎに振り抜かれた。

 これはとっさに飛び退って、やりすごす。


「――くっ」


 顔面を狙って放たれた裏拳をやり過ごしたものの、その拳が巻き起こした風圧が、さらにわたしの身体を押し返す。

 その一撃は、まるで音すらも遅れてしまうかのように、デタラメな速さと力を持っていた。


 たった一合のやり取り。

 それだけで格の違いを思い知らされてしまう。


 わたしの攻撃は、躱す必要すらなく弾き返された。

 魔王の攻撃は、躱して尚、わたしの体勢を崩してのける。


 威力、耐久力の桁が違いすぎる。やはりギフトは封じておかねばならないみたいだ。

 考えてみれば、あの破戒神のデタラメな攻撃を正面から受けたと言うのだから、当然の結果だったかも知れない。


 すぐさま異空庫から封印の首輪を手に取り――気付いた。


「って、首、無いじゃん!」


 魔王の頭部は顎すらも完全に破壊しつくされており、首に嵌めたとしても、あっさり引き抜かれてしまうだろう。

 あのまさに無敵と言うべき耐久力を持つ魔王の顔面を、どうやったらここまで砕くことが出来たのやら……

 その辺りを破戒神に問い詰めてやりたい。正座させて。


 そんなことを思いつつも、魔王の攻撃を躱し続ける。

 幸いなことに、破戒神の言った通り、魔王は力任せの攻撃しかしてこない。

 防御すらろくに行おうとし無いのだから、躱す事自体は難しく無い。

 だが一発でも避け損ねるとどうなるかは……イーグを見ればわかる。

 わたしはイーグほどの防御力は無いので、たった一撃でも耐え切れ無いだろう。


 轟々と渦巻く拳風の中、必至に攻撃を避け、時間を稼ぐ。

 一つのミスで命を落としかねない、そんな攻撃をどれくらい避け続けただろうか。

 わたしは大量の脂汗を流し、足が震えだしていることに気が付いた。スタミナ切れだ。


 わたしだって冒険者だ。そこらの人間よりはスタミナがある。

 しかも魔力付与で身体能力を上げているので、早々にヘバるなんてありえない。

 これが普通の人間相手だったら、相手の方がスタミナ切れを起こしているはず。


 だけど相手はアンデッドだ。

 いや、アンデッドかどうかすら怪しい。死体を利用したゴーレムなのかも知れない。

 とにかく、疲労とは縁の無い相手だ。持久戦になれば、わたしが根を上げるのは当然。


「この……やろ!」


 力尽くの打撃が通用しないなら、投げ飛ばせばいい。

 そう判断して、足を引っ掛け、掴んだ襟首を引き倒そうとする。


 それがミスだった。


「ぐ、ああぁぁぁぁぁ!?」


 逆に引っ掛けた足を蹴り折られ、その場に転がる羽目になった。

 そもそも体勢を崩そうにも外的要因を一切排除してしまうのだから、足払いが弾き返されるのは当然の帰結だったかも知れない。


 竜化した右足はイーグほどでは無いにしても、かなりの防御力を持っている。

 それが軽く足を振られただけで、骨まで逝ってしまった。

 まるで象に挑む蟻のような気分。


「あぐ、ぐ……」


 激痛に体を支える事が出来ず、地面を転がる。

 そこに魔王の蹴りが飛んできた。


 べきん、と鈍い音がその場に響く。


 反射的にクト・ド・ブレシェで受け止めようとしたけど、刃ごとあっさりと蹴り折られた。

 しかも蹴り足はそれで止まらず、わたしの胸へ直撃。肋骨数本をへし折られてしまう。


「が、ぐふっ……げほ」

「エイル!?」


 呼吸すら激痛を誘う。

 そんな中、リムルの声が聞こえる。わたしの惨状が目に入ったのだろう。


 ――そうだ、足止め……止めないと、リムルが……


 右足はすでに感覚が無い。

 ヒューヒューと、呼吸するたびに左脇に激痛が走る。


 そこへ暖かな光が降り注いだ。

 リムルの回復魔術だ。おそらくは、快癒。

 瞬く間に胸の痛みが消え、歪んだ足も元の姿へと戻る。

 続いて活力回復も飛んで来て、少しばかり疲労が回復していく。


「あり……が――くっ」


 礼を述べる暇も無い。魔王は倒れたわたしに、拳を振り下ろしてきた。

 この状況はイーグも喰らった一撃に似ている。

 ファブニールを一撃で戦闘不能に追いやったアレは、わたしでは絶対に耐えらるものじゃない。

 だが、体勢はすでに死に体。回避するには、すでに遅い。


 死を覚悟して目を瞑ったわたしの耳に、ガリガリと何かを削るような音が響いた。

 反射的に目を開けると、そこには巨大な剣身の姿があった。


 イーグの持つ剣、グラムだ。


 グラムは魔王と同じく、破壊不能の属性があり、折れることがない。

 それゆえに現状、あのデタラメな攻撃力を受け止めることのできる、唯一の武器と化していた。


