93.日々新教③(怖さレベル:★☆☆)

「おはようございま……あれ?」


バックヤードに入ってすぐ、

妙な違和感を覚えて、私は足を止めました。


「…………」


いつも通りの風景。

まだ誰もいないのは、時間も早いのでよくあるコトです。


しかし、視界に映る職場が、どうにもおかしい。


いえ、見た目がどう、というのではなく、

空気が重いというか、どんよりと濁っているように思えるのです。


スン、と鼻を鳴らすと、空気に漂う

なんとも言い難い臭気すら感じる始末。


「まさか、掃除をサボって……? いや、

 店長がそんなの許すわけない……」


店長は、その立場を任されている理由の一つ、

と自分で称すほどのキレイ好きです。


(それに……ホコリの臭い、ってわけでもない。……なんだろう)


スッとハタキで棚を撫でても、汚れもつかないことから、

推測の通り、きちんと掃除はされているようでした。


それなのにこのくすぶるような臭いと、どんよりと濁った雰囲気。


三日ぶりだから、へんな風に感じているだけ?

と疑問に思いつつ、オープンの為の準備を始めていると。


「あっ、宮下さん! おはようございます!」

「あ、洋川さん。おは……」


朝の空気に似合う朗らかな声に振り返った私の口は、

発しようとした声ごと、ガクンと下に落ちました。


「お婆さんが亡くなったんですって? ご愁傷さまでした」

「あ……あ、ああ。め、迷惑かけちゃって、ゴメンね……」


目前の光景に呆然としつつ、

しどろもどろに発した声は、なんとか形になったようです。


「いいえ。仕方ないですよ……ね、店長?」

「ええ。おはよう、副店長」

「あ、おはようござ、い、ます……」


そして、彼女の後ろから現れた店長を見て、

私はさらに絶句することになりました。


「私たちは最近、幸せなことばかりよ。これも、

 洋川さんに紹介してもらった、日々新教のおかげね」


その言葉よりも何よりも、二人が肩を並べるその背後。

そこに存在する、異様なもの。


(……き、もち悪い)


例えるなら、ナナフシという昆虫。


木の枝のように節々が細く、胴体がヌルリと長い。


そんな生物を人間大にひき伸ばして、

色合いを黄土色に塗り替えたような、気色悪いバケモノ。


それが、演出かと疑うほどにくっきりと、

彼女たちの背後に張りついていたのです。


肩にその長い節を這わせ、髪の毛にまとわりつくように。


そのあまりにもおぞましい姿に、

心の中で声にならない悲鳴を上げました。


「日々新教に入ってから、ウソみたいに人間関係の悩みが消えたもの。

 嫌いな人たちはみんな、引っ越したり離れていったり」

「ええ、まったくです。うちもようやく、元旦那の母親からの鬼電がやんだんですよー。

 なんでも階段から落ちて入院したって。ほんと、イイ気味」


以前とは別人のようにケラケラと声を上げて笑う洋川さんの、背後。


あのフシ長のバケモノが、その脚の一本と思われる細長いソレを――

グサッ、と目前の彼女の耳に突き刺しました。


(ひぃっ……!)


グギュ、という湿った空耳が聞こえるほどに。

ニュクニュクと耳の中へそれは押し込まれて行きます。


ブジュッ、グッ……


ある程度突きさした段階で、それは止まりました。


しかし、その細い脚がぷくっ、と膨らんだかと思うと、


ジュルッ、ジュッ


膨らんだ部分が、ナナフシじみたバケモノの

胴体へと吸い込まれて行きます。


まるで、ストローでジュースを啜るかのように。

彼女の耳の中から、何かを啜りとっている――!?


「そうよねェ。うちもよ。弟嫁がこ生意気なんだけど、この間事故に

 遭ったらしくて。いつも嫌味言ってくる女だから、もうせいせいしたわ」


おしとやかで、いつも穏やかに周囲をたしなめる店長の面影はもはやありません。


私が呆然と二人の会話を流すことしかできないでいると、

彼女たちは口元にだけクスッと笑みを浮かべて、心底残念そうに言いました。


「あなたもクリスチャンじゃなければねぇ。日々新教に入れたのに」

「ねぇ。もっともっと、幸せになれるのに」


ケタケタケタ……


笑う二人の頭部に張りつく、昆虫もどき。


目のないそれは、もそもそと彼女たちに寄生するように身をよじり、

その細長い四肢をうごめかせていました。


私はそれから逃れるように、

あいまいに笑ってごまかすことしかできなかったのです。




……その後、ですか。


ご想像通りかと思いますが……私は仕事をやめました。


ええ、当然ですよね。

あんな所……とても長くはいられません。


例の宗教に毒されていたのは洋川さんと店長のみならず、

私以外のすべて、それに引き込まれていました。


あのナナフシのようなバケモノは揃いもそろって彼女たちにくっついて、

時折、寄生する主の耳に脚をつっこみ、何かを啜るのです。


それなのに、当人はなんてことのない顔をして笑っている。


おまけに、ときどきうちの店の中にポトリと落ちて、

店の中を蠢き回ったりするんです。


退職にいたるまでの数日間、気が狂ってしまうんじゃないかと、

生きた心地もしませんでした。


クリスチャンなんて言いつつ、ろくに祈ったこともない

不届きものでしたけれど、あの時は人生において

一番神様に祈りをささげた一カ月間でした。


……日々新教という、例の宗教。

あれも……一応、調べたんです。


でも、インターネットでいくら検索をかけても、

出てくるのは関係のない内容ばかり。


おそらく新興宗教なのでしょうが、

詳細に関してはまったくといっていいほど謎のままです。


彼女たちも、あれだけ宗教の名を口にしていたというのに、

『なにに祈っているのか』『具体的にどうすれば幸せになれるのか』という

根幹に関わるところにおいては、いっさい話していませんでした。


でも……あの、背後に息づいていた化け物、悪魔。

あんなものにとり憑かれるなんて、きっとほぼ邪教の……。


あと……もう一つ、ついでに。

彼女たち、身の回りのイヤな人たちがいなくなったと言っていましたよね。


事件や事故、不幸によっていなくなった人たち。

……どうも、どこか不自然なんですよ。


つい先日まで元気だったのに、突然死。

ひき逃げされて、犯人は未だ行方知れず。


うちも……もしかしたら。


宗教を広めるのに、私が邪魔だったから。

だから、祖母を……なんて。


いえ……これはあくまで推測に過ぎませんね。


もう完全にあの店と縁を切った私には、それ以上詮索する資格はありません。


皆さま……くれぐれも妙な勧誘にはひっかかりませんよう。

自分の心は、しっかりとお持ちください。

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