80.天井から①(怖さレベル:★★★)

(怖さレベル:★★★:旧2ch 洒落怖くらいの話)


それは、私がその会社に勤め始め、

ようやく五年が過ぎようかという頃に起きた出来事です。


その日の晩、取引先からの急な仕様変更に見舞われ、

私は一人、会社に残って業務をこなしていました。


同僚たちは一人、また一人と早々と上がって行ってしまい、

事務所に残されたのは、珍しく自分ただ一人です。


時刻はすでに二十二時。


ブーン、と電子機器の低音が響く社内に、たった一人。


夏の暑さの残るジットリと重さを含んだ空気が、

換気の為、わずかに空けた窓の隙間から忍び込んできます。


「ちくしょう……おれも早く帰りてぇ」


カタカタと貧乏ゆすりで机を揺らしつつ、

疲れ目に霞んできた視界の中、液晶画面をジッと睨みつけます。


大方のコード修正は終わり、

あとは細部のチェックとエラーの確認を残すのみ。


妙なバグを吐き出しませんように、と半ば祈りつつ、

もはや何杯目とも知れぬコーヒーを喉に流し込んだ、そんな時。


ビタンッ


突如、窓ガラスが振動しました。


「え……っ?」


サッと音源に目を向ければ、

窓ガラスにペッタリとへばりついた青ガエルの姿があります。


親指ほどの大きさのそれは、何者かに叩きつけられたかのように

クリーム色のつやつやとした腹が破裂して、妙な色の流動体を晒していました。


「あ……か、カエル?」


長時間の労働でマヒ気味の脳は、

それでもこの不思議現象にジワジワと危機感を覚えました。


うちの会社は都会のような高層ビルに入っているわけではなく、

民家の一階と二階を貸切っているというタイプの事務所です。


かといって、田舎というわけでもなく、

立地自体はまさに住宅街の中心。


近くに田んぼもなければ、川だって離れていて、

そうそうカエルが跳んでくるような場所ではありません。


「……オイオイ、ついに怪奇現象まで起こるのかよ。

 幽霊がいるんだったら、デバッグの一つでも手伝ってもらいたいモンだわ」


連日の残業ですさんだ心はもはや恐怖心すらわかず、

そんな愚痴紛いの声が漏れるばかり。


その時は、なんだかよくわからない異変よりも、

明日に差し迫った締め切りの方が、目下の問題でしたから。


ビタンッ


そんな私の態度が気に入らん、とばかりに、

二匹目のカエルが窓に叩きつけられました。


ぐんにゃりと柔らかい肢体はガラスに押し付けられ、

臀部からは内臓とおぼしき物体が、

ドロドロと液状化して漏れ出しています。


さすがに二度ともなると、いくら麻痺した頭でも、

うすら寒いものを感じました。


「…………」


しかし、仕事はまだ三割ほど残っている状態。


このまま帰れば、明日どうなるかなんて火を見るより明らか。


私は仕方なしに、適当なラジオ番組を再生して

気を紛らわし、再びパソコンに向き直りました。


「…………」

(……何も、起きない)


それから一時間ほどが経過しましたが、

アレ以降、なにも異変は起きません。


窓に付着していた両生類の死骸も、

重力に従って外の生け垣にでも落ちたのか、

残るはうっすらとにじむ体液のみ。


業務の方は、ようやく終わりのメドがたってきて、

私はイスの上で、グッと両腕を伸ばしました。


「はぁ、疲れた。……あ?」


ファサッ……


その指の先が、なにか、サラリとしたモノに触れました。


「……えっ?」


この社内に、当然、他に人はいません。


パソコンや書類ばかりの空間。

手を伸ばした範囲に触れるものなどありません。


そんな、細いヒモの間に腕を通したかのような、

サラリと滑る感触を、覚えるはずが、無い――。


「……ッ!?」


呼吸、が。


それを直視した瞬間――止まりました。


――それは。


ソレは、睨むような強烈な眼差しで。

ジットリと、こちらを見下ろしていました。


首から上の部分。


斬首刑に処された人間の頭部そのものが、

薄汚れた黄土色の天井にヒタリと貼りついています。


細い輪郭をさらしたその頭部から、

だらだらと海藻のように伸びた黒髪が、

滴り落ちるように私の頭上で揺らいでいました。


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