第10話 秋高し

 喫茶店で小平と桜田と話した翌日は、さわやかな朝から始まった。

 夏の暑く蒸すような気候が続いていたが、今日は秋らしく冷えた感じのする朝だった。

 空を見上げると、澄んだ空が非常に高く見えた。


 まだ初原の自殺の真相が知れていないのに、秋が来てしまうのだろうか。

 小平は夏を終わらせると言っていたけれど、やはり初原とは関係なく季節は進む。

 それか、もしかすると俺たちの初原の死に向き合う日々――桜田に言わせれば探偵ごっこ――の変化を象徴しているのかもしれない。


「なにか飛んでいるの?」


 高くなった空を見上げながら歩いていたら、小平が話しかけてきた。

 彼女と通学路で一緒になるのは珍しかった。

 少し驚きながら、


「なんだか秋っぽくなったなあ、って思って」


 と俺は言った。


「どうせ明日にでも暑さがぶり返すわよ」


 小平は一瞬だけ空を睨むと、前を向いて歩いた。

 俺も前を向く。

 そして俺たちよりもっと前を向いているやつもいた。

 小平にとってはまだ早い秋を訪れさせたのは彼女かもしれなかった。


「桜田、今日学校休むってさ」


 と俺は小平に教える。


「馬鹿は風邪ひかないわよ」


「うん。風邪はひいていないみたいなんだ」


「じゃあ、サボりってこと?」


 俺はうなずいた。

 桜田は今日学校をサボることを早朝俺に知らせてきた。


 桜田たちが掴んだ情報によれば、初原の彼氏の穂村はここのところ学校に来ていないそうだ。

 不登校というやつらしい。

 それで日中うろついているところを見た人がいると噂を聞いて、桜田はその真偽を確かめるために学校をサボるつもりなのだった。


 俺が朝に桜田から受け取ったそのメッセージを小平にも伝えると、


「とてつもない行動力ね」


 と呆れたふうに言った。

 だけどその言葉の内側には、桜田に対する驚きもはっきり含まれていた。


「桜田さんは、晴夏とは大した関係じゃないんでしょう?」


「そうだね。桜田グループの中に、ちょっと仲良かった子がいたくらいかな」


「それなのに、どうして学校を休んでまで調査に打ち込もうと思えるのかしらね」


 理解できない、と言いたげに小平は首を振る。

 だけど俺たちは桜田の動機を既に理解はしていた。

 桜田にとってこの件は、関係が薄くても、楽しい探偵ごっこなのだ。

 そして学生生活の後の人生を軽視しているきらいのある桜田にとって、学校をサボることなんて大したことじゃないのだろう。


「桜田って、進路どうするんだろうな」


 と俺は疑問に思ったことを口にした。

 いくら青春の今が大切だって言ったって、大人になってからの人生も大切だし、よっぽどそっちの方が長い。

 いくらなんでも、将来のことを完全に無視するほど投げやりにはなれないだろうと俺は思うのだ。


「あっさり死ぬのかもしれないわね」


 小平はぽつりと言った。


「えっ?」


「楽しい楽しい学生生活を満喫して、それでもう未練は無いから死んでしまえって考え方を、もしかしたら桜田さんはするかもしれないと思ったのよ」


 その単語こそ口に出さなかったが、それは自殺ということだ。

 俺たちにとって今一番重苦しく響く言葉。

 やはり俺も直接にその単語を出して語ることはできない。


「桜田は大人になったら死ぬつもりだと?」


「なんだかそういう危うさがあるように見えると言うか……、そう、馬鹿でしょう、あの人。馬鹿はそういうことするわよ。リセットボタンを押して、また学生生活をやりたがるのよ」


