第296話 エストとヴェロニカ
「ディスティ、本当に申し訳なかった……カイエも謝ってくれないか!」
エストはカイエを睨むが――恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら、気を抜けば口元が緩んでしまいそうだ。カイエに激しく求められて、嬉しいのも本心だった。
「いや、俺は謝る事なんて……エスト、解ったよ。ディスティ……見せつけるような真似をして、悪かったな」
悪びれているように見えないカイエの隣で、エストは深々と頭を下げる――ディスティのカイエに対する想いを、エストはローズから聞いているのだ。
だから、ディスティの前でイチャつく気など無かったのだが……カイエに強引に求められて、溺れてしまった。
「ううん、エストの気持ちは解る。悪いのは全部カイエ……」
それでもディスティは、エストを責めなかった――全裸の魔族の女がカイエに抱きつこうとしたのだから、エストが『カイエは私のモノだ』と主張したい気持ちも解るし。もしカイエに求められたら……誰の前だろうと、ディスティも同じ事をするだろう。
「そうですわ……今回は全面的にカイエ様が悪いですの!」
ロザリーとしては――いつも見慣れている光景であり、エストと同じようにして欲しいかと言われると……恥ずかし過ぎて訳が解らないが。疎外感というか、焼きもちというか……そんな気持ちを懐いていた。だから……ディスティのやるせない気持ちも解る。
そんな訳で――スカイブルーの髪の可憐な少女と、ゴスロリ幼女がタッグを組んでカイエを責め立てると。
「ああ……そうだよな。ごめんな、ロザリー……ディスティも悪かったよ」
カイエは悪戯っぽい笑みを浮かべて、二人の頭を優しく撫でる。
「カ、カイエ様……」
ズルいと思いながらも、それだけで真っ赤になるロザリーはチョロいが――
「カイエ、これじゃ全然足りない……お詫びとして、ディスティにもキスして!」
目を瞑って迫って来るディスティを、カイエは片手で押さえつける。
「ディスティ……調子に乗るなよ?」
カイエは面倒臭そうにあしらおうとするが――
「それは誤解……私はいつでも本気!」
ディスティの金色の瞳が、真っ直ぐ揺るぎなくカイエを見つめる。
そのまま……ディスティはカイエの腕を胸に抱き抱えると。背伸びをして……真摯な瞳が、息が掛かるほどの距離までカイエに迫る。
このとき――多重結界がディスティの行く手を阻む。
「悪いが、ディスティ……それは許せないな!」
「そうですの……ロザリーちゃんも、それだけは許せないですの!」
結界を発動したエストとロザリーは、複雑な表情でディスティを見ており――ディスティの方も、強引に結界を破ることも出来たが……そんな事はしなかった。
「解ってる……私の方こそ、ごめんなさい」
エストもロザリーもディスティも――それぞれが自分以外の想いを理解していたから……相手に対して優しくなれた。
※ ※ ※ ※
ゾフィー・リブロス――全裸でカイエに抱きつこうとした後、放置された魔族の女は……ようやく自分の名前を名乗る事が出来たが。
エストにロザリーにディスティ――三人の牙城は堅く。唯の魔族に過ぎない彼女が入り込む余地などなくて。結局のところ……ゾフィーは何も出来ずに、ディスティの部下から温かい食事と飲み物を与えられて、暫く休む事になった。
その間に――エストとロザリーは、カイエと一緒にヴェロニカのところに挨拶に向かう事になる。
「へえー……てめえが、カイエの嫁で。そっちのちっこいのが愛人かよ。なあ、てめえらも……ローズみたいに、
ヴェロニカは舐め回すように、あからさまに挑発的な視線を向ける。
「強さか……私は魔術士で、ロザリーは
エストは冷静に――しかし、正面からヴェロニカの挑発を受け止める。相手が魔神であろうと……エストは一歩も引くつもりなどなかった。
「まあ……ヴェロニカは自分で確かめないと納得しない面倒臭い奴だからさ。エストとロザリーが良いなら、俺は止めないよ」
