エピローグ

 アラサーと言うのが、年齢の誤魔化しにも聞こえてくる歳になってしまった。

 俺は今年、三十一歳になる。

 物心がついたのが三歳の頃。

 俺の主観では三歳から人生が始まっていて、そう計算すると身の回りで自殺の問題がいくつも起きていたあの高校の日々は、人生十四年目の出来事だった。

 それからもう十四年が経ってしまったのだ。

 それが三十一歳という年齢だった。


 十四年も昔と思うと、はるか昔の出来事に思える。

 なのに俺の記憶の中では高校の日々はずっと色褪せずに輝いていて、古い記憶という感じがしない。

 今でもあの日のことは、はっきりと思い出せる。

 そして今生きている一日一日が、あの日々から続いているものであることを、強く意識できる。

 長い人生のうち、前後と一切つながらないようなどうでもいい一日を過ごすことだってある。

 一日中寝転がっていたとか、そういう人生の上で特に意味を持たない一日。

 そういう一日もある一方で、自殺をめぐる俺たちの物語は明確に俺の人生と強い結びつきがあって、あの日々なしには今の人生がないと断言できる。

 だからこそ輝き続けている。

 過去のものとして人生から切り離されることはない。



 小平ニナは、日本全国を飛び回っている。

 歌手デビューした当初は、その美貌からテレビにもよく出ていた。

 ただ、どれだけ新曲を出しても歌の雰囲気がいつも同じだから、その変化のなさに飽きられてしまって、最近はテレビで見かけることがない。

 それでも小平ニナの独特な歌は一定の人気を得て、メディアとは別の場所で活躍をし続けている。

 毎年コンサートを何度か開催しているし、それとは別に地方に呼ばれて歌う仕事は絶えずに来ている。

 それで小平ニナは全国を飛び回っているのだ。


 初原の最後の歌も、小平ニナは歌い続けている。

 テレビによく出ていた頃のヒット曲だから、歌う機会は多い。

 かつて小平ニナはその大切な友人について、きっとヒットソングをいくつも作れるんじゃないかと評価していた。

『それこそ十年後や二十年後には、晴夏の作ったポップスが合唱の定番曲になって、中学生や高校生が歌っていたかもしれない』と彼女は俺に言ったのだった。

 そして、その評価のとおりのことが起きていた。

 今では初原の歌は合唱の定番曲になって、中学や高校でよく歌われているみたいだ。

 初原が作り、小平ニナが歌う歌は、今や多くの人にとって世界を彩る色の一つとなって記憶に残っている。

 彼女たちの歌を通じて、希望ある未来を信じようとしている。

 こんなふうに自分の歌が愛されることを知っていたら、初原は死ななかったろうか。

 それともこうなることまで確信して彼女は飛び降りたのだろうか。

 でもこの世界に残された俺たちからすれば、この素敵な世界を初原にも見ていてほしかった。

 死なないでいてほしかった。

 だからこそ小平ニナは、ただでさえ祈っているように聞こえる歌声で、祈りながら歌う。

 この世からいなくなってしまった初原にまで歌声が届くように、と祈る。

 もし初原が小平ニナの歌を聴いた時、遺言が守られなかった悲しみを忘れるくらいに、彼女の活躍ぶりと自分の歌の人気に喜びを感じてもらえたらと思う。

 小平ニナもその気持ちで歌い続けている。

 そして彼女が歌う定番曲の中には『アメイジング・グレイス』もある。


 桜田は、テレビで小平ニナが『アメイジング・グレイス』を歌っているのを聴いてしまったと嘆いていた。

 でもテレビのスピーカー越しに聴いたのは聴いたうちには入らない、と自分で自分を誤魔化したらしい。

 桜田は相変わらず退屈だと言っている。

 人生は退屈で、つまらないと言い続けている。

 日々をとても退屈そうに生き、退屈に耐えかねると、ぽんと桜田は旅に出る。

 国内外を問わずに旅に出れば、一ヶ月は帰ってこない。

 旅先から送られてくるポストカードで、俺たちは桜田が旅に出ていることを知る。

 ポストカードは週に一回以上のペースで送られてくる。

 観光地の写真の上から『そこそこ楽しい』や『まあまあ楽しい』と書いてある手紙だ。

 付き合いが長くなるにつれて、『そこそこ』や『まあまあ』というのが照れ隠しみたいなもので、そこには程度を示すニュアンスは入っていないことに気付くようになってきた。

 要するに桜田は旅行を結構満喫しているのだ。

 長期の旅から帰ってきて間もないうちに会うと、顔色が良くなっているのがわかる。

 だけどまた仕事の日々が続くうちに退屈が溜まって、そうしたらやはり旅に出る。

 そして俺の家に桜田から送られてきたポストカードが増えていく。

 この調子なら『アメイジング・グレイス』を葬式で歌ってもらえることだろう。

 そういえば桜田は、そこのつじつま合わせのためだけに、キリスト教に改宗した。

 小平ニナは先祖がそうだったからという理由で依然として仏教徒なのに、桜田は思い切りよく信仰を変えてしまったのだ。


『アメイジング・グレイス』を歌ってもらうつもりでキリスト教にしたら、私が『アメイジング・グレイス』を歌ってばかりになっちゃったじゃん。


 桜田が俺たちの前でのみ言うジョークである。

 桜田の歌う『アメイジング・グレイス』は普通に上手い。

 小平のような特別なニュアンスはなくて、ただ真っ当に歌詞をなぞる。

 合唱をするにはそれぐらいがちょうどいいのだろう。


 桜田と俺たちは親友になっていた。

 花園たちとの付き合いも続いているらしいが、それぞれに結婚したり遠くに引っ越したりといったことがあって、年に一回か二回同窓会じみたことをするのが精一杯なのだそうだ。

 それと比べて俺たちは気楽に会えるから、桜田はよく遊びに来るのだった。

 俺と小平ニナ――仁奈は夫婦で、一つの家に暮らしている。

 だから仁奈がオフの日は、たまに桜田が俺たちに構ってもらいに訪れる。

 家に来れば俺たち二人の両方に会えるのが、効率というか都合がいいのだ。

 桜田は随分と俺たちの子供に懐かれている。

 毎日のように顔を合わせる俺たちよりも、時々来て遊んでくれる桜田の方にばかり良い反応を見せるので多少の嫉妬はある。

 とっとと結婚しろ、と思うし、そう言う。

 だけど桜田の気まぐれに旅に出かける生活に足並みを揃えられる人というのはなかなか見つからないそうで、結婚しろと言うのなら結婚相手をお前たちが紹介しろと最近では返される始末である。


 ところでもう一つ、桜田が俺たちを嫉妬させていることがある。

 俺たちの子供は桜田に歌を歌ってもらうのがとても好きなのだ。

 音痴な俺の歌はともかくとして、歌手として活躍している仁奈の歌も、その歌声が独特だからかあんまり気に入ってないみたいだ。

 そこに無難に上手い桜田がちょくちょく遊びに来るものだから、子供たちは桜田に歌を教えてほしいとせがむのである。

 桜田はリクエストに応じて歌う。

 俺たちが中高生だった頃に流行った歌もあれば、今まさに流行っている歌もある。

 様々な歌を俺たちの子供に聴かせてみせる。

 それが新しい時代を生きる子供の人生を温めてくれる。

 いつの時代も、歌が俺たちの人生を心地よくコーティングしてくれている。

 音楽と共に俺たちは生きている。

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合唱曲と共に、自殺して残暑 すまい近道 @chikamichi

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