第18話 未練

「そうかな。結構速いように感じたんだけどな」


 俺は感じたままを言った。

 素人の俺では今の球は万が一にも打てないだろう。

 それは確かなことだ。


「お前さ、野球やったこと全然ないだろ。バッティングセンターに行くとかもないな?」


「まあ」


「だったらそう思うのも無理はないかもな。でも確かな事実として、俺の球は高校野球の世界じゃ、相手のクリーンヒットを量産するだけの、たった一回を守りきることもできない戦力外ボールなんだよ」


 小学生にも打たれるかもな、と穂村は自嘲する。

 その自嘲も含めて、俺は事実だと受け取った。


「そうなのか」


「ああ、そうなんだよ」


 俺は運動なんて授業でしかしないから、スポーツマンの世界のことはよくわからなかった。

 だけどさっきの穂村の球よりも速い球が、プロや甲子園では投げられているというのは、想像することはできた。

 スポーツの縁遠い人間にはバットを振ることもままならないような速さの球。

 そういうハイレベルなものがあると想像を巡らせることは簡単ではあった。

 想像上のプロと比べれば、確かにあれは目に見える球だったと言えるだろうと、穂村の投げた球を低く評価してしまえる。

 そしてそういった光景が、穂村の思い浮かべている甲子園であるらしかった。

 穂村の悲観を慰める言葉は思い付かなかった。


「今から間に合うのか?」


 と俺は聞いた。


「それ以前の問題、と俺は思っているよ」


 現実に甲子園に行けるのは一握りの高校だけというのは穂村の方がよくわかっていた。

 その彼がシビアな目で自分の実力を見ているのなら、きっと彼の実力では甲子園に行けないのだろう。

 俺の記憶が正しければ、そもそも俺たちの通っている学校自体が強豪ではない。

 番狂わせがいくつかあってやっと甲子園まで進めるようなところなはずだ。


「高一でも俺より速い球を投げるやつはいる。それだけじゃないぞ。速さだけじゃない。変化球のことも考えないといけない。そもそも俺は右で投げていた頃から変化球ってのはあんまり得意じゃなかったんだな。じゃあ速球が速かったのか? そんなこともない。結局のところ名門校に入るようなやつらにはなに一つ及ばないんだな、右投げだった頃から。どうやら俺は漫画の主人公にはなれないらしい」


 本当によく喋る。

 穂村は、俺がなんとも言いにくいと思っていることをなにも気にせずに、いくらでも喋った。


「せっかくグローブ買ったんだろ? とりあえずでも続けてみればいいじゃないか」


「買ったけどな。もしかしたら左投げになることで今までとは違う景色が見えて、それで俺のピッチャーとしての才能が開花するんじゃねえかとか思ったけどな。でもやっぱ無理だわって、ようやく思えた。今更なんだけどな。俺は馬鹿なのかもしれん。今になって考えてみると、身の程を知るタイミングなんていくらでもあったはずなんだけどよ、でも、努力していればいつかは天才とか言われているやつらに追いつける気がしたんだよ。俺、プロ野球選手になりたくてさぁ。なりたいってずっと思ってたら、いつの間にか、努力すればなれると思うようになっていたんだな」


 もし俺から促せば、幼少期のことから今に至るまでの人生を全部話してしまうんじゃないかってくらいに穂村はよく喋る。

 なんでこいつはこんなに自分のことを喋りたがるのだろう。

 俺の全てを知ってくれと言わんばかりだ。


 でも俺たち、全然仲良くないよな?

 そういう自分の胸の内を明かすような話って、せいぜい親友とか呼べるようなやつに話すんじゃないか?


