第71話 異種

 その時ギルドにいた観客たちは『言葉を失う』という感覚を存分に味わっただろう。

 リムルが怪我人に近付き手をかざすと、魔法陣が展開され、千切れた足が見る見ると再生されていったのだから。

 その驚愕の視線に、わたしは誇らしくなって、小さく胸を張る。

 おそらく、今のわたしの鼻はいつもの倍くらい高くなっていたはずだ。


 それにしてもリムルの急成長は、目を見張らんばかり。

 以前もケビンの手足を再生させたことは有ったが、今回のそれは事情が違う。

 ケビンの場合は千切れたと言っても、まだ手足が残っていた。いわば部位『切断』と言う状況だったのだ。

 ところが、今回はまったく切断部位が残っていない。完全に『欠損』している状態からの再生だ。難易度にして格段の差がある。

 それを同じ快癒の魔術で、スムーズにこなしてみせる辺りに、成長の跡が窺える。


「これでよし……っと。一応魔術で傷は癒しておきましたが、失った血液まで戻るわけじゃありません。頻繁に眩暈などがあると思うので、数日は絶対安静でお願いします」

「え、おぁ……もう、大丈夫、なのか?」

「はい。まぁ血液も失ったと言っても、快癒である程度は再生しているので、命に別状はないでしょう。機能も元通りのはずなので、一週間もすれば完治できますよ」

「お、おおおぉぉぉ!? ありがとう! ありがとう! 俺はもう、こいつの命はもうダメだとばかり……うぅ」


 ガチムチマッチョな男がリムルを抱きすくめ、歓喜の涙を流している。

 リムルは逞しく暑苦しい胸に固定されて息苦しそうだ。

 彼も最近は随分成長しているとはいえ、まだまだ子供だ。肉付きが薄く、ひょろりとした体型は儚げにすら見える。

 そんなリムルが身長差で三十センチはあろうかという大男に、涙ながらに抱きすくめられる光景は……なんというか、こう……新たな世界の扉を開いてしまいそうだ。

 今度、エリーに『参考資料』がないか、聞いてみよう。腐った感じのやつ。


「それで、一体何があったのです? それとリムル君にはすみませんが、もう少し待っていてもらえますか?」


 そこへ口を挟んできたのはメガネをかけた男性。受付のお兄さんだ。

 その目はわたしたちの相手をしたときとは別種の、剣呑な光が宿っている。これが仕事を前にした時のプロの瞳か。

 それに、リムルの行動を束縛するってことは……嫌な予感がする。


「は? ええ、まぁ。じゃあ、ボクは彼らを治してきますので」


 リムルが指差した先には、わたしが薙ぎ払ったむさくるしい肉の塊があった。

 手加減しておいたので、骨折とかひどい怪我はして無いと思うけど、全体的にぴくぴく痙攣していて、気持ち悪い。

 リムルは彼らを癒すために足を向けたが、その注意は完全に船員の情報に向いていた。

 ほら、軽治癒の魔術が間違って隣のおっちゃんに掛かってる。


「あ、ああ……俺たちはホールトン商会の護衛で、この街を目指して航海してたんだ」

「そういえば今日は一隻入港する予定でしたね」

「陸が近付いて気を抜いたその時、海賊が現れてな」

「では、あの傷は海賊に?」

「違う! あれは――ひ、ヒュドラだ!」


 ヒュドラ。確か神話にも現れる古代魔獣だ。

 八つの首を持ち、それぞれの頭から炎を噴き、首を切り落としても瞬く間に再生してのけるという、厄介な魔獣。

 もちろん弱点はある。

 傷口を焼けば、再生しないのだ。だが、一つの首を落としたとしても残り七つの首が襲い掛かる。

 そんな魔獣の傷跡を焼くなんて行為がどれほど難しいか、想像に難くない。


「ヒュドラ……八頭の巨蛇ですか。これは早々に討伐隊を組まないと」

「それも違う、奴は今――九頭だ」

「九?」


 いや、それよりも『今』と言ったのが気に掛かる。

 では『前』は違ったとでもいうのか?


