地下牢の扉が開かれ、幽閉されていた仮面の騎士ノイシュは兵士に案内されて上階へと向かった。ここまでは手筈通りだが、仕上げに神官達が出撃する口実を作ってやらねばならない。その目的にうってつけの人物は、砂漠の姫君、女王ネフェルクレアただ一人だ。


 王宮のほとんど全ての部屋と同じように、クレアの寝室にも扉はない。天蓋のあるベッドに浅黒い身体を横たえ、羽毛枕を抱いていたクレアは、警護の兵士の声に絹のショールを引き寄せた。日中のクレアはたいてい部屋でごろごろしているだけだが、それはフェリアの昼の日差しが強すぎるからで、屋外での活動は夕暮れを待って、特別の公務がない限り風通しのいい屋内で過ごすのが普通なのだ。身繕いを済ませたクレアが寝室の出入り口に姿を現すと、見知らぬ男を伴った神官長とその部下達が揃ってひざまづいた。

「火急の用件につき、お休みのところ失礼いたします。姫様、カニス将軍が王国に対して謀反を起こし北のオアシスに逃亡しました。神殿へお出まし下さい」

 謀反などありえぬことだ。将軍と神官長とが国政の主導権を争っているのは今に始まったことではないが、それも国の行く末を案ずるがゆえ。あのカニスが自ら政情を混乱させるような暴挙に及ぶだろうか?クレアは仮面の男に目をやった。

「そこの者は誰か」

「帝国よりの使者ノイシュ殿です。牢に捕らえられておりました。この者の通報で将軍の謀反が明らかとなったのです」

「お初にお目にかかります、女王陛下。騎士ノイシュと申します」

「帝国だと……?」


 ノイシュはクレアを見上げ、仮面の下から品定めをした。あからさまな疑いの目をこちらに向ける気丈そうな瞳、小柄で引き締まったしなやかな身体は猫のように美しいが、どちらかというと後ろに控える長身長髪の女楽士のほうが好みだ。


「姫様、すでに支度は整っております。今こそお出まし頂き、ご威光をもって私どもに謀反人カニス将軍の討伐をお命じ下さい」

「そうはいかない。謀反を起こしたのなら、なぜ逃げる必要がある?真っ先に都を押さえ、私の身柄を確保するべきだろう」

「……」

「神殿で待て」


 神官達が立ち去ったのを確認してから、クレアは部屋の隅で竪琴を抱く盲目の女楽士に耳打ちをした。

「逃げるぞ。メル、お前もおいで」

「メルもでございますか?」

「ここに居ては危ない。帝国はいよいよフェリアを乗っ取るつもりだ。みんな殺されてしまう。将軍を助けないと」

「メルの役目は姫様のお帰りになる場所を守ること、お部屋でお待ちしております」

「駄目だ!」

 クレアは竪琴を持ったままのメルの手を引いて立たせ、澄まし顔で、しかし足早に長い回廊を抜け、泉のほとりに花々が咲き乱れる中庭の渡り廊下を通って、別棟の兵舎の裏から練兵場にある格納庫へ向かった。その間クレアを呼び止める者は誰もいなかったが、クレアは焦った。全てが神官達の計画の内で、あえて寝室で拘束せず泳がされているのかもしれないからだ。衛兵の目を避けて非常階段から地下格納庫へ忍び込むと、予想通り女王専用魔鉱兵ブレードダンサーにはひとりの整備兵の姿も、整備兵が使役するシャブティの姿もなかった。行くしかないか……。

 盲目のメルは初めて足を踏み入れる広い空間にしばらく戸惑っていたが、自分の足音とクレアの声の反響から周囲の物体の距離と形を感じ取り、硬質の巨大な腕が彼女の正面に降りてくるのを知覚した。


