第9話 湯豆腐が食べたい

 桜田にふざけるのをやめさせて、俺たちはテーブル席に座った。

 相変わらず俺たちの他に客はいなかった。


「冷奴がおすすめらしい」


 と俺は桜田に教えた。

 すると桜田はマスターに向かって、


「すみません、湯豆腐ってできませんか?」


 と言った。

 そんなものはメニューに載っていない。

 残念だけど無いわね、とマスターは答えた。


「喫茶店で鍋をやろうとするなよ」


「だってこれから冬が来るんだぞ? 季節の先取りだよ」


「先取りって問題じゃなくてだな。それに、まだ秋って感じでもないだろ」


「いやいや、季節なんてうっかりしているとすぐ過ぎるじゃん。知ってる? 大人になると時間って経つのが早いらしいぜ」


「らしいな」


 両親を始めとして、大人というのは十二月になると一年が過ぎるのは早いと騒ぐものだ。

 彼らにとって一年はとてつもなく早く過ぎ去るものらしい。

 俺にも心当たりはある。

 小学校の六年間は、中学校の三年間よりも二倍以上長かったように思える。

 小学一年生の頃の記憶なんてろくにないのに、体感の時間の記憶は、小学生でいた時間が凄く長かったように思わせてくる。


 もしかして桜田もそういう時の流れの変化を感じているのかもしれない。

 非常に鬱陶しげに、


「大学卒業までの残りの人生、必死に生きなきゃならんよ」


 とメニューを睨んだ。

 別に大学を卒業したって死ぬわけじゃないだろうけれども、桜田は学生の立場を失うことを青春の終わりと捉えているようだった。


「お前の残りの人生、短いんだな」


「それは持山も同じだろ。大学を出たら、私たちは死ぬんだ。その先の人生を生きるのは、今いる私たちとは別のなにかなんだ」


「桜田って妙なことを考えるんだな」


「私は子供だからな」


 大人になれば妙なことを考えることもなくなる。

 それは知識をつけて成長した証かもしれないし、生活に時間を追われてのことかもしれない。

 そういうことを桜田は言わんとしたのだと思う。

 メニューを見たまま桜田は、ふっと笑った。


「マスター、私はお子様ランチで」



 やはり一時間ほどして、小平が合流した。

 そしてやはり小平は冷奴を注文した。

 本当に注文してやがる、という目で桜田は小平を見た。

 視線を受けた小平は、


「晴夏のこと、桜田さんも手伝ってくれているって聞きました。本当にありがとう」


 と礼を言った。


「いや、別に気にしなくていい。楽しくてやっていることだからな」


「それでもありがとう」


 再度感謝の言葉を言われて、桜田は黙ってしまう。

 小平もそれ以上なにも言わない。

 俺だってこのタイミングで喋ることなんてなにも無かった。


 沈黙を打ち破ってくれたのは、小平が注文した冷奴だった。

 マスターがそれをテーブルに置くと、桜田が切り出した。


「初原いじめについて、わかったことがある」


 いじめの情報に小平は敏感に反応した。


「誰がいじめていたの?」


 冷奴に手をつけることもなく、話を急かす。

 桜田はおもむろに腕を組んで、椅子の背もたれに体重を預ける。

 そうやってもったいぶってから結論だけを言った。


「誰も初原をいじめていなかったっぽいんだな、これが」


「いじめていない?」


「ま、百パーセントとは言えないけど。でも、校内の誰かがいじめたって話はちっとも聞こえてこないんだよ」


「いじめているやつが相当上手く隠れていじめてたって可能性はあるよな?」


 と俺は尋ねた。

 あるいは家庭内で虐待を受けていたとかいうことも考えられる。

 桜田は退屈そうな顔になって俺の指摘にうなずいた。


「そういうパターンなら、調べようがないじゃん。お手上げだ。噂話で聞こえる範囲のことじゃないと、私にはどうしようもないし。で、そういうレベルで目立ついじめはゼロ」


「できる限りのことはしてくれたってわけね」


「明日や明後日に新情報が来るってこともあるかもだけど。でもいじめとは関係ない初原のパーソナル情報も出揃った感あったから、こうして報告してるわけね」


 もしかしたら二人は知っているかもしれないけどな、初原って彼氏がいたんだってな。

 と桜田は言った。

 初耳だった。


「マジか」


 と俺は驚く。


「なんだい、知らなかったのか」


 桜田は俺と小平を交互に見て言った。

 小平の方を見てみると、彼女は声でこそ驚きを表さなかったけれども、目をむいていた。


「知らなかった」


 小平は恥ずかしそうに小さな声で言った。

 初原から聞かされていなかったことに戸惑いを覚えているふうでもあった。


