第27話 明日への扉

 二年生の文化祭は合唱コンクールから始まる。

 全学年全クラスが順番に歌っていくとなれば一年生からと思いがちだけれども、二年生から歌うのがこの学校の慣習だった。

 文化部の三年生はこの文化祭を機に引退することが多い。

 最後の部活動として、一年生に文化祭での自分たちの仕事を教えることも三年生の役目なのだ。

 そういうわけで、二年生が最初に合唱コンクールに駆り出されるらしい。


 合唱コンクールは大講堂でおこなわれる。

 審査をする教師たちに加えて、子供の活躍を見たい保護者なんかが、席を埋めるほどではないけれども早い時間からそれなりに集まっている。


 俺たちは次が出番で、袖で待機していた。

 クラスメイトの方に目を向ければ、緊張してきた、なんて言って足踏みをしている男子がいる。

 小平と桜田は平気そうな顔をしている。

 彼女たちのことだから、内心でも大して緊張していないんじゃないかと思う。

 俺はと言えば、全然緊張していない。

 大した合唱にならないことはよくわかっているから、緊張しようがなかった。

 ただ桜田にさっき言ったみたいに、小平に相応しくない合唱だから、彼女の声が聞こえにくいように俺もできる限りの声を出そうと心に決めていた。


 そして俺たちの出番が来て、案の定酷い合唱だった。

 俺は歌が上手くない。

 聴く方ばかりが好きで、自分で歌うことに興味のない人間の歌なんて、そんなものだ。

 小平の歌声だってかき消せはしない。

 俺一人が頑張ったところで、小平の個性的だけど魅力的な歌声はよく通って、合唱の異物となっていた。

 桜田は桜田で、退屈な時間をやり過ごすように無難な歌い方をしていた。

 それぞれが全く違う方向を向いている合唱だった。

 別々の明日への扉を見つめているみたいで、だからまともな合唱ではない。

 初原に向けられたように聞こえる、本当はどうだかわからない、小平の歌声は誰の声よりも大講堂に響いていた。


 酷い数分間から解放されて大講堂から退出すると、桜田は肩こりを取るみたいに首を回した。


「終わったなあ」


 と桜田は言った。

 その言い方はまるで文化祭が終わったみたいであったし、それ以上のなにかが終わったようにまで聞こえるものだった。

 そんな『終わった』を聞かされると、本当になにもかも区切りがついたかのように思えてきてしまう。

 俺が小平に告白すること以外はもう全て終わったことみたいで、でも振り返るとそれはあながち間違いでもないのかもしれなかった。

 初原の自殺について探ることはもうこの先ないだろう。

 桜田にしても穂村にしても、今後二人が自殺を試みるかどうかはもはや俺の手の届かない問題になっていた。

 あるいは最初から手が届くものではなかったのかもしれない。

 今日まではそれを確認するような日々でもあった。

 俺は他人の自殺を止めるのではなくて、俺自身の人生を歩もうとしなくてはいけない。

 俺の人生は、俺がスタートすることを待っていた。


「なあなあ小平、それと持山。一緒に回らない?」


 桜田がそう小平と俺に声をかけてくる。

 そして俺に向かってにやりとウインクする。

 まず小平と一緒に行動するきっかけを作って、そして二人になる時間を作ってやろうという桜田の意図を察する。

 俺の告白がどうなるのか面白がっている感じもあったけれど、既に覚悟を決めている俺にとっては桜田の援護はありがたいばかりだった。


「別にいいけど……、花園さんたちは?」


 と小平は聞いた。


「あいつらは天文学部の仕事。私は今日当番じゃないから暇なんだ」


「なるほど、いつもの友達がいなくて寂しいのね」


「そういうこと」


 俺たちは三人で文化系の部活の展示を見て回ることにした。

 廊下を歩く時、桜田は俺を真ん中にするように並んだ。

 桜田は小平と隣り合わないように歩くことで、俺と小平が話す機会を増やそうと思ったのだろうけれども、これでは両手に花の状態で、しかも小平のような美人と一緒となれば周りの視線が少し気になってしまう。


 展示もそんなに派手なものはない。

 美術部が絵を、家庭科部が縫製したものを、というふうに日ごろの活動で制作した物を展示している部活。

 天文学部のようになにかテーマを決めて簡単に研究したものを紙に記して掲示している部活。

 そして放送部や茶道部が、定期的に客を集めて発表をおこなっているだけだ。

 俺たちは放送部のラジオ的なイベントを聞いたり、茶道部で菓子をいただいたり、美術部の絵に首を傾げたりして、ぼやけた時間を過ごした。


「もっと面白い文化祭をやる高校に行けばよかったなあ」


 と桜田が愚痴をこぼす。


「面白い文化祭って、たとえば?」


「漫画とかでよくあるでしょ。喫茶店やったり、お化け屋敷やったり。そういうの」


 焼きそばがあってチョコバナナがあってたこ焼きがあって……、と桜田は食べ物の屋台もどんどん挙げていく。

 この文化祭にも生徒会主導で屋台もあるにはあるけれど、提供している食べ物の数は多くない。

 そんな文化祭だから来客で賑わうわけでもなく、他校の学生らしき姿はあまりない。

 この学校の生徒の保護者とか兄弟姉妹なんかが主に来ている様子で、特に保護者らしき大人が多い。

 それは桜田の理想とする賑やかな文化祭とはだいぶ異なるのかもしれない。

 だけど小平は、


「私はこのくらいでいいと思うわ」


 と言った。


「規模の大きい文化祭をやろうとしたら、準備だって大変だもの。この学校の文化祭は地味かもしれないけれど、とっても気楽よ。部活に入っていない私なんて、なにも準備しなくていいんだもの」