「オヤビン、お待たせ」

「イーグ、ありがと」


 人の姿を取ったイーグが、わたしの前に立ちはだかる。

 イーグのクセにかっこいいじゃない。男だったら惚れてたかも。いや、わたしはリムル一筋だけど。


 そのまま、わたしをかばって戦い始める。

 もちろん攻撃は一切通用しないので、防御中心の戦い。

 イーグは過去の英雄たちから剣技を学び続けてきたので、技と言う点ではわたし以上に達者だ。


 だが相手の桁が違いすぎる。

 こちらの攻撃はもちろん、防御すら弾き飛ばすので、受け流しすらまともにできない。

 イーグはフェイントや誘い込みで攻撃を誘導して、敵をその場に貼り付けにしている。


 そこでわたしは気付いた。

 魔王は元々大きく動く相手じゃない。しかもイーグによってその場に足止めされている。

 おかげでわたしの目の前には、魔王の足がずっしりと根を張った様に存在しているのだ。


「――くらえ!」


 躊躇する暇なんて全くなかった。

 わたしは魔王の足に飛びつき、手に取ったに取り付ける。

 要は円柱状の体の一部に巻き付け、固定すればいいんだ。

 足に付けても問題はないはず……多分。


 だけどその行動が、魔王の注意を引きつけることになってしまった。

 無造作にこちらに顔――は無いけど、向き直るとわたしの左腕を引っ掴んで、乱暴に振り回す。

 竜化した部分はともかく、付け根は人間の体のままだ。

 振り回される勢いに耐え切れず、ゴキ、ブチと音を立て、腕が引き千切られてしまう。


「ひ、ぎゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!?」


 ゴミのように投げ捨てられ、千切れた肩を押さえながら地面を転がる。

 激痛に気絶すらできない。傷口を押さえた所で噴き出す鮮血を止めることもできない。

 急速に失われていく血液に、目の前が暗くなっていく。だけど激痛で気絶できない。

 真っ暗い視界の中、死んだ方がマシという苦痛だけを、延々と味わい続ける。


「エイル! 待ってて、すぐ治すから」

「あひ、ひあ、あああぁぁぁぁ!」


 アルマは意識を取り戻してはいるけど、まだ動けるほどじゃない。

 だけどリムルはアルマを放り出してわたしの元へ駆けつけ、快癒を施してくれた。

 涙と鼻水を垂れ流しながらも、痛みが急速に引いていくのを感じる。

 傷口を押さえる手を押しのけて、腕が生えてきている。感触で、それは判る。


「あ……エイル、その腕……」

「あ、ぐぅ……な、なに……?」


 わたしはまだ、視界が元に戻らない。

 手の感触から腕が元に戻ったことしかわからない。だからそんな風に話しかけられたら不安に思うじゃない?


「腕が、元に……」

「んぅ? 快癒してくれたから?」


 リムルの快癒は部位欠損すら治しきる。だから腕が生えてもおかしくない。

 そう思って左手を目の前に持ってくる。

 うっすらとした視界の中、そこにあったのは、ちゃんとした人間の形をした――人の手!?


「腕が……人の?」

「それ、元の腕なの?」

「……うん」


 ちゃんと、人の手がわたしの腕にある。

 それが涙が出るほどに、嬉しい。でも今は――


「今は……それどころじゃない、かな」


 見ればまだイーグは一人で奮戦している。

 わたしが足にギフト封じを取り付けたおかげで、ダメージは入るようになっている。

 もっとも『ダメージが通らない』状況から、『ダメージを与えても一瞬で回復する』状況に変わっただけだけど。


 だがこれが小さい様で、すごく大きな変化になっている。

 なぜなら殴りかかった魔王の腕がその度に弾け飛び、そして一瞬で再生されると言う状況になっているのだ。


 つまり今の魔王の身は、自分の破壊力を支えきることができていない。

 再生するので、ダメージ自体は発生していないが、腕が砕けることがクッションの役割を果たすのでイーグの受けるダメージは激減している。

 しかも拳を剣で受け流すことも可能になっているので、余裕ができているようにも見える。


「ようやく、下準備が整ったってところかな?」

「これで腕の仕返しができる、ね」


 失血で眩む目を押さえつつ、わたしは再び立ち上がった。

 相手の鎧は剥ぎ取った。あとは……世界樹の接続を切断すれば、魔王を倒せるようになるはず。

 後一押しなのだ。

 そう気合を入れて、わたしも戦線に復帰していった。

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