「ああ、あの野郎……俺とトムソンが苦労して首を落としたってのに……傷口から二つ首が生えやがったんだ」

「なっ――まさか、変異種!?」


 変異種。魔獣の中には極まれに通常の固体と大きく生態の違うモノが生まれてくるという。

 そういった変異種は総じて、通常個体より強く、厄介な性質を持っている場合が多い。


「おいおい、待てよ。そもそもヒュドラってのは深海に棲むモンスターじゃねえか。何で海面まで上がってきたんだよ」


 そこに口を挟んだのは遠巻きに状況を眺めていた冒険者だ。

 確かにヒュドラは深海に棲む海棲生物だった。海上を走る船舶を襲う事例は、かなり少ない。

 その生態を知る何人かの冒険者は、同意するように頷いている。


「知るかよ、俺が襲われたのは本当なんだ……やっとのことで船をヒュドラから引き離した時には、トムソンの足は食い千切られていたんだ、逃げるのがやっとだったんだよ!」


 半ば錯乱したかの様に喚く船員。

 受付のお兄さんは手を翳してその言葉を肯定する。


「ええ、わかっています、一刻を争う状況だったのは。それに海賊に襲われた直後に現れたと言いましたね? ひょっとすると、それが原因かも知れません」

「海賊が?」

「海に落ちた海賊の死体が、運悪くヒュドラの目の前まで沈んでしまった。ヒュドラは更なる餌を求めて、海上へ向かう。ありえない話じゃ無いでしょう」

「そんな、バカな!」


 海と言うのは想像以上に広い。そして、多彩な生物が棲んでいる。

 肉食の物も多く――というか、大半は肉食なのだが――とにかく、深海に棲むヒュドラの前にピンポイントで死体が無事、と言うのもなんだが、到着するなんて話は、まさに天文学的偶然だ。


「例えありえないとしても、街のそばにそんな魔獣が出たのなら、討伐しないわけには行きません。ましてやこの街は、海運と観光で成り立っているんですから」

「そりゃ……」

「船舶の護衛はあなた方冒険者の飯の種ですよ。それとも討伐せずに放置して、仕事で単独で相手取ってみますか?」

「おい、無茶言うな!」


 ヒュドラの全長は、小さな物でも十メートルを軽く超える。

 認識は薄いが、足場の不安定さを加味すれば、それこそ災害級指定されてもおかしくない強敵だ。

 それを単独で相手取るなんて、自殺行為もいいところ。彼はわざとそういう二択に話を持っていったのだろう。仕事を請けさせるために。


「ギルドから黄ランク以上の冒険者に依頼を出します。依頼料は一人あたり金貨で五十枚。人数制限はありません。受付期限は明日の朝までです。明日には出発させますので」


 一般人なら一か月か二か月分の給料に当たる。それを人数無制限に支払うと言う。

 しかも出発は明日の朝と、早々に取り決めている。

 これは、それだけの大事件と言う事なのだろう。一受付職員にしては、随分と思い切りがいい。


「それとリムル君?」

「は、はい!」

「できれば君にも一緒に来てもらいたいんです。先ほどの治癒術、すばらしく見事でした」

「あ、ありがとうございます。でもボク、明日も学院の行事が」


 明日の早朝は……確か街の魔術道具工房の見学だったかな?

 海沿いのこの町は貝殻や、魚の骨などを使った素材を使い捨てで使用する消費型魔道具の開発が盛んだ。


「それならば、私から学院の方に連絡を入れておきましょう。明日の行事は?」


 お兄さんは、わたしに向かって確認を取る。なぜリムルに直接しないんだろう?


