第13話 先生の執着

 学生の本分は勉強。

 俺の想像に反して、堀先生はそのことを熱く語った。


「なぜ勉強をするのか? それはあなたたちの将来のためです。なるべく良い大学に行くこと、それがあなたたちの未来を拓くんです。あなたたちにはまだ学歴の価値がよくわからないかもしれません。勉強なんてつまらないだけと思うかもしれません。大した学歴が無くても素晴らしい人生を手に入れる人もいますもんね。でもね、『受験勉強をもっと頑張って良い学校に入っていたら、人生が変わっていたかもしれない』とうなだれる大人だってこの世にはいるんですよ。先生も中学や高校の同窓会に行くと、そう愚痴をこぼす人がいて、悲しい気持ちになります」


 先生は犯人扱いされた時よりもよっぽど感情的に喋っているように感じられた。

 そして、俺たちに勉強を勧める言葉がどんどん口から出てくる。

 まさに立て板に水といった具合だ。

 そこには先生の学歴への執着と、そしていつか自分の生徒に対してこのことを喋ってやろうと考えていた年月の積み重ねがあった。


「残念なことですけど、初原さんには未来がありません。彼女が自分自身でそれを手放してしまったからです。ですがあなたたちは生きています、未来があります。だったら、より幸せな未来を手にするための努力をするべきではありませんか? もし二人が良い大学に行って、そして幸せな大人になってくれたら、先生はとても嬉しいです。もしかしたら初原さんだって喜んでくれるかもしれません」


 先生の話に、俺たちはなんとも言うことができなかった。

 だけど初原のことを引き合いに出されたのは不本意なことで、俺は相槌でうなずいてしまわないように力を入れていた。

 小平も微動だにしなかった。

 ただ黙って聞いているだけの俺たちに、堀先生は退屈を覚えたみたいだった。

 とにかくね、と言って話を締めにかかる。


「とにかくね、先生は最近のあなたたちが心配なんですよ。初原さんの自殺でショックなこともあるのでしょう。でも夏休みのたるんだ気持ちとか、文化祭が近くて浮わついたりとか、学生の本分を忘れてしまっているように見えるのです。いいですか? 初原さんのことは過去のことなんです。あなたたちは未来を目指して生きていかなければいけません。そのことを忘れないでください」