「聞いたことない。そんな噂、本当なの?」


「噂は噂だけど、たぶん本当なんじゃない? 元野球部の二年生、穂村ほむら信富のぶとみ


 同級生だが、知らない名前だった。

 元野球部っていうのはどういうことだろう。

 聞いてみると、


「詳しい話はわからんかったけど、一年生の時に怪我して、それで辞めたらしい」


 と桜田は答えた。

 そして彼女はうきうきと身体を前後に揺らしながら喋る。


「怪我で部活を引退した男が彼氏だった。自殺には謎がある。ということは、この元野球部の彼氏がなにか鍵を握っているのかもなぁ」


「つまり彼氏が犯人だと?」


 俺がそう言うと、桜田はにやっと歯を見せる。


「だとすると、彼氏の動機だよ。初原のメンタルを崩壊させた、その動機ってなんだと思う?」


「そう急に言われてもな……」


 でも桜田が今出した情報だけでもっともらしく推理するなら、一つの可能性は浮上している。

 その可能性を俺が言いにくそうにしているのを察した桜田は、そうだよ、と俺を指差す。


「彼氏を怪我させて野球部を引退する原因を作ったのが、初原だった。これで話がつながるじゃん。こいつはヤバいね。まるでドラマじゃん。興奮するね」


「晴夏はそんなこと絶対しないわ」


 小平が冷たく怒った声で俺たちの推理を凍てつかせた。

 ひるまずに桜田は推理を押し出そうとする。


「悪意があったわけじゃないかもね」


「悪意が無いけど事故だった? そんな可能性も無いって私は言っているのよ」


「そっすか」


 桜田はわざと怒らせるように、馬鹿にしたような言い方をする。

 誘いに乗せられて小平の語気は静かに荒れる。


「悪いのは晴夏でしただなんて。そんなふざけた結論は許さない。もう一度でも口にしてみなさい。その時はあなたたちの首を折って殺すわ」


 怒鳴りはしなくてもその声には多分に怒りが含まれ、そして口から出る言葉も乱暴だった。


「怖いよ小平」


 と俺はなだめようとする。

 だけど俺の声は思った以上に小さくて、どうやら俺は相当びびってしまっていたみたいだ。

 小平も止まらない。

 桜田をロックオンして言葉を突き立てる。


「もう一つ許せないことがある。桜田さん、協力してくれるのはありがたいし感謝もしているけれど、楽しいだの興奮するだの、晴夏の死をおもちゃにするのはやめてくれないかしら? 人はあなたのおもちゃじゃないわ」


「小平も不謹慎だって言うわけね。面倒くさいな」


 桜田は演技らしい動作で頬をかいた。

 泰然としていて、なんならふざけて舌を出す余裕すらありそうに見えた。

 それが一層小平の目を鋭くさせる。

 自分を睨む目を見つめ返して桜田は言う。


「いいじゃん、楽しくて。だって今しか楽しい時は無いんだ。この青春が人生の全てでしょ。だったら私は気持ちのいいことだけして生きていたいし、探偵ごっこはそりゃあ楽しいもん。それを楽しむなって言われても困るし」


「人生の全てですって? ならその楽しい時が終わったら、あなたの人生はさぞ退屈でくだらなくて、なんの価値も無い、不謹慎に楽しまれることすらないただの腐臭まみれのものになるのでしょうね」


「かもねー。未来の自分の腐臭が匂ってきて私も困ってるところ。だから今を楽しむ。それが唯一の正解でしょ」


 そこまで言い合うと、流石に桜田も不快そうな表情に変わっていた。

 そして罵詈雑言をぶつけて言い尽くした小平は疲れたように息を吐くと、


「私、あなたのことが嫌いだわ」


 と言った。


「私も小平のこと好きじゃないから安心してよ。それと、やめろって言われても続けるから。せいぜい望まない真相が出てこないことを祈ってなよ」


「祈るまでもないわ。現実はあなたの思うような、くさいドラマ仕立てなんかじゃないのだから」


 だといいけどね、と桜田は見下したように笑う。

 そして自分の分の会計を済ますと店から出ていった。

 桜田の姿が見えなくなるのを待ってから小平は、冷奴用のさじを持った。


「難しいわね」


 と怒りと疲れで顔が強張ったまま、冷奴を食べる。

 さじで豆腐をすくうその手の動きだけは従来の華麗さを保っていた。


「難しい?」


「優秀な人間って、どうしてああも癖があるのかしらね。晴夏も少し変わった子だったわ。私だって、この恵まれた容姿の代わりに、周りの人とは違う人間になってしまっている」


「小平、自分が変わっているって自覚はあったんだな」


「そりゃあね」


 俺はほっとした。

 そんなふうに自虐までできるのなら、存外取り乱してはいないのだろう。

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