第208話 反撃開始
アルバラン城塞での戦いから二週間後――
敗軍の将となったバルバロッサ・カルガルフは、直属の部下だけを従えて、皇帝マルクス・オスタニカが待つ帝都へと向かっていた。
『カルガルフ将軍ともあろう者が……気でも狂ったか? 誇りある帝国軍人ならば、死など恐れずに最後の一兵となるまで戦え』
六人の兄全てを暗殺して帝位を手に入れたと噂される皇帝マルクスは、冷徹な性格で知られている。チザンティン帝国において、皇帝の権力は絶対ではないが――だからこそ、自ら立案したバルキリア侵攻を、無傷の敗北という不名誉な形で終わらせる訳にはいかないのだ。
そもそもバルバロッサが報告した敵の強大さなど、マルクスは話半分にしか聞いていなかったが。それが仮に事実だしても、命令を撤回するつもりなどない。
本当に敵が人知を超えた存在だとしても――遠征軍の全滅によって不可抗力な敗北だと証明し、自らの責任を回避する方を選ぶだろう。
『貴族たちから招聘した兵士も失ったのだから……痛み分けだな。我の権力が揺らがないのであれば、十万程度の犠牲など造作も無い事だ』
皇帝マルクスとは、そういう男だった。
だから命令を無視して帰還したバルバロッサを、彼は決して許さないだろうが――命令に愚直に従って部下を死なせるほど、バルバロッサは愚かではない。
(殲滅されるか撤退するかを選べと、あの男は言ったのだ……撤退しなければ、我々は確実に殺されていた)
歴戦の将軍であるバルバロッサは、カイエが本気で言ったと確信している。あのときの冷徹な目は――幾万の敵を躊躇なく殺して来た事を物語っていた。
このまま帝都に戻れば、バルバロッサは確実に処刑されるが。遠征軍司令官としての最後の務めから、逃げ出すつもりなど無い。自分の命と引き換えに将兵たちが救われるのなら、それこそ本望だと言える。
数多くの将軍を輩してきたカルガルフ家に生まれ、ずっと帝国軍人としての誇りを胸に抱いて生きて来たのだ。部下たちを無意味に死なせれば……自分の人生そのものを否定することになる。
「閣下……」
バルバロッサ直属の部下たちは、そんな彼の矜持を理解していたから――最後まで運命を共にする覚悟を決めていた。バルバロッサが処刑されるのであれば、自分たちだけ生き残るつもりなどない。
そして、乗り潰した馬を変えること四度……ようやく明日には、帝都に到着するという夜。バルバロッサは皇帝に会うために身支度を整えると、宿場町に一泊した。
借り切った宿屋の最上階の部屋に、部下たちを集めると。バルバロッサは宿の者に命じて、彼らのグラスに酒を注がせた。
これが末期の酒だと誰もが思い、無言で主の言葉を待つが――バルバロッサが発っした言葉は、予想外のモノだった。
「これは私がおまえたちに告げる最後の命令だ……本日を以て、おまえたちの任を解く。だから……私と共に死ぬことは、絶対に許さん」
部下たちの考えなど、バルバロッサにも解っていたから。彼らを自分に付き合わせて死なせる事など……絶対に出来なかった。
「閣下、その御命令だけは……承服できません!」
三十年以上、副官を務めるラグナス・ウルガンは――生涯で初めて、上官に対して異を唱えた。
「我らにとって……閣下と運命を共にする事こそが誇り。その誇りを閣下は……我らから奪うのですか……」
「すまんな、ラグナス……おまえたちは生き延びて、私の無念を晴らしてくれ」
卑怯な台詞だと自覚しながら――バルバロッサは部下たちの顔を順に見る。
彼らの口惜しさを理解しながら……それすら許さない自分は、どれほど残酷なのか。
それでも……たとえ生き恥を晒しても、泥水を啜ってでも。彼らには生き延びて欲しいと心から思う。生きてさえいれば……雪辱を晴らす機会は必ずあるのだから。
「あのさ……盛り上がってるとこ悪いけど。バルバロッサ……おまえを簡単に死なせるつもりなんて、俺には無いからな」
突然響いた声に、部下たちが剣を抜くと――部屋の奥に、黒髪の少年が立っていた。その顔を、彼らが見間違える筈もなく……
「貴様……貴様のせいで、閣下が!!!」
一斉に躍り掛かるが――剣が触れる前に、少年の姿は掻き消えて。
次の瞬間には、バルバロッサの眼前に立っていた。
部下たちは即座に、彼の下に駆け寄ろうとするが……いつの間にか張られた結界に阻まれて、近づくことが出来なかった。
「おい、バルバロッサ……考えが甘いって。おまえが死んだところで、皇帝は別の将軍を立てて、もう一度バルキリアに遠征するだけだろ。本気で兵士たちを命を救いたいなら……俺が皇帝の心を折って、黙らせてやるよ」
「皇帝陛下を……黙らせるだと? そんな不敬を、帝国軍人である私が許す筈が無かろう!」