「それはあるけどね。昨日手伝ってもらったとおり、部活に入っている私ですら大した準備はしてないからね」


「人があまりにたくさん来るような文化祭って、なんだか学校が学校でなくなってしまうような感じもするじゃない。この文化祭は、学校のままな雰囲気があって、生徒としては落ち着くわ。学校はあくまで私たちのための場所なのだから」


 学校らしさを保っているのは確かにそのとおりだった。

 小さな文化祭だから、俺たちのクラスの教室のように使われていないところもあって、その使われていないエリアは休日の学校のような静けさを保っている。

 そんなふうに学校らしさが消えきらずにいてそこが地味さにつながっているのだろうけれども、小平の言うとおりで、祭りの中にいるにしてはやけに落ち着いた気分でいられる部分もあった。


「むしろこのくらいの非日常が私たちにはいいのかもしれないわよ」


 と小平は楽しそうに言った。


「どうして?」


「去年、見たのよ。ここじゃなくて、人の来ない場所でね、愛の告白をしている人たちがいたわ。それを私、二組も見たのよ」


 文化祭の裏で告白をする生徒がいる。

 非日常を告白のきっかけにする生徒のためにこの文化祭はあるとも言えるんじゃないかしら。


 そのように小平は言った。


「たとえば、そこの階段の踊り場」


 と小平は手近にあった階段を指した。

 最上階もまた文化祭では使われていなくて、だから人がいないのだ。


「じゃあ、ちょうどいいな」


 俺は勇気を出して、そう言った。

 小平から告白というキーワードが出てしまったのだから、これはもう行くしかないんだぞ、と思った。

 このタイミングを見て見ぬ振りして逃すようであれば、この先もずっと告白する機会を見送り続けてしまうことだろう。


「俺も小平に告白しなきゃいけないことがあるんだ」


 と俺は階段の傍で立ち止まって言った。


 小平が俺を振り返って、数歩先で止まる。

 そして桜田も小平の隣に立ち止まった。

 俺を見る桜田の顔が悪戯っぽく微笑んで、俺の引き返す道を封じるようだった。


「告白?」


 と小平は俺の言った言葉を確認した。

 告白、と俺はうなずき返す。


「告白したいだなんて言ったら、それ自体が告白になってしまうんじゃないの?」


「そんなことない。告白をしたいと言っただけで、俺はまだなにも大切なことを、一言だって小平に言っていないよ」


 小平は俺の告白に困惑したような顔をした。

 だけどその小平の背後に回った桜田が両手で押して、俺の方へと一歩歩かせる。


「いいから、とっとと人のいない場所で話をしてきなよ。ここで立ち話してたら邪魔じゃん」


 さらに桜田は小平の背中を張り手で数度叩いて、押し出した。

 桜田に押されて小平が俺の傍に寄ってくる。


「凄く大切な話があるんだ。小平に話さなきゃいけない、大切な話が」


 俺は小平の手首を握り、階段の踊り場へと導いた。

 踊り場まで来たところで手を離して小平と向かい合うと、俺と桜田の強引さに呆れた顔を彼女はしていた。


「一体どんな告白をするつもりなのよ」


「俺は小平のことが好きだ」


「それと同じことをさっきから聞いているわ」


「小平の『アメイジング・グレイス』はとても素敵だと思った。俺は小平の歌声が、凄く好きだよ」


 ありがとう、と小平は小声で言った。

 俺の言葉にどのように答えるべきなのか決めかねている様子だった。

 だけど俺はまだ小平の返事を聞くつもりじゃなくて、まだまだ俺には小平に話さなきゃいけないことがあるのだった。

 俺が小平のことが好きというのは、一番どうでもいいことと言ってもいいくらいだった。

 もっと大切な話、その一つを俺は彼女に話す。


「だから俺は、初原の遺言に背くことにしたよ」


「晴夏、の?」


「うん。実は俺、穂村から歌のデータをもらっていたんだ。穂村が飛び降りる前の日、俺が学校を休んだ日に」


「やっぱり持山くんは、穂村くんと会っていたのね」


 やっぱりと言う割には驚いた顔を小平はしていた。

 でも初原の音楽の話が出たために訪れた予感が小平のその驚いた顔のままにさせて、そして俺の手の動きを注視させた。

 俺の手は、スマートフォンとイヤホンを取り出そうとしていた。


「この初原の最後の歌を、小平に聴いてほしいんだ」

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