「戦いになったら、かなり揺れると思う。我慢しておくれ。私にはどうしてもお前が必要なんだ」

 操縦室の闇に幾条もの黄金の稲妻が走り、座席の前でぼんやり光る水晶球が、クレアとその膝の上で横抱きにされているメルの褐色のカンバスに機体後方の影像を描き出した。

「ブレードダンサー、出陣!」

 開け放たれたままの格納庫のスロープから、ブレードダンサーと合体したチャリオットが両輪で砂を巻き上げながら地上へ急発進した。


 オアシスの外れではレオとカニスの決闘が始まっていた。プロトナイトはソードマスターの懐に飛び込もうとしたが、ソードマスターはプロトナイトが距離を詰めれば薙ぎ、後退すれば突き、剣と槍の長所を併せ持つジャイアントケペシュを振り回して変幻自在の攻撃を仕掛けてくる。ジャイアントケペシュがある限り、プロトナイトはソードマスターに近づくことができないばかりか、どのような間合いに居ても安全ではない。だが今のプロトナイトは、ジャイアントケペシュの間合いを超える武器をひとつだけ装備していた。海賊船での戦いのあと、スズはプロトナイトの左腕に新たな武装を追加していたのだ。それは一見、小型の円盾のような形状だが、撃破した水中型魔鉱兵の部品を加工したもので、渦を巻く円盤は鎖を巻き取るリールであり、その終端の筒から銛を射出することができる。スズはこれをチェインシューターと名付けた。

《レオ!》

「やっぱり、あれを使うっきゃないか」

 レオはわざとジャイアントケペシュの間合いに入り、敵の攻撃後の隙が最大になるように、ソードマスターがジャイアントケペシュを振り抜く寸前に砂丘を蹴って後退しつつ、ソードマスターの脚部を狙って銛を射出した。そして足首に巻き付いた鎖が叩き斬られる前にリールの巻き取り機構を作動させ、ソードマスターのバランスを崩して引き倒した。

《ぬぅ!》

 鎖を自切したプロトナイトは仰向けに転がるソードマスターにのしかかり、二度、三度と振り下ろした剣がソードマスターの左肘の関節を破壊したが、ソードマスターは足裏でプロトナイトの腹を押し出すように蹴飛ばし、吹き飛んだプロトナイトが起き上がる前にジャイアントケペシュを拾って立ち上がった。左腕を失ったことで、ジャイアントケペシュの突きと薙ぎの威力はプロトナイトの剣でも捌けるまでに落ちている。だがプロトナイトにもチェインシューターの銛はもはやない。二つの切っ先が火花を散らし、両機は再び間合いを取って睨み合いの状態に陥った。

《ふははははっ、やるな小僧!くだらぬ政争に明け暮れるうち、このカニス腕がなまっていたようだ。どこもかしこも卑怯者ばかりで辟易していたが、やはり正々堂々、真っ向勝負が私の性に合っている。これぞ男の戦いよ!》

 ソードマスターの全身に黄金の稲妻が走り、足元の砂が巻き上がって砂嵐となった。砂粒と砂粒が擦れ合いバチバチと音を立てる。見守る部下達がざわついた。


「エリシュさん、止めなくていいの?今止めないと、レオ死んじゃうよ」

「あ……?ああ」

 密閉された操縦室の気温が上がっている。きっとプロトナイトも同じだろう。暑さで頭をやられたのか?どいつもこいつも……。スズは溜息をつき、耳の小石に手をやって、せめて自分だけは少しでも冷静で居ようと深く息を吸い込んだ。

「なにが男の戦いよ!馬鹿みたいに死ぬまでやることないでしょ!潔く負けを認めて、私達を見逃しなさい!」

《やれやれ、そちらの操縦者も子供か。馬鹿は承知の上だがな、小娘。将軍である私が出た以上、この勝負には国の威信が懸かっているのだ。水を差してくれるな》


「やめようカニスさん。俺、死にたくないけど、あなたを殺したくない」

《そういう台詞は……》

 ソードマスターがジャイアントケペシュを構える。

 レオは考えた。退けば突き、押せば薙ぐ。死角はどこにもない。どこから攻めようと、ソードマスターの周囲を刃の円盤がぐるりと取り囲み、その内側に入ることはできない。死角はどこにも……?

《……敵を叩き伏せてから言うものだ!!》

 カニスの魔力の昂ぶりとともに機体を包むマジックフィールドが増大して足元の砂を押しのけ、砂丘の上を滑走するように異常なスピードでソードマスターが突進してくる。が、プロトナイトは退かず、砂を蹴って前へ跳んだ。

《上か!?》

「はああああああああああああっ!!」

 応じようとしたソードマスターだが、切っ先の向きが変わる前にその刃をプロトナイトが踏み折った。ジャイアントケペシュを足場にしたプロトナイトはさらに跳び、大上段からの兜割りでソードマスターの頭部を叩き潰した。

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