第47話 牛谷グレイの地下教室 その②


     47.


「さて」

 四月十七日、金曜日。

 宇井うい添石そうせきはその日、背広を着用していた。

 堂々と県立五條高校の校門から、宇井添石は這入った。

 お昼も過ぎて、今は六限目の授業をしている頃だろうか。まともに学校に通ったことのない宇井添石にはわからない。

 スーツはいい。

 誰が着てもよく見える衣服で、どこに行くにも何をするにも差支えのない恰好だ。

 校門から這入った宇井は、そのまま事務所に向かった。これから学校内を探索するのだから、下手に教員に見つかって不審者扱いされるくらいなら、最初から『要件があってやってきた人』になっておけばいい。

「あ、すみません。複合機についてご連絡をいただいた営業の宇井と申しますが……」

 適当な嘘である。当然そんな連絡は受けていない。

「あ、少々お待ちください」

 事務員さんはそう言った。

 そういった事実確認を行うものだが、たとえその事実確認が取れなくとも『連絡をした職員が事務所に伝達するのを忘れていたのだろう』と、目の前に出来事を優先する。

 職員全員に確認してしまえば事実ではないことが、あっさりと判明してしまう。

 だけど、ここは学校である。

 職員の多くは教員で、その教員は授業に出ている。

 だから――事実確認よりも先に、来客を通してしまう。

 応接室に案内されそうになったので、

「いえ、職員室の場所さえ教えていただければ、そちらに向かいますので」

 と押し切って、職員室の場所を聞いた。

「ありがとうございます」

 とお礼を言って職員室のほうに向かう。しかし、職員室には寄らず、生徒たちのいる校舎のほうに移動する。道中に教員とすれ違ったのでお辞儀をしたら、あちらもお辞儀をしてきた。

 別に一生騙し続けるわけではない。

 この一日、あるいは十分や十五分だけでも気づかれなければいいのだ。

茄子原なすはらあや

(クラスは二年A組……)

 既に調べ上げている。宇井は迷うことなく二年A組の教室にまでやってきた。

「…………」

 廊下から教室の中を伺う。

 後ろ姿だが、いるのを確認し、宇井は勢いよく扉を開けた。

 教室中の視線が、一斉にこちらを向く。

 そんな視線に気にすることなく、目的の場所に進んで行く。

 茄子原綾の視線もこちらを向いたが、もう遅い。

「よお」


 宇井は茄子原の制服を掴んで、そのまま床に叩きつけた。


 宇井添石の『能力』――『カスタードパイ』は、『影の中に収納してある物を取り出す能力』である。今、その影の上に、茄子原綾は倒れていて、押さえつけられている。

 影の中に収納しているものを取り出すとき、必ず影から出現する。

 宇井が直接、物理的に手を下すことなく、影の中から飛び出してくる刃物が、そのまま茄子原に突き刺されば、それでいい。

 ただ、それだけである。

 ただ、それだけのことが、間に合わなかった。


『とんっとんっ』――と。

 まるで合図をするように、茄子原は床を突いた。

 学校の教室。その床の材質はリノリウムではなく、フローリングである。

 フローリングは、木だ。木は植物。

 茄子原綾の『能力』――『リング・リング・ローズ』は『植物を成長させる能力』である。

 宇井添石の『影』と密着している茄子原綾は、同時のフローリングの床共に密着していた。直接、床に――植物に触れていた。

 だから。

 影の中から包丁が飛び出してくるより先に、一瞬でフローリングが爆発的に『成長』するという現象が、起きた。

 具体的には、床がそのまま伸し上がるようにして、茄子原の身体を、黒板のほうにまで吹っ飛ばした。

 茄子原の身体に突き刺さんとして、影から出現した包丁は、そのまま天井にまで飛んで行って突き刺さる。

「ぐ、っうう……!」

 黒板に叩きつけられた茄子原は、身体を起こしながらこちらを見る。

「おまえ……、病院で……」

 言葉をすべて聞く必要はない。

 既に茄子原綾は殺してもいいという許可は降りている。

 影の中から刃物が飛び出してきた。ナイフである。

 それを手に取って、茄子原に向けて投げた。

 しかし。

 そのナイフは、弾かれた。

 茄子原に届くよりも先に、阻まれた。

「…………」

 教室内にいる生徒に教師は、宇井を避けるようにして壁のほうに移動している。そんな生徒の中で、明らかにこちらに敵意を向けている。

 生徒の群れから、一歩こちらに踏み出してきている女子生徒が三人ほどいる。

 ひとりは黒板消しを持った少女だった。

 ひとりは定規を携えている少女だった。

 ひとりは両手の拳を構えた少女だった。

(こいつらが『マザーグース』……)

(……その仲間か)

 これを目の当たりにした宇井添石の判断は、迅速だった。

 一対三。いや、茄子原綾も含めれば一対四だ。いくら『能力』を用いた戦闘に慣れていようとも、あらゆる訓練を積んできていようとも、『能力』を持った人間を四人も同時に相手にするのは簡単なことではない。

 最初の一撃。

 猶予を与えたとしても、二発目の攻撃で殺すことができなかった時点で宇井の作戦は失敗である。

 宇井は踵を返し、教室から飛び出して行った。

 撤退である。

 後ろのほうから叫び声が聞こえる。『待て!』と怒鳴るような、絶叫するような声だ。さっき、生徒の群れから飛び出してきた『マザーグース』の女子生徒たちだろう。

 教室を飛び出して、階段に指しかかった。

 そのときだった。

「いたぞ!」

 一階と二階の階段の踊り場に、体育会系と思しき教員と何名かの成人男性が刺股を持って立っていた。

(思ったより行動が早いな)

 事務員さんが随分と怪訝な表情を浮かべていたのを思い出す。

 宇井のことを疑っている様子だったのはわかっていたが、これほどまでに行動が早いとは思わなかった。

 事務所から職員室に移動していないことが判明したのだろう。それだけでは不審者認定はされないが、勘が鋭い職員がいたのだろう。

 宇井はやむを得ず二階から三階に続く階段を駆け上がる。

(茄子原綾の殺害許可が出ている)

(しかし……)

 ここで殺戮の限りを尽くしていいわけではない。

(逃げ切ることはどうにかできるだろうけど……)

 と。

 この撤退後の作戦を頭の片隅で考える。

 考えながら逃げる。

 階段を駆け上がって、三階の廊下を走っている最中のことだった。

 宇井添石。

 彼の姿が、突然消えた。





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