皇帝マルクスが再びバルキリアに遠征する事など、バルバロッサも当然考えていたが。自分を司令官に任命した皇帝に不名誉な敗北の責任を負わせる事で、彼の発言力を弱めて、遠征を思い止まらせる可能性に賭けたのだ。
しかし、生粋の帝国軍人であるバルバロッサは、直接皇帝を害しようなどとは全く考えておらず――それを口にしたカイエに、たとえ無意味に殺されるとしても剣を抜くしかなかった。
「おまえも……馬鹿だよな。解ったよ……今すぐ終わらせてやるから」
バルバロッサの斬撃を、カイエは身に纏う魔力で受け止めると。あのときと同じように冷徹に笑って、壮年の将軍に手を伸ばす。
このとき――轟音とともに、魔力を帯びた銃弾がカイエの指先に命中した。
しかし、当然ながら彼は無傷で。銃弾の方が砕け散る。
「失せろ……この外道が! 閣下を侮辱する者を、私は絶対に許さない!」
魔弾を放ったのは淡い色の髪で、生真面目な顔の女将校――キシリア・レーバン。
ルーン文字が刻まれた
「へえー……魔銃か。面白いモノを持ってるな。でもさ、そんなモノでおまえも……俺を殺せるとは思ってないだろ?」
結界を突き破った魔弾は、凝縮した魔力を込めた強力な武器だったが――それはカイエが兵士たちを足止めするために、適当に結界を張ったからで。
アルバラン城塞でカイエを遠目でしか見ていないキシリアにも、絶対に敵わない敵だと解っていたが……それでも彼女は、カイエの殺意を少しでも自分に向けて、一秒でもバルバロッサの死の瞬間を遅らせるために、続け様に銃弾を放つ。
しかし――その全ては、赤い髪の少女に空中で両断されてしまう。
「そんな攻撃が、カイエに効く筈は無いけど……ごめんなさいね。私の大切な人に牙を剥くなんて許せないのよ」
ローズの褐色の瞳に見据えられても――キシリアは怯まなかった。、
「勇者ローズ……どうして勇者の貴女が、閣下に敵対するんだ!」
彼女の魂の叫びに、ローズは優しい笑みで応える。
「私の理由くらい……カルガルフ将軍を命懸けで守ろうとしたあなたなら、解るわよね?」
ローズに促されて、キシリアが見つめる先で――カイエはバルバロッサの頭を狙って拳を突き出す。
「……閣下!!!」
強大な魔力を放つ一撃に、彼女はバルバロッサの死を幻視するが……触れる寸前に、カイエは拳を止めた。
「貴様は……何処まで私を愚弄する気だ」
バルバロッサは目を閉じることなく、カイエの拳を睨み付けていた。
「いや、そんなつもりは無いよ……おまえが面白いから、気が変わったんだ」
カイエが放つ威圧感に怯むこともなく、自らの死の瞬間まで軍人であり続けようとしたバルバロッサを――カイエは気に入ってしまったのだ。
「本当に強情な奴だよな。おまえの考え方は理解出来ないから……俺は勝手にやらせて貰うよ」
圧倒的な戦力の違いを冷静に受止めて、兵士たちを無意味に死なせなかったバルバロッサだから。交渉出来ると思っていたが……こいつは死んでも、考えを曲げたりしないだろう。
「ローズ、ロザリー、帰るか……完全に無駄足になったけどな」
「カイエ様が諦めるなんて、珍しいですの……でも、ロザリーちゃんは初めから、交渉なんて必要ないって思ってましたの」
いつの間にか部屋の中にいたゴスロリ幼女に、兵士たちは身構えるが。
ロザリーは完全に無視して、彼らの前を素通りする。
カイエが結界を解除すると、兵士たちは我先にとバルバロッサに駆け寄るが。彼の死の危険が去ったことを実感した今、カイエに敵意を向ける気力がある者などいなかった――バルバロッサ本人と、キシリア以外は。
今も銃口を向ける女将校を一瞥して、カイエは苦笑すると。そのままローズとロザリーを連れて、部屋から出て行こうとする。その背中に……
「貴様は……いったい何をしようと言うのだ? 貴様にどれほどの力があろうと、チザンティン帝国と……いや、皇帝陛下と敵対して……」
勝てる筈が無いと、バルバロッサは口にしようとしたが――あの強大な魔力を知った今では、完全に否定することなど出来なかった。
しかし、あの力を帝都で解き放てば……皇帝や貴族、軍人だけではなく。大多数の一般市民までが犠牲になるだろう。それを見過ごすなど……
「私が……何がすれば、貴様……貴殿は、帝都への侵攻を止めてくれるのか?」
苦渋の選択をするバルバロッサに――カイエは振り向いて、フンと鼻を鳴らすと、
「止めろよ、軍人馬鹿のくせに……安心しろ、俺は敵以外は絶対に殺さないから。ああ……今日の事も全部に皇帝に報告して、厳重警戒態勢を取れって言っておけよ」
それだけ言い残して立ち去った。
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