第209話 帝都にて

 純粋な国力であれば聖王国の五倍とも言われるチザンティン帝国の帝都ダストレアは、人口二百万を超える世界最大の都市だ。


 人口の増加に伴い、幾度も外側に拡張された帝都は五重の城壁に囲まれており、『世界最強国軍』を自称する帝国軍の兵士が、雑然とした街並みのそこかしこで睨みを利かせている。


 その中心にあるのが皇帝マルクス・オスタニカの居城であり、鉄で補強された石造りの巨大な建築物は城と言うよりも、まさに城塞と呼ぶに相応しい威圧感に満ちた姿をしていた。


「カルガルフ将軍……我は貴官にバルキリアへの侵攻を続行しろと命じた筈だが。それを無視して帝都に舞い戻って来たのは、如何なる理由によるものか?」


 広大な広間の一番奥で黄金の玉座に座るマルクスは、肘掛けに凭れながら、冷酷な目でバルバロッサを見る。

 先代皇帝と兄たちの事故死という度重なる不幸・・によって、マルクスが若干十六歳で皇帝に即位してから十二年――二十八歳の若き皇帝に、慈悲という言葉は無い。


 広間に居並ぶのは皇帝直属の将軍たちと、近衛騎士団の精鋭二千余り。さらには帝都魔術旅団と呼ばれる帝国最強の魔術士部隊の面々――マルクスの命令に絶対服従する、皇帝の力を見せつけるために集められた者たちだった。


「陛下……伝言メッセージの魔法にて先に報告させて頂きましたが、バルキリア公国には勇者ローゼリッタ・リヒテンバーグ殿と、人知を超える強大な魔法を操る者が味方しております。侵攻を続けることは、帝国軍十万を壊滅させる結果になると判断しまして、私は全軍を撤退させた次第です」


 バルバロッサは皇帝の前に片膝を突き、頭を下げたまま応える。


「その話は聞いたが……やはり、カルガルフ将軍は気が狂ったようだな。勇者が帝国に敵対? その上、十万の兵士を壊滅させる魔法だと? 笑わせるな……だったら何故、一兵たりとも死者が出ておらぬのだ?」


「それは……彼らが慈悲を掛けたからです。しかしながら、敵対するならば、もう容赦などしないと。あの男は……カイエ・ラクシエルは言っておりました」


 苦しい説明だと、バルバロッサも自覚している。死者ゼロ――この事実を前に、自分の言葉を信じろというのは無理な話だったが。


「陛下が信じられぬのも解りますが……十万の将兵が、全てを目撃しております。どうか兵士たちの証言に耳を傾けて、バルキリア侵攻を諦めて頂けませんでしょうか。そうしなければ……おそらくカイエ・ラクシエルは、その力で帝都を滅ぼします」


 しかし、バルバロッサは引き下がる訳にはいかないのだ。自分が処刑されることは、とうに覚悟の上だが――十万の将兵だけでなく、帝都の市民二百万の命が懸かっている。


「もう良い……カルガルフ将軍、貴官の世迷い事は聞き飽きた。貴官たち・・は、我の命令を無視した罪により処刑する」


 ハッとして顔を上げるバルバロッサを無視して、マルクスが近衛騎士長に顎で指示を出すと――鎖で繋がれた者たちが、騎士たちに引き立てられて姿を現わした。


 副官ラグナス・ウルガンに、女将校キシリア・レーバン他、バルバロッサの直属の部下たちと……バルバロッサと部下たちの一族全員だった。

 総勢四百人余りが口と両腕を鎖で封じられ、無表情な近衛騎士たちに犬のように引きずられて来る。


「陛下……陛下のご命令に逆らったのは私です。部下たちは私の指揮に従っただけ、さらには全員をすでに解任しております。その上一族全てを処刑するなど……どのような理由があるのか、お聞かせ頂きたい!」


 困惑する壮年の将軍を、皇帝マルクスは嘲笑う。


「何を言っておるのだ、カルガルフ将軍……いや、罪人バルバロッサ・カルガルフ。命令を無視して帝都に舞い戻ったのは、貴様の部下も同じ。そんな罪人どもを生み出した一族にも、罪があるのは当然であろう?」


 常軌を逸した発言だったが、このときマルクスは――相手を焼き殺すような激しい憎悪の炎を顕わにしていた。


「我の顔に泥を塗った今回の失態を……反皇帝派の帝国貴族たちは、さぞや喜んでおるであろうな。貴様の背後で誰が糸を引いたのか……こやつら全員を拷問して殺すまでに、必ずや吐かせてやる。誰一人として、楽に死なせはしないからな」


 高笑いする皇帝の姿に――バルバロッサは逆鱗に触れた事を知った。

 無傷の敗北によって、皇帝マルクスの影響力が弱まることを期待していたが……そんな彼の思惑など、相手はお見通しであり。火に油を注ぐ結果となった。


「ご、誤解です、陛下! 私は貴族と結託してなど……」


 狼狽するバルバロッサに……マルクスは狂気の笑みを浮かべる。


「仮に、主犯が貴様自身だとしても……同じことだ。貴様に関わった者たちが、殺してくれと叫ぶ姿をその目に焼き付けながら……我に逆らった罪を、存分に悔やむが良い!」


 今回の一件で、帝国における皇帝の権威が下がることは確定事項であり。マルクスは復讐する相手を求めているだけなのだ。


 犯人が敵対する貴族であれば、皇帝の力を見せつけて血祭りにする。

 バルバロッサ自身が犯人ならば……よくも裏切ってくれたなと、彼が最も嫌がるやり方で、殺すだけの話だ。


 鎖に繋がれて、引きずられて行くバルバロッサを――彼の部下たちは血の涙を流す思いで見つめていた。自身も鎖で口を塞がれているため、呪詛の言葉を吐くことすら叶わぬままに。


 悪夢としか言えない光景……それは、突然終わった。


「おまえがマルクス・オスタニカか……皇帝だって偉そうにしてる癖に、何馬鹿なことをやってんだよ」


 不自然なほど響く声に――マルクスが不機嫌に顔を上げると。

 大広間の巨大な両開きの扉が開いて、黒髪の少年が姿を現わした。


 胸元の開いたシャツに革ズボンという平服姿で、少年が玉座へと続く赤い絨毯の上を歩き始めると。白銀の鎧に身を包んだ赤い髪の少女と、翠色ポニーテールのゴスロリ幼女が後に続いた。


 赤い髪の少女に――マルクスは見覚えがあった。


「そなたは……勇者ローゼリッタ・リヒテンバーグ殿か。久しいな……確か、魔王軍との南部戦線へ、我が帝国軍を投入する際に、この帝都で会って以来か?」


 かつてを懐かしむようなを言葉を発しながら――マルクスは思考を高速で回転させる。まさか本当に勇者ローズが姿を現わすとは、考えてもいなかったのだ。


「ええ。オスタニカ皇帝陛下、お久しぶりです。ですが、今日陛下に話があるのは私ではなく……彼、カイエ・ラクシエルです」


 勇者ローズが促した少年は――この状況を面白がるように笑った。


「そういう事だ、皇帝マルクス……俺はおまえに、文句を言いに来たんだよ」


 皇帝である自分を歯牙にも掛けない態度のカイエに……マルクスは殺意を覚えていた。

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