29.黒いロングスカート(怖さレベル:★☆☆)

(怖さレベル:★☆☆:微ホラー・ほんのり程度)


これから僕が語るのは、数年前……

まだブラック企業に勤めていた時のお話です。


あれは、部下の後始末に追われ、

終電ギリギリの電車に飛び乗った週末の金曜日。


予期せぬサービス残業に疲れ切り、

普段は節約の為と極力出費を抑えるのですが、


その日はとてもではありませんが自炊する気にもなれず、

手軽なファーストフード店にでも入ってしまおう、

と考えてました。


最寄駅から降り、

ぶらぶらと大通り沿いを物色していると、

フッと傍らを黒い影が過ぎ去りました。


妙にすばやい動きのそれに、

違和感を覚えて振り返れば、

黒いロングスカートの女性が足早に歩き去っていきます。


その姿は何もおかしなところはなく

――あえていえば、

履き古したようなビニールサンダルで

よくあのスピードで歩けるなという感心はあったものの――

首をかしげながらも、目的地の方へと自分も歩いていきました。


結局、馴染みの飲食店のところまで近づいていくと、

なにやら、前方に人だかりが見えます。


人が壁になっていて、

なにが起きているのかはさっぱりわかりませんでしたが、

ワラワラと集っている人たちの表情に好奇心が透けて見えて、

どうせ俳優だかアイドルでも来ているのだろうとため息をつきました。


仕事の疲れでそれ以上確認する気もおきず、

まずは腹ごしらえと、結局いつもの店の手前にある、

小さな蕎麦屋に入ることにしたんです。


中は割合すいていて、

女性客が奥のテーブル席に二名ほど。


深夜の為か、店員も一人くらいしか姿が見えません。


空っぽのカウンター席に腰掛け、

暖かいタヌキそばを頼んでぼうっとメニューを眺めていると、

カタン、と隣のイスが引かれる音がしました。


何気なくそちらに視線を向けると、

言い方は悪いですが、少々こぎたない、

まるで浮浪者かと疑がうような

身なりの女性の姿があったのです。


「えっ……」


意図せず声が漏れてしまいました。


なにせその女性は、

先ほど一瞬すれ違った女性と同じ、

黒いロングスカートをはいていたのです。


後姿しか目にしなかったものの、

まさか同一人物? と

うすら寒い気持ちを頂いたのを覚えています。


彼女は、こちらにジロジロと見られてももまったくの無表情で、

真正面をジーっと見つめ、微動だにしません。


その姿はまるで、人形のようです。


あまり凝視するのも悪いと思い、

再びメニューに視線を落としました。


しかし、どうにも気になってしまって、

目の端でチラチラと様子をうかがうのですが、

その人はなにか注文をする訳でもなく、

ただただ座っているだけです。


その様子があまりにも不気味で、

席を移ろうかと悩んでいた頃に、

タイミング悪く注文のそばが来てしまいました。


席替えを諦め、スマホを傍らに置き、

ニュースサイトを眺めながら食事を始めると、

真横から強烈な視線を感じます。


(うっわ……)


うっすらと横目で確認すると、

さきほどの女性が、あの無表情のまま、

まじまじとこちらを注視しているのです。


一気に食欲が消え去りました。


まさか、たかるつもりじゃないだろうな、

と嫌な気分になりつつ、

半分くらい残して箸を置くと、

カウンター越しに店員が声をかけてきました。


「あ、お口に合いませんでしたか?」

「いや、ごめん、腹の調子が悪くなってきちゃって……」

「そうですか、お茶いります?」

「あ、お願いします……」


店員が気をきかせて暖かいお茶を出してくれました。

半笑いで受け取って一口あおったところで、

隣からの視線がなくなっていることに気付いたんです。


「えっ……」


おそるおそる横を向いて、

声が漏れました。


真横に座っていた筈のあの女性が、

あの店員との僅かな会話の間に、

姿かたちすらなくなっていたのです。


「お客さん、どうしました?」

「あ……あの、隣にいた人、帰っちゃったんですか?」

「隣、ですか? えっと……さきほどから、

 どなたもいらっしゃらないですけど……」

「え……」


茶碗を持つ手が震えました。


そのまま残したそばに手をつける気にもなれず、

足早に蕎麦屋を後にしました。


外に出ると、少しだけあの人垣が減り、

騒がしく救急車のサイレンが鳴り響いていました。


ビニールシートがかぶされた”なにか”が担架に乗せられ、

忙しなく救急隊員が指示を飛ばしていました。


(ああ、さっきの人だかりはこれか)


蕎麦屋に入る前のあの騒ぎはこれだったのかと納得し、

気になって近くに立っていた老人に声をかけました。


「あの、あれ……なにかあったんですか?」

「んん、なんやら接触事故があったらしくてな……誰かひかれちまったらしい」

「事故、ですか……」


可哀そうに、

と再び視線を運ばれいく担架に向けます。


ガタン、と救急車に乗せられるそれが僅かに動き、

ビニールシートが少しだけずれました。


「……ッ!?」


黒い、ロングスカート。


その下に投げ出された、

生気のないまっ白い脚。


そして、

吐き古されたビニールサンダル――。


ハッと目を逸らし、

じりじりと後ずさりました。


「兄ちゃん、大丈夫かい?」

「え、ええ……すいません」


態度の変わったこちらに老人から心配の声がかかったものの、

もうそれ以上その場にいることも出来ず、

駆け足でそこから逃げ去りました。


結局、そのあと、

それ以上のことはわかりません。


あの事故の人は果たして助かったのか。

あの、隣の席に座ってたのはただの浮浪者だったのか。


それとも……。


仕事を変えた今となっては、

もうあの蕎麦屋に立ち寄ることもありませんが、

ほんとうに不思議な――不気味な体験でした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る