 リセットボタン。

 人生をやり直すために自殺をするという考え方。

 いつしか自殺に関連する言葉として、その言葉は定着していた。

 もし本当に死ねば人生をやり直せるのなら、確かに桜田はそうするかもしれない。

 だけど、刺々しく言う小平もわかっていると思うけれども、桜田はあんまり馬鹿じゃない。

 本当にリセットできるとは限らないってことはわかっている。

 それこそ「人生は一度きり」なんて校長先生とかが言いそうなフレーズなんて飽き飽きしているタイプだろう。

 だけど、そうだ、あり得ない話でもない。

 リセットできたらラッキーで、リセットできなくても別にいい。

 だって大人になってからの人生なんて、つまらないもんね。

 そう考えて桜田が自殺を選ぶ可能性はありそうだった。


「桜田みたいな愉快な人がいなくなるのは寂しいな」


 俺は、桜田に自殺してほしくないと思って、言った。

 馬鹿だと悪口を言いまくっていた小平も、そうね、とうなずいた。

 好んではいない様子だけれども、小平は桜田のことをそこそこ評価しているふうだった。


「だけど私たちが止めようとして止まる人でもないのでしょうね」


 とも小平は言った。

 俺もそう思った。

 そして、そもそもとして以前から仲良くしているわけでもない俺たちが口出しできることでもないのだろう、と思った。

 たとえその夢が社会的に望まれていないことだったとしても、他人の将来の夢にけちをつけるのは、とても失礼なことなのだ。


「そういえば小平は将来の夢とかって決まってるのか?」


 ついでに俺は聞いてみた。

 すると小平は、全然、と答えた。


「私、なにをやったらいいのか、わからないのよね」


「なにをやってもいいと思うけど」


 と俺は言った。

 将来の夢なんて、やりたいことならなんでもいいんじゃないか。

 小学生のうちに子役デビューしたいとか、そういう既に実現が不可能になってしまったものでもない限りは、夢なんて描きたいように描けるものだ。

 しかし小平はそうではないみたいだった。


「なにになったら、社会の歯車として一番上手く機能するのか……。それをずっと考えているわ。なんでもいいとか言って、それで大して誰の人生の役にも立たないなんて、嫌だもの」


「へえ。誰かの役に立ちたいってのがあるんだな」


 そんな優しい人みたいなことを小平でも考えるんだな、とは言わないでおく。

 それでも俺の意図は伝わっていたようで、小平は俺の言葉を否定する。


「役に立つことに生きがいを感じるとかいうことではないのよ。私、こんなに綺麗に生まれて、頭だって結構良いのよ。それだのに、その持って生まれた才能をろくに活かせないで死ぬのは許せないの。自分が優れた人間であることを、その才能を、誰にでもわかる形で発揮するのが私の望みよ」


「そりゃまた凄いな」


 凄く美人に生まれてくると、そんなふうに考えるものなのだろうか。

 自己顕示欲ってそりゃあ俺にもあるけれども、小平ほどの強い欲は俺の中には眠っていない。

 小平みたく思うほど、俺には才能が無いだろうなって考えが先に来る。


「そういう、適切な将来の夢を探しているのだけれど、なかなか見つからないのよね」


「それは小平が夢のことを他の人より難しく考えているんだから、探すのに苦労するのは当たり前のことだと思うな」


「持山くんも、難しく考えていない一人なのかしら?」


 俺はうなずく。


「そうだね。全然難しく考えていない」


「なら、持山くんは将来なにになるの?」


「それは決まっていないんだ」


 と答えた。


「今の話の流れなら、当然決まっているものと思うのだけど」


 訝しんで、俺を鋭く目で見てくる。

 そんなに睨まれたって、俺は夢を隠しているわけじゃない。

 本当に決まっていないのだ。

 だけど、小平みたいな考え方もしていない。


「俺は、別に将来のことなんて、どうにかなると本気で思っているんだ。今、将来の夢が決まっていなくたって、楽しく生きていけると思っている。だから将来の夢は決まってないけど、難しく考えることもしていない」


「お気楽なわけね」


 小平は短い溜め息をついた。


「気楽にもなるさ。だって俺にどんな未来が待っていても、常に世界には新しいポップソングが生まれていて、それが俺たちの人生に優しく寄り添ってくれるんだものな」


 嬉しい出来事も悲しい出来事も、歌が甘いケーキに仕立ててくれる。

 それは初原が言っていたことだった。

 俺もその考え方が気に入っていた。

 いつだって音楽が、冷たい世界を生きる俺たちを温かく包んでくれている。

 だから大丈夫なんだと思えば、未来は明るいことばかり待っているような気さえしてくる。

 そうやって生きていくことが幸せな人生なんじゃないかと俺は思う。

 将来の夢を焦って決めなくたって俺は時代の歌と共に歩む。

 そのうちにふと夢が見つかったりするものなのだと信じている。


「歌……ね」


 小平は初原のことを思い浮かべ、高くなった空を見上げると、


「晴夏のポップソングを聴いて生きていけたら、本当に良かった」


 と寂しそうに言った。

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