 堀先生は小平の失言のことなんてすっかり忘れたかのように、そのことに再度触れることはなく、俺たちにもう教室に戻っていいと言った。

 職員室を出ると、とても疲れた感じがした。

 俺と小平はなにも喋らずに歩いた。


 先生にとって初原のことはもう過ぎ去った出来事なのだった。

 そして、初原のことは忘れて学問に励めと言う。

 だけど俺は出来の悪い生徒らしかった。

 将来の自分の姿なんて、ろくに想像できなかった。

 先生の言っていることはたぶん正しいと思った。

 俺たちに大切な教訓を伝えようとしていることもわかった。

 だけど俺の心は先生の教訓から少しも学びを得ていなかった。

 今、俺たちは初原のために生きていて、未来の俺たちのために生きているわけじゃないと思った。

 初原のことを中途半端に放り出して、それで未来のために生きられる気はしなかった。


 疲れた気持ちで上る階段は、とても辛い。

 先生の説教を受けた疲労と、自分たちの生き方を否定されたような感覚とで、俺はネガティブな気持ちになっていた。

 音楽だけでは厳しい現実を生きていくのに頼りない気がしてしまう。

 うつむいている俺は階段を見つめながら小平に聞いた。


「なあ、小平。俺はやっぱり初原の真相が知りたいよ。そんな俺の将来は暗いのかな?」


「なにを心配しているの」


 小平は笑うことも呆れることも怒ることもなく、淡々と階段を上る。


「将来のことなんて、私に聞いたってわかるわけないじゃない。私も未来のことなんて見ていないのよ」


「そういえばそうだったな」


 小平も将来の夢が無かったんだったな、と思い出す。

 俺も同じだ。

 未来を目指そうにも具体的な夢なんて持っていない。

 それを言い訳に、まだ未来のことは見ないでいてもいいのだろうか。

 ただ、小平が道連れと思えば、気が楽になった。

 俺には味方がいるんだという感覚がほのかに戻ってくる。


「なあなあ、小平って自分の将来は明るいって信じているか?」


「信じるもなにも」


 小平は自分の顔を指差して言った。


「私なんかは明るい人生を送るために生まれてきたようなものでしょう。心配なのはあなただけよ」


「俺は大丈夫だよ、たぶん」


「そうかしら」


「たぶんな」


 二年生の教室のある三階に上ったところで、俺は用事があったことを思い出した。

 桜田に頼まれていた、穂村のことだ。

 気力はいまいちわかないが、桜田のためにも探しておいてやるべきだろう。


「それじゃあ俺は初原の彼氏を探すよ」


「晴夏の?」


「ああ。桜田に頼まれていたんだ」


「なるほど、せっかくサボって外を探しても、学校にいたら見つかりようがないものね」


「そういうこと」


「私は教室に戻るわ。とても疲れたから」


 その気持ちはとてもよくわかる。

 小平は気だるげな足取りで俺たちのクラスに戻っていった。

 それとは反対方向に俺は歩き出す。

 スマホで集合写真に写った顔をもう一度確かめる。

 そして廊下をゆっくりと歩きながら、窓から教室内を覗いて、穂村を探した。


 穂村は自分のクラスにいないで、どこかへ行っている可能性もあったから、俺は校内を一通り歩いてみた。

 どこの教室にも穂村らしき人物は見当たらなかった。

 もう一周してみようか、それとも校舎の外を探してみようか。

 考えながらスマホを見ると、桜田から新しいメッセージが届いていた。


『穂村見つかった。これから接触する』


 と書いてあった。

 もう俺が探す必要は無いってことだ。

 だったら教室に戻ろう。

 俺だってとても疲れているのだから。


 教室に戻ると、


「おっ」


 と花園が声を上げた。

 そして自分の席に戻ろうとする俺に駆け寄ってくる。


「聞いたぞ、職員室に行ったんだってな」


「ああ。酷い説教だった」


「それも聞いた。相当だるかったみたいだな」


「そうだよ」


 小平の席を見ると、そこには誰も座っていなかった。

 あれ、と思って視線を動かすと、桜田の席で机に右頬をくっ付けて寝ている小平の姿を発見した。


「どうしたんだ、あれ」


「いや、戻ってきたところを捕まえて、話を聞いてたんだよ。一通り話したところで『もう疲れた』って言って寝ちまった」


「へえ」


 俺は桜田の席まで行って、小平の寝顔を見た。

 机に頬を潰されても小平はまだ美人と言えるレベルを保っていた。


「落書きしたくなる寝顔だろ」


 花園がくすくすと笑いながら言った。

 だな、と俺は同意する。

 綺麗で白い顔の小平が目をつぶって肌を晒しているのだ。

 落書きするのにもってこいの顔だ。


「水性ペンと油性ペン、どっちにする?」


 花園が自分の筆箱から黒のペンを二本出して、俺に差し出す。


「いいよ、やらないよ。バレたら殺されそうだし」


「バレなきゃ問題無い」


「絶対お前らが言うから、やらない」


「あはは、お見通しか」


 俺たちがぐちゃぐちゃと不穏な話をしていても、小平は目を開けなかった。

 本当に眠っているらしかった。

 小平は授業が始まる五分前のチャイムが鳴っても起きずにいた。


「そろそろ起こしてやったら?」


 と俺は花園に言った。

 すると花園は、


「持山が起こせばいいだろ」


 と言い返してきた。

 桜田グループは、うんうんと同意する。

 なにやら俺を小平の相手役として扱おうという邪な心が見え隠れしている。

 だけど俺も仕方なさそうに、


「わかったよ」


 と言って、少しばかりの邪な気分で小平の肩に触れた。

 小平が俺よりも華奢であることが手の感覚として実感させられる。

 他人行儀の遠慮がちな接触だったのに、そんな感触があって、触れ過ぎてしまったかと俺はどきどきした。

 小平は目を開けたけれど、頬を机に付けたままでいた。


「小平、そろそろ昼休み終わるよ」


「このまま寝たい。毛布持ってきてくれない?」


「無茶言うなよ」


「はあ、ろくに眠れた気がしないわ」


 顔を上げると、机に潰されていた右頬は薄っすらと赤くなっていた。

 そのことに感づいていた小平は、


「あんまり見ないでよ」


 と右手で頬を隠した。

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