 彼が自分から勝手に話しているとはいえ、まるで他人のプライベートな部分を覗き見てしまっているような、嫌な感じがあった。

 それでも俺は穂村の話を止めるわけにはいかなかった。

 彼には初原のことだって、全て話してもらわないといけない。


 穂村は俺が促すまでもなく、自分の野球人生について、本当に幼少期の頃のことまで話してきた。

 球場に家族で行って試合を見て、それで憧れを強くしたとか、そんな話だ。

 そして高校、肩を故障して野球部を辞めた時に、野球から離れる覚悟をした場面まで来ると、そこで初原の名前が出てきた。


「野球部を辞めた時は、未練は無かったんだ。だって、新しい人生を歩き出せる希望があったんだぜ。晴夏が俺と付き合ってくれたからな。今はまだ早いんだろうがいずれ結婚して子供も生まれるってことになったら、養っていかないといけないだろ。そういう将来が見えてくれば、野球への未練なんてどっか吹っ飛ぶんだよな。勝ち負けとかそういうことよりも大切なものを俺は手にしているんだって気がした」


 でも初原は。

 話を聞きながら俺がそう思ったように、穂村の話もそこに向かって流れていく。

 俺の一番聞きたかった部分に近付いていく。

 野球の話には全く興味が無くて穂村には悪いけれど、俺はようやく彼の話に集中し始める。


「晴夏が自殺してしまって、俺の新しい将来設計も一緒に消えてしまった。それでどうしたらいいか、わからなくなってしまったんだな。わからなくなって、俺は野球に戻らざるを得なくなった。それで左投げの練習をしてみたが、このざまってわけだ」


「初原が自殺した理由、なにか心当たりって無いのか? なにか……、いじめられていたとか」


「全然わからない。いじめられているとか、そんな様子は無かったと思う。晴夏は、どちらかと言うと、人生楽しくてたまらないっていうタイプに見えるからな」


 それは俺のイメージする初原とも合致していた。

 彼氏の穂村でも、初原の自殺の原因はわからないのか。


「ただ、これは自殺した理由ってわけじゃないだが、たぶん、未練が無くなったということはあるんじゃないか?」


 と穂村は言った。


「未練?」


「ほら、お前たちにも話しただろ。晴夏が自殺する二日前だ。俺に歌を渡して、人生で最高の曲が出来たって喜んでいたって。遺品代わりに満足のいく歌を遺せて、それでもう未練は無いって思ったんじゃないのか。どんなに嫌なことがあっても、未練があったら死ねないかもしれないけれど、その未練さえ無くなったら、自殺できてしまうものなのかもしれない。そうは思わないか?」


「そうかもしれない」


 と答えてから、俺は穂村の推理を検討した。

 なにが初原を自殺に追いやったかはともかくとして、歌が完成したから自殺できたというのは、その二日後に自殺していることを考えれば筋が通っていた。

 すると初原は夏休みの間、死ぬために曲を作っていたとでもいうのか。


「昨日お前たちと話してから、晴夏が自殺した原因をずっと考えていたら、そんなふうに思えてきたんだ。考えれば考えるほど、少しずつ晴夏のことを理解できていくような気がしている。それもやっぱり今更なんだけどな」


 穂村はそう言って苦笑した。

 そして穂村は俺に、


「なあ、お前って歌上手いか?」


 と聞いてきた。


「俺は音痴だよ。歌が上手いやつなら、一昨日にお前と会った桜田かな。それと昨日俺と一緒に来た小平も上手いは上手いんだけど、でもなにを歌っても『アメイジング・グレイス』みたいになる」


「アメ……? なんだそりゃ。まあいいや。お前、音痴なのか」


「歌は聞く専門なんだ」


「だったらお前にこれをやるよ」


 穂村は、ファスナーで閉ざされていたウインドブレーカーのポケットから、USBメモリを取り出した。


「晴夏が俺にくれた歌のデータだ」


「他の誰にも聞かせちゃいけないんじゃないのか」


 そういう遺言だったはずだ。


「晴夏は俺が彼氏だというだけで、それをくれたわけじゃないんだ。『音痴だから、特別に聞かせてあげる』とも晴夏は言っていたんだ。だったら、晴夏と親しい音痴なやつなら、聞く権利はあるだろうさ」


「そういうものなのか?」


「俺は、そういうことにしたいんだ。ただ、さっきお前が言った桜田とか小平とか、それ以外でも、歌の上手いやつには絶対に聞かせるなよ。それは晴夏もきっと怒るからな」


 わかった、と俺は初原の最後に作った曲のデータを受け取った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます