53.大雪の日の獣①(怖さレベル:★☆☆)

(怖さレベル:★☆☆:微ホラー・ほんのり程度)


アレは……そう、今から六年ほど前のことでしょうか。


僕が小さなアパートの一階で、

一人暮らしをしていた時の話です。


たしかその体験をしたのはうちの地方ではめったにない、

大雪の予報が発令されていたある冬の寒い夜のことでした。


その日は、朝から身を切るほどに冷えた一日で、

朝方は雨だった天気も、昼を過ぎれば雪に変わり、

しんしんと大地を白く染めていました。


休日だった僕は、あまりの寒さに早々と布団にこもり、

いつもより早い就寝をしていました。


しかし、いつも夜更かしばかりしているのが災いしたらしく、

明け方の四時ごろ、不意に目が覚めてしまったのです。


「うわ……さっむ……」


布団を重ねていてもなお凍える寒さに、

妙に覚醒してしまった頭は、

すっかり睡眠モードから覚めてしまいました。


それでも往生際悪く布団の中でモゾモゾしたものの、

一向に訪れない眠気に、仕方なしにのっそりと起き上がりました。


震える指で暖房のスイッチを入れ、

部屋が温まるのを待ちつつ、キッチンでお湯を沸かしていると、

ヒューヒュー、という風の音が耳につきました。


そういえば、昨日の昼から降り出していたけれど、

いったいどれくらい積もったんだろう、と、

部屋のカーテンを思い切り引き開けました。


「……おお」


思わず、小さく感嘆の声が上がりました。


窓の外は一面まっ白。


まだ日も昇っていない暗闇の中、

わずかな月明かりとその白銀によって、

外はいつもの宵よりもキラキラと明るく彩られています。


僕は寒さも忘れて、

しばらくボーッとその光景に見とれていました。


――と。


そんな静かな景色の中に、フッと小さな影が入りました。


「お……タヌキ、か?」


雪に埋もれるように手足を動かしつつ、

小さな姿がヒョコヒョコと歩いています。


遠目に見ても、

あのもこもこした尻尾が元気に動いているのが見えます。


確かに、このアパートは裏に林があるので、

おそらくそこから出てきてしまったのでしょう。


こんな寒い雪の外で、

動物はたくましく生きているんだなぁ、なんて

驚きながらそんな光景を眺めていた時です。


「……ん?」


歩くタヌキの上に、フッ、と黒い影が落ちました。


(え、鳥か?)


一瞬、空から来た影かと空を見上げましたが、


(あれ……何も、いない?)


再び、タヌキの歩いていた雪の上に目線を戻すと、


「……あ……?」


間の抜けた声が漏れました。


目を離していたのは、ほんの一、二秒。


その僅かな間に――タヌキは、骨と皮、そして液体となって、

雪の上に散らばっていました。


「う、っ……」


白い雪ににじむ血痕。


無惨に引きちぎられた皮は、まるで獰猛な獣にでも

食い荒らされたかのような有様です。


(さっきの影か? でも、どこにも姿なんて……)


と、目を凝らした時です。


ズボッ


タヌキの死骸のすぐ横の雪が、突如凹みました。


ズボッ


それは、まるで何かの足跡のように、

一定の間隔を開けて、深々と雪が沈んでいきます。


「あ……え……?」


僕は、唖然として目をこすりました。


白い雪原と化したその場所で、透明な何かが、

ズボズボと足跡を残しながら、歩いている。


しかもそれは、一歩一歩、

徐々に近づいてきているように思えるのです。


そう――このアパートに向かって。


(え、な、なんだよコレ……)


得体のしれぬ何かが、向かってきている。


それに気づいた瞬間、

僕はうろたえてカーテンをピシャリと閉めました。


暖房で部屋の中は温まったはずなのに、

身体はガクガクと恐怖に震えています。


タヌキを、ほんのわずかな間で屍に変えてしまう、それ。


雪に飛び散った血しぶきは、

そのなにかの凶暴さを現しているかのようでした。


僕は戦慄する身体を叱咤して、自分に言い聞かせました。


(だ、大丈夫。あれは外にいるんだし……

 家の中にまで入ってこられないだろう。

 第一、寝ぼけて妙な見間違いをしただけかもしれないし)


と、自分を奮い立たせるように繰り返し、

落ち着こうと深呼吸をしていると。


ザン、ザン、ザン……


僕のそんな楽観的な考えをあざ笑うかのように、

イヤな音が聞こえてきたのです。


「…………!」


頭の中が、外の雪のようにまっ白に染まりました。


そのザンザンと雪を踏みしめるような音。


それは、うちのアパートのすぐ外、

壁伝いから聞こえてきているのです。


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