「カイエ様……ロザリーちゃんも構いませんのよ」
ゴスロリ幼女の本気――カイエは苦笑して、空間拡張と広域認識阻害を展開する。
「魔術士に
ヴェロニカは舌なめずりして、まるで生き物のように脈動する二本の赤黒い大剣を引き抜く。
「いや……それでは、たとえ勝ったとしても、貴方は私たちを認めないだろう。一対一で戦わせて貰おう」
エストはロザリーと視線を交わして、前に進み出る。
「『鮮血の魔神』ヴェロニカ・イルスカイヤ……カイエが認識阻害を展開したのだから、本当の力を解放して貰えないか」
「舐めるなよ……魔術士と戦うんだ。このままで十分だって!」
ヴェロニカは犬歯を剥き出しにして、獰猛な笑みを浮かべる。
「ヴェロニカ・イルスカイヤ……誤解があるといけないから、先に言わせて貰う。私には貴方を挑発するとか、駆け引きをするという意図は一切ない。だから、これは客観的な意見として受け止めて欲しい……制約を掛けた今の状態ならば、私は貴方を殺してしまうだろう」
「へえー……言うじゃねえか! だったら……殺して見せろよ!」
ヴェロニカはエストとの距離を一瞬で詰めて――本気で首を切り落とすつもりだったが。ヴェロニカが迫る前に、エストは短距離転移で躱す……それと同時に、ヴェロニカの周囲の空間を膨大な魔力が圧し潰す。
エストが無詠唱で発動したのは――攻撃力に特化した三つの
「私は……ローズと対等な条件で日々模擬戦をしている。だから、魔術士だと遠慮などして貰う必要はないな」
エストは十数種の強化と防御の魔法を発動して――同時に自らの周囲に、百本を超える光の剣を出現させる。
ガルナッシュ連邦国の闘技場で戦ったときは……
ゴーレムなどに頼らず、純粋に魔力で武装する方が――エストとしては本気だった。
「ああ……てめえが口だけじゃねえって事は解ったぜ。だったら……俺の本気を見せてやるよ!」
ヴェロニカの鍛え抜かれた褐色の身体から、膨大な赤い魔力が一気に溢れ出す――血のように赤い高濃度の魔力を全身に纏うヴェロニカ・イルスカイヤは、『鮮血の魔神』としての本来の力を全て取り戻した。
「さあ……ここからが本番だぜ!」
戦いの狂気に血が滾るヴェロニカは、さらに加速してエストに迫るが――そんな事は予想していたと、エストの姿は掻き消えて。次の瞬間、膨大な魔力をヴェロニカに浴びせ掛ける。
それでも、本来の力を取り戻したヴェロニカならば、エストの
ちなみに……カイエは空間拡張をしているが。それはあくまでも近接戦闘を基準にした広さだった。
エストならば、カイエが拡張した空間の十倍以上の
ヴェロニカに文句を言わせないためと、近接戦闘に有利な状況でも躱す自信はあったから。エストはあえて、カイエに
しかし、ほとんど無尽蔵の魔力を持つヴェロニカは――エストが何度魔法で身体を焼こうとも、一瞬で回復して迫って来る。その度にエストは転移して攻撃を躱し、多重の
仮に時間が無制限ならば――先に魔力が尽きるのはエストの方だが、エストの魔力の底も見えず。単純な
「そもそも、俺に有利な状況で……魔術士のてめえが、攻撃を躱し続けただけでも大したもんだ。それによ……なあ、エスト。てめえは……奥の手をまだ隠してやがるだろう?」
ヴェロニカもエストの意図に気づいており――近接戦闘が苦手という魔術士のイメージを払拭したエストに、称賛の言葉を贈る。
「ああ、勿論……初戦で手の内を全て晒すほど、私は素直じゃないからな」
それは事実であり……ヴェロニカが
「ああ……解ったよ、認めてやるよ。エスト……てめえはローズとは違う意味で、面白れぇ奴だな!」
ヴェロニカの豪快な笑みを――エストは正面から受け止める。
「私も……ヴェロニカ、貴方が嫌いではないよ」
エストも本気でそう思っていた。
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