第44話 アイシャの報告


 シルベーヌ子爵の城に招かれたカイエたちは――目の前で繰り広げられる壮絶な親子喧嘩を目撃することになった。


「アイシャ……おまえという奴は、勝手に暴走しおって! 私がどれほど心配したと思ってるんだ! ラゼル川のことは誠心誠意話をして、必ず解決すると言っただろう!」


「だ・か・ら、お父様は……パパの考えは甘いのよ! エドワード王子も、モルネート伯爵もお金が目的なんだから、正論を言っても無駄に決まってるでしょ!」


 あの可憐な少女アイシャが――今は見る影もなく、父親に対して怒り狂っている。


「そのくらい、私も解っているが……パパは、おまえを差し出すくらいなら……この世界の全てを犠牲にしても構わないんだ!」


「あのねえ……そんなこと、領主のパパが言って良い筈がないでしょう! そんなだから私は……パパに黙って、エドワード王子のところに行くしかなかったんじゃない!」


 二人の言い合いを――カイエたちは呆れ半分、ニヤニヤ半分で眺めていた。


「何だかなあ……私は、うちのパパやママとの喧嘩を思い出すよ?」


 聖騎士一家の一人娘エマが、ニカッと笑い飛ばす。


「まあ、親子喧嘩なんて……俺たちにはどうでも良いよな? このまま放置して、さっさと引き上げるか?」


「そうよね! せっかくシルベスタに来たんだから……私はカイエと、カラスヤの森を歩きたいわ……」


 ローズはカイエの腕にピタリと身体を寄せると、頬を染めながら上目遣いに見つめる。


「……だったら、私も一緒に行こう。この辺りの植物や動物について、私なら詳しく説明できるからな」


 エストはカイエの服の端をチョコンと掴んで――恥ずかしそうに言う。


「……じゃ、邪魔にならなければ……だけど……」


「エストが邪魔な筈がないだろう?」


 明け透けな笑みで即答するカイエに――エストの顔が一瞬で真っ赤になる。


 そんな風に突然出現したピンク色の世界を――今の今まで言い争いをしていた父と娘は……毒気を抜かれた感じで唖然と眺めていた。


「何だ……もう終ったのか?」


 何食わぬ顔で言うカイエに、さすがにちょっとと思ったアイシャは文句を言い掛けるが――


「いや、申し訳ない……大変見苦しいところをお見せした」


 それを制するように、シルベーヌ子爵は自重した顔でカイエたちの元にやってくる。


「勇者ローゼリッタ・リヒテンバーグ殿、そして勇者の同胞の方々……改めまして、私はシルベーヌ子爵、ヨハン・シルベーヌです。この度の貴女たちのご助力について、深く感謝します」


 深々と頭を下げるシルベーヌ子爵に――親子喧嘩を目撃してしまった彼らは、何か今さらな感じがして、少々対応に困っていた。


「まあ……気にするなよ、ヨハン。さっきローズも言ったけど、俺たちは好きでアイシャを助けたんだからさ」


 いきなり呼び捨てにされて、ヨハン・シルベーヌは思わず顔を上げて、顔を引きつらせるが――


「カイエ・ラクシエルだ。今、生意気な奴だって思ってるだろうけどさ……言っておくけど、俺の方が年上だからな?」


 カイエは右手を差し出すと、強引にヨハンの手を取って握手する。


「カイエ! あんたねえ……また、話がややこしくなりそうなことを……」


 アリスが文句を言うが、


「別に嘘じゃないんだから、良いだろ? ……なあ、ヨハン? 俺たちに感謝してるって言うならさ、とりあえず面倒な話は止めて、シルベスタを案内してくれよ?」


 普通に考えれば、不躾で失礼な態度だったが――ヨハンはカイエのペースに飲まれた感じで、不思議と不快には感じていなかった。


「ラクシエル殿……貴殿はいったい……」


 それが当然と言う感じで、一切物怖じせずに自然と振舞うカイエの態度に――ヨハンは只者でないことを悟って問い掛けるが……


「カイエは……私の一番大切な人よ!」


 乙女モードのローズに宣言されて――それ以上、何も訊くことができなかった。


※ ※ ※ ※


 そろそろ夕暮れ時という事もあって――観光は明日に持ち越しという話になり、アイシャとヨハンが彼らを連れて向かったのは、町はずれにある墓地だった。


 エレノア・シルベーヌ――病死した亡き母の墓標に、アイシャはモルネート伯爵との事件が解決したこと……そして、カイエたちのおかげでエドワードの側室にならずに済んだことを報告する。


「エレノア叔母様って……アイシャとよく似た奇麗な人だったよね?」


 エマはエレノアのことを、実はアイシャのことよりも良く覚えていた。


 幼い子供たちの面倒を見るエマのことを、何度も褒めてくれて、その度にお菓子をくれた……褒められる度に、ちょっと恥ずかしいなと思ったことと、自分の母親とは違うタイプの大人の美しさに……少しだけ、憧れのような気持ちを懐いたことを思い出す。


「エミーお姉様……ええ、私のお母様は本当に奇麗で、優しくて……」


「うん……アイシャが頑張っているのを、きっと優しく見守ってくれてるよ」


「エミーお姉様……」


 エマの胸に顔を埋める娘の姿に――ヨハンも思わず涙を流していた。


「……い、いや、申し訳ない……何と言うか、娘が……アイシャが、こうして無事に戻って来られて……私も妻に、どうにか顔向けできたと思うと……」


 ヨハンは涙を隠そうともせずに、カイエたちの方に向き直る。


「貴殿たちには、本当に……本当に感謝する……アイシャと、我々シルベーヌ子爵領の者たちを、よくぞ救ってくれた……」


「感謝の言葉は有難く貰っておくけどさ……変な気の遣い方はするなよ? 何度も言うけど、俺たちは好きでやったんだし、一応報酬も貰うことになってるからさ?」


 アリスが来年に設定した報酬の意味を――ヨハンも理解していた。


「ああ……それも含めて、幾ら感謝しても足りないくらいだ」


 こうやって泣いている姿を見ていると――如何にもアイシャの父親って感じだよなあとカイエは思っていた。

 見た目は母親似のようだが、性格の方は、案外ヨハン譲りなのかもしれない。


「でもさ、ヨハン……さっきの世界を犠牲にする云々の発言は、アイシャでなくても呆れると思うけどな?」


「それは……あくまでも気持ちの問題であって、本当に領民を犠牲にするくらいなら……私はシルベーヌ家を断絶させても良いと思っている」


 ヨハンの真剣な顔に嘘はなく――こういうところも、アイシャとそっくりだった。


「お父……パパ! 何でパパが泣いてるのよ!」


 墓前から戻って来たアイシャが、唖然とした顔で声を上げる。


「い……いや、私が泣く筈がないだろう」


「嘘よ! 思いっきり、泣いてるじゃない!」


 また何かあったんでしょうと詰め寄るアイシャに、ヨハンは何と言って誤魔化そうかと困った顔をしていたが――


 グゥゥゥ……


 少し可愛らしい感じの音がして、皆が思わず動きを止める。


「あ……ごめん! 私、お腹すいちゃったよ!」


 えへへ……という感じで、あっけらかんと笑うエマは無敵だった。


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