「明日? 確か工房の見学」

「それなら、後ほど私が見学の許可を出しておきます。空いた時間に見に行くといいですよ」

「え、それは……」

「来てもらえませんか? それでは明日はかなりの怪我人を覚悟せねばなりませんね」

「な、なにぃ!?」


 お兄さんの一言に色めき立ったのは、ギルドの冒険者たちだ。

 彼らにしても優秀な治癒術師の存在は、まさに生命線と言える。

 リムルほどの腕利きなら、ぜひ随行してもらいたいだろう。


「な、なぁ、頼むよ! 一緒に請けてくれねぇか?」

「アンタがいてくれると心強いんだ。あれだけの治癒術が使えるのに、学院で飼い殺しとか勿体ねぇ!」

「いや、飼われてるわけじゃなくて……」

「なぁ、兄ちゃん。俺、次の依頼終わったら結婚するんだよ。この報酬があれば目標額に届くんだ。頼むよ」

「あんたは絶対仕事請けるな!?」


 露骨に何か死にそうな主張をする冒険者に釘を刺しておいて、リムルは溜息をついた。

 わたしも結論はもうわかっている。

 危険な魔獣がいて、放置しておくと一般人に被害が出て、しかも討伐するとなると大量の怪我人、もしくは死人が出る。

 そんな状況で、わたしのリムルが黙っているはずがないのだ。


「わかりました、引き受けます。その代わり学院にはきちんと言い訳しておいて下さいね。ただでさえ目を付けられてるんですから!」

「よかった。では私は船の手配がありますので、これで。ああ、明日の集合時間は朝の八時を予定していますので」

「了解です」


 それからのギルドは騒々しいの一言に尽きた。


 黄ランクとしては破格の報酬に殺到する冒険者たち。

 一般船舶の帰港命令と、討伐隊の使用する船の手配。

 薬品や治癒術者の確保。


 まるで戦場のような混乱の中、わたしたちはこっそりと宿に戻ることにしたのだ。

 これ以上居残って、他に厄介事を押し付けられると困るし。



 宿に戻ると、リムルがわたしの部屋にやってきた。

 彼の宿泊する部屋は四人部屋で、いつ誰が帰ってくるかわからない。

 だが、わたしの宿泊する部屋は、五組の女性冒険者、もしくは従者と言うカテゴリーで分けられたため、同室者は一人しかいない。

 その一人も、現在はマリアとともに観光に出ている。予定では夕方までは帰ってこないはずだ。

 異空庫を人に見られるわけにはいかないので、手早く装備を選別整備し、別の袋にまとめる。これを抱えて宿の屋上にあがった。


 この宿は四階建ての大型宿泊施設なので、上にあがれば上がるほど人目には付きにくい。

 特に今は三階より上は学院の貴族たちの独占状態になっている。

 そしてその貴族たちは揃って観光だのバカンスだのを堪能している最中だ。全くと言っていいほど人目はない。

 そして屋上から飛翔して、ギルドまで一息にやってくる。


 そのままメガネのお兄さんに装備の袋を預けておく。宿で装備して出かけると目立ってしまうからだ。

 しかもわたしたちは、学園側には冒険者としての装備を持ってきていないことになっている。

 いきなりいつもの重装備が目の前に現れたら、不信に思われてしまうはずだ。

 正直、大事な装備を初対面の人に預けるのは不安で仕方ないが、その場合は仕事を断って逃げればいい。

 結果多くの死者が出るだろうけど、それは自業自得ということになる。


「それじゃ、これは明日ボクたちが装備するものですので、厳重に保管してください」

「わかりました。シタラ支部の誇りにかけて、お預かりしましょう」

「あ、そういえばお兄さん。名前、何?」


 わたしは疑問に思ったことを口にした。だっていろいろ有ったせいで、今まで名前聞いてなかったんだもん。


「ああ、これは申し遅れました。私、冒険者ギルド、シタラ支部長のシメレスと申します」

「支部長!?」

「ええ、そうですが?」

「何でそんな人が受付に立ってるんですか!」

「女性職員が怖がって逃げちゃったんですよ。ほら、うちの所属はあんなですから」

「……さもありなん」


 それで男性しか残っておらず、人手不足で支部長自ら受付を行うはめに……

 この支部、大丈夫なのかな?

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