第96話 イルマの事情


 どす黒いお茶が湯気を立てるカップを前に――カイエたちはソファーに座って、イルマと向き合っていた。


 人数の関係から、カイエ、アリス、ローズが並んで座り、向かい側にイルマを中心に、左右にエストとエマ。ガゼルはイルマの後ろに立っている。


「ところでさ……あれから、変な手紙が来たり、不審な奴を見掛ける事とかあったのか?」


 祖父であるバルガス侯爵の遺産絡みで、イルマは血族と思われる者からも狙われている。


「ああ、先日は本当にありがとうございました。最近、家の周囲に不審な者をよく見掛けるとガゼルが言っていたんですが……おかげさまでと言いますか、この二日間は、特にこれといったことはありませんね」


 イルマはニッコリと微笑みながら、ペコリと頭を下げる。


「だろうね、何しろカイエが……」


「エマ! ちょっと黙っていてくれるかしら?」


 エマは言おうとした台詞をアリスに遮ぎられて、思わず『しまった!』という顔をする。


「てめえ……やっぱり、何かやっていやがったな!」


 ガゼルはカイエを睨みつけるが――


「ああ……勝手にやったのは悪かったけどさ、魔法を使って、この家の周囲を警備してたんだよ」


 今さら隠し立てをしても意味がないと、カイエはアッサリと認める。


 不可視のインビジブル従者サーバントという魔法生物をカイエは十体ほど召還して、イルマの家の周辺を見張らせていたのだ。


 不可視の従者は使い魔のような存在で、単純な命令をこなすことと、視覚や聴覚の情報を主に伝えることしかできないが、偽造馬フェイクホース程度の戦闘能力はあるから、先日の誘拐犯程度の相手であれば余裕で撃退できる。


「まあ……それでは、カイエさんが守ってくれたんですね! 重ね重ね、本当にありがとうございます!」


 カイエがやったことは、普通の魔術師に出来ることではないが――魔法に疎いイルマは何の疑いもなく、素直な気持ちで感謝を述べる。


「先日の件もそうですけど……お爺様が亡くなってから、ほとんど毎日のように親戚だという方や、チザンティン帝国の貴族の使者が来られて……縁談とか、後ろ盾になって頂けるとか、そういうお話をされてるんですが……私としては、このままレガルタで静かに暮らしていきたいと思っていますので、全部お断りしたんですよ」


 イルマは自覚がないのか、遺産絡みのドロドロとした話をサラリと語る。


「失礼とは思ったけど……何かの役に立つかと思って、バルガス侯爵の件については私なりに調べさせて貰ったわ」


 アリスは暗殺者ギルドの情報網を使って、侯爵の遺産相続に纏わる情報を集めていた。


「故バルガス侯爵の個人資産の総額は、帝国でも五指に入ると言わているわ。その半分を侯爵夫人が、残りの半分を爵位を継いだ現侯爵と、弟のオリバー子爵が相続する筈だったんだけど……バルガス侯爵の遺言によって、孫娘であるイルマさんにも相続権が発生したわ」


 チザンティン帝国の法律では、配偶者と直系の子供のみに遺産を相続する権利があり、すでに子供が死んでいる場合も、その子供――つまり孫に相続権は発生しない。

 しかし、故人が遺言を残した場合は、そちらが優先されるのだ。


「イルマさんが相続したのは、バルガス侯爵の資産の六分の一……金額については憶測だけれど、金貨二百万枚とも言われているわ」


 この世界の金貨は、鋳造した国によって差はあるが、平均すれば一枚で十万円程度の価値があり――イルマは約二千億円を相続したことになる。


「幸いなことに……他の三人の相続人は世間体もあってか、イルマさんの相続に対して何も行動していないみたいだけど。他の血族や周囲の貴族たちが騒ぎ出して……さっきイルマさんが言っていたように、後見人や婚姻という手段で遺産を狙っているという話だわ」


 貴族のゴシップという話題は、貴族同士や使用人を通じで簡単に広まるもので――これだけの情報を手に入れるのに、アリスは大した苦労はしなかった。


 二十年ほど前に勘当された侯爵の三男――イルマの父親のことも話題となっていたが……さすがに社交界からとうに離れて、忘れ去られていた男について詳しく知る者はおらず、勘当された理由について噂話が囁かれる程度だった。


「……そうですか。金額とか、詳しいことは知りませんでしたが……やはり、祖父の遺産が原因なんですね。できれば、相続することを辞退したかったんですが……」


「ええ。イルマさんが相続することは、すでに決まっているわ」


 チザンティン帝国皇帝の名において、バルガス侯爵の遺産の分配はすでに決定事項とされていた。

 おそらくだが、第三者が異論を挟む隙を与えないように、バルガス侯爵が生前に皇帝へ願い出ていたのだろう。


「今から遺産を放棄するとしたら……皇帝に直訴して、帝国の公庫に納めるという手はあるけど。皇帝の顔を潰すことになるし、手続きのために帝都に暫く滞在する必要があるから……もっと面倒なことになりそうね」


 今、イルマがチザンティン帝国の帝都に行けば、遺産を狙っている者たちの思う壺だろう。


 つまりは、当面は遺産を狙う者たちの相手をする他はないということだが――イルマ本人というと、全く深刻そうではなく、


「それは困りましたね、ハハハ……」


 という感じで笑っているから、アリスの方が心配になるくらいだった。


「まあ、遺産のことは別にしてさ……もう一つ、おまえたちに確かめておきたいことがあるんだ。最初に言っておくけど……別に俺たちは、興味本位で訊く訳じゃないからな?」


 カイエはそう言いながら、ガゼルを一瞥する。


「イルマを狙っているのは、チザンティン帝国の貴族だけじゃないんだよ。そして、そいつらの目的は遺産じゃなくて――イルマ自身だ」


 カイエの言葉に――イルマの表情が一変する。

 にこやかな笑みが掻き消えて……血の気を失い、真っ青な顔になった。


「やっぱり、自覚はあるようだな……」


「カイエ、てめえ……」


 ガゼルが物凄い形相で睨むが――『邪魔だからさ、ちょっと黙っていろよ』と、カイエの漆黒の目に威圧されて、思わず言葉を途切れさせる。


「俺が確かめたいのは、その理由なんだ……事と場合によっては、俺が全力で守ってやからさ。イルマ……おまえが抱えている事情を、教えてくれないか?」


 カイエに真っ直ぐに見つめられて――イルマは震えながら、コクリと頷いた。


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