86.助ける男④(怖さレベル:★★☆)

「タッちゃん、おりてきてよー!」

「そーだよ、こっちで遊ぼうよ!」

「やーだよ! お前らがこっちにくりゃいいじゃん!」


しかし。他の子どもたちもその少年自身も、

突然現れた異様な男の姿に、なんの反応もありません。


(どうして……まさか、見えてないわけじゃないだろうに)


大の大人が、これだけ堂々と塀の上に立っているのに、一体なぜ。


そんな私の動揺を見透かすように。

チラ、とその陰鬱な男性はこちらに視線を向けてきました。


「…………ッ!?」


笑っている。

男が、笑っている。


あの死亡事故の現場に現れた時と同様、

片側の唇を吊り上げるような、皮肉気な笑みで――。


「あっ!!」


と。


はしゃぐ少年が、ツルリと足を踏みはずしました。


「あ……危ない!!」


そのまま、彼の身体がスローモーションのように

腰から地面に滑り落ちる、というその瞬間。


あの傍らの男性が少年にゆっくりと手を伸ばし、そして。


(えっ?)


くるり、と。

子どもの姿勢を崩しました。


それによって角度を変えられた彼は、

頭上から、真っ逆さまに固い地面の上へ――。



ボグッ


「ぐ、ぎゃっ」


硬いモノが粉砕される、歪な破裂音。


「た……タッちゃん!?」


遠目でもわかる、その惨状。


少年が地面に接した刹那、九十度に湾曲したその首が、

フィルムのようにまぶたに焼き付きました。


「タッちゃん、タッちゃん……起きてよぉ」

「オイッ、オイ……大丈夫だよな!?」


他の友人たちに囲まれた少年は、落下してゴロリと

転がった姿勢のまま、ピクリとも動きません。


まるきり、電池の切れた玩具のような、その姿。


「あっ……大人がいる!」


と、その中の一人が空き地の入り口で硬直する私に気づき、

半ベソをかきながら飛びついてきました。


「たすっ、助けて! タッちゃん、タッちゃんが……っ!」


わしっと腕を掴まれ揺さぶられ、ボーっとしていた私はハッと正気を取り戻しました。


「わ、わかった。すぐ救急車呼ぶから……」


と、携帯で119番をコールし始めた時、

再び黒いものがチラリと視界を横切ります。


(さっきの……!)


足から落ちれば、軽い怪我くらいで済んだであろうそれを、致命傷にしてしまった男。


助けようとして失敗したのかもしれませんが、

結果、大事故になったのは確かです。


この連絡が終わったら警察に、とキッと男性を睨みつけました。


しかし彼はこちらに目もくれず、転がる少年の傍らに

しゃがみこんで、その顔をジーっとのぞき込みました。


どこか爬虫類を連想させるような、首をグッと伸ばした妙に人外じみたその動き。

しかし、少年の周りでさわぐ子どもたちは、それに対してなに一つリアクションがありません。


(なにあれ……おかしい)


いくらなんでも、あれだけ接近していて気づかぬわけがありません。

それを、さも透明人間であるかのように、周囲はすっかり無視しているのです。


『……もしもし、もしもし?』

「あっ、すみません。えぇと……」


と、かけていた窓口から応答があり、

私は電話に意識を戻しました。


なにはともかく、この少年の救助が最優先です。

私は慌てて、状況と現在地の説明を電話口で始めたのでした。




――そして結局、残念なことに。

あの少年は、救急隊の必死の手当てもむなしく、亡くなってしまいました。


原因は、首の骨が折れて頚髄が損傷したことによる窒息死であった、と。


彼が足を滑らせる瞬間は皆が目撃していた為、

事件性は無い――そういう、判断でした。


私は、彼を押した黒い服の男性がいた、と訴えましたが、

他の子どもたちは押しなべて『見ていない』『そんな人いなかった』と否定し、

見間違いか幻覚だろうと、とても取りあっては貰えませんでした。


ショッピングモールに居たときには皆に見えていたはずなのに、

今回は、私以外の誰も見えていなかった黒衣の男性。


あの人は――少年の命を二度、救いました。

それを考えれば、彼の守護霊……と考えるべき、なのでしょう。


しかし、あの塀から落下する少年の体制を崩させたあの動きは、

逆にその命を奪おうとする……死神の、ようで。


…………。


私は、思うんです。


あの、ショッピングモールで少年を二度、救ったこと。


それ自体は、決して彼を助けようとしたわけではなく、

今回、確実にこの場であの子が死ぬために、あえてアレらの事故を回避したんじゃないかって。


だって、一度目……もしくは二度目に少年が事故に遭っていたら、

あの銀色のスポーツカーが起こした自爆事故は起きなかったかもしれません。


運命……なんて言葉をこんなことで使いたくはありませんが、

彼の死を二度回避したことで、あのスポーツカーの男性は亡くなり、少年自身も足を滑らせて死亡した。


命をより多く奪うために、子どもを助けた。

つまりあの黒衣の男性は――まさしく、死神だったんじゃないか、って。


あくまでこれは、私の想像。


そうかもしれないし、違うかもしれません。


あんな出来事を間近で見てしまったがために、

考えすぎてしまっているだけ、と言われればそれまでです。


でも……そう、あの空き地での事件の時。


救急隊の手配をしていた時、ジィっと少年の顔をのぞき込んでいた男性が、

なにかに気づいたかのようにフッとこっちを見た時があったのです。


その、黒ぶりメガネごしの無機質な瞳。


震えが走るほど冷ややかな目は、まるでヘビが獲物を丸呑みしようと狙うかのような眼差しをしていました。


もしかして……見えないはずのその男の姿を見てしまった時点で、私は、もう……。


いえ……これ以上は深く考えないようにします。


つたない話を聞いて下さってありがとうございました。

……また、お話できる日がくることを願っています。

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