第37話 茄子原綾を追いかけろ。その②


     37.


 漆川うるしかわ羊歯子しだこの『能力』――『トロイメライ』によって引き起こされたパニックは終息しつつある。その今際に病院から敷地内から脱出した茄子原なすはらあや

 彼女の手には『アタッシュケース』が握られている。

 街路樹が並んでいる歩道を走る。

「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ――」

 この『アタッシュケース』を受け渡す場所は駅前だ。病院から飛び出してずっと走っている。息も次第にあがってくる。

 ここから駅はそんなに遠くない。


「それを持ち去ることは許せないな」


 背後から、声が聞こえた。

 突然、『アタッシュケース』が――いや、後ろに

「…………っ!」

 両手で『アタッシュケース』を持つが、身体ごと引っ張られる。

 街路樹の枝も、ぐぐっと引っ張られている。

「こ、れは……っ!」

 数メートルほど離れた場所に白衣を着た女性がいる。

 腰辺りまである長い茶髪。女医というより研究者というような雰囲気だ。

「きみが病院でやったみたいに、私の『能力』だ」

 風が吹いているというわけではない。

 なのに、引っ張られている。『アタッシュケース』だけじゃなく、茄子原も、街路樹の枝も、落ちる葉っぱも、道路の砂も、ポイ捨てされた吸い殻も、その白衣の女のほうに集まる。

 茄子原は、ポケットから木の欠片を取り出した。

『能力』――『リング・リング・ローズ』は『植物を操る能力』である。その木片は、急激な成長を遂げて、まるで杭のように伸びた。

 すべての物体を、あの白衣の女に集まっている。

 それなら、わざわざ狙いを定めるまでもなく、杭のように尖った枝はそのまま白衣の女を貫く――はずだった。

 しかし。

 突如として、『アタッシュケース』にかかる重さは変化した。

 具体的には、空のほうに引っ張られるような感覚だ。

「…………っ!」

 放った枝も、明後日の方向に飛んで行った。

「なかなか上手くいかないものね。何もかも」

 と言ったかと思うと、『アタッシュケース』が上下に振り回された。

 思わず手を放した。

「しまっ――」

『アタッシュケース』は吹っ飛んで、歩道に衝突して滑った。

 がっ! と、『アタッシュケース』を足で受け止めたのが、白衣の女だった。

「はい、回収ぅ!」

「く――」

 このままでは『アタッシュケース』を持ち去られてしまう。

 ポケットから植物の破片を取り出して、ばら撒こうとした――が。突如として身体が重くなり、地面に叩きつけられた。

「しばらくそうしていることね」

 白衣の女は『アタッシュケース』を拾い上げると、浮き始めた。

 ゆっくりと、宙に浮いていく。


「あんたの、『能力』は……『重力』だ」

 呻き声のように、茄子原は言う。

「『重力』を操る『能力』……っ! ただそれだけだ。大したことのない、ただの阿婆擦あばずれだ……! いい気になるなよ、この私を子供だと軽んじたことを後悔させてやる!」

 茄子原綾の負け惜しみのような絶叫を受けて、

「ははっ」

 と、笑った。

 これに対して、白衣の女からの返答はなく、身体を押さえつける『重力』が弱まった頃には既に姿が見えなくなっていた。





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