85.帰宅時の横道②(怖さレベル:★★☆)

「う、っ……」


その子どもと目が合ったオレは、思わず急ブレーキをかけました。


彼との距離はおよそ三メートルもないでしょうか。


間近に迫ったその少年。

その子どもの頭の形が、どうにも奇妙なのです。


短い髪の生えるその頭は、人間のまるみのある頭蓋ではなく、

ボコボコと凸凹のある、不定形な形状。


帽子や、被り物をしている様子はいっさいありません。


そう、あの形はまさに――。


「お……鬼……?」


小鬼。その名称に相応しいような、その頭部。


頭頂部に見える、とがった三つの突起は、幼い頃

読み聞かせられた童話に出てくる鬼の角そのものなのです。


ギラギラとキツい眼差しでこちらを見つめるその子どもは、

オレが停止したのに気付くと、ゆっくりと口を「あ」の形に縦に伸ばし、


ギャアギャアギャア


あの、カラスが縊られたかのごとき声を発したのです。


「な……っ」


このまま進行すると、あの少年の前を通らなければなりません。


しかし、引き返すのであればここまでの道のりを、

この薄暗くて細い道の中、バックで延々と後戻りしなくてはなりません。


未知への畏怖、事故への不安、道筋への恐怖。


オレの混乱した脳内が、グルグルとその三つを混ぜ合わせ、比較し、天秤に吊るし、


ギャアギャアギャア……


あの小鬼もどきの、不快な金切り声に急かされ、


「……っらあ!」


オレは勢いよくギアを『R』に入れ、

元来た道を全力でバックし始めました。


もし後ろから車が来てしまったら、立ち往生。

避ける道も、スペースもありません。


でも、このままあの化け物のような子どもの傍を通り抜けるならばと、

意を決して、オレは慎重かつハイスピードで車を走らせます。


ギャア、ギャアギャア……


遠くから、あの小鬼もどきの鳴き声が聞こえてきましたが、

もうオレは振り返ることはありませんでした。




「……ハァ、はぁ」


なんとか見慣れた道までバックで戻り切り、

オレは心の底から疲れ切って、道端で休んでいました。


後続車に追突されるんじゃないか、

あの子どもがずっと追ってくるんじゃないか、

そんな心の声に急かされ、正直、生きた心地がしませんでした。


あれだけ渋滞していた元の道も、オレが冒険していた間に

すっかりいつも通りの車通りに戻っています。


「はぁ……ふつうに待ってりゃ良かった。こんなに時間が経っ……えっ!?」


オレは車内の時計に目をやって、あんぐりと顎を落としました。


表示されている時刻は夜の八時。


確か、あの小道に入り込む以前は夕方の六時を過ぎたくらいだったはず。


秋の夜、いくら日が落ちていたからといって、

二時間も経っていたのに気が付かないなんて。


いや、それよりも。

オレはあんな直線の道で、往復二時間もさ迷っていた――?


あまりの異常現象に深く考えることを脳が拒否し、

オレはわき目もふらず、自宅に逃げ帰りました。


翌日。


会社からの帰り道、恐る恐る同じ道を確認しましたが、

それは一晩のうちに消える――なんてこともなく、至って普通にそこに存在していました。


一般道に面している、なんてことのないその通路。


アスファルトには真新しい白線も引かれ、

すぐ傍の歩道を、学校帰りらしき高校生が自転車でサーっと通っていきます。


「…………」


オレはそれを一瞥したものの、前日の恐怖を思い出すと、

とても再び道の先を確かめる気にはなれませんでした。


まさか、自分がいつも通る道にあんなワナのような脇道があるなんて。


それに……あの大渋滞に巻き込まれた日。

オレより先に入っていった、あの白い軽自動車。


あれはオレがあの道を進んだ時にも、

逃げ帰った後にも、ついぞ見ることはありませんでした。


無事にあの道を通り抜けることができたのか、

もしくはあの小鬼によって何かされてしまったのか。


それとも、そもそもあの車自体が、

オレをあの道に誘い込む為のワナであったのか。


……あの道は、今でもオレの通勤路の途中、消えることなく存在しています。

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