第8話 小平は猛毒

 俺の知らないところで、初原の噂が広まっていたらしい。


 この前自殺した人いたじゃん。

 夏休み明けに全校集会になった?

 それ。あの人って本当は殺されたらしいよ。

 えっ、自殺じゃなくて殺人ってこと?

 なんかさ、いじめかなんかあって、それが原因なんだって。

 じゃあ自殺じゃん、結局。

 ま、そうなんだけどさ。


 そんな具合の噂話が、一部女子の間で広まっているそうだ。

 俺の耳にはそんな会話は聞こえてはこなかったのだが、噂話を広めた張本人である桜田がそう俺に教えてくれたのだった。

 初原に調査を依頼した次の週の朝。初原から呼び出されて俺はまた早くに学校に来ていた。


「なんだって桜田が変な噂を広めてるんだよ」


「ははっ、持山は馬鹿だなあ。噂には尾ひれが付くんだよ。あること無いこと」


 桜田は手を金魚の尾みたいにひらひらとさせながら言った。


「あること無いこと言われたら、初原が浮かばれないだろって俺は思うんだけど」


「ふふふ、馬鹿め。あること無いことなんだぜ? 中には本当のことも尾ひれに付いてくるってわけじゃんか」


 とんちみたいだが、言われてみればなるほどだった。

 どこかの誰かが握っていた真実の断片を網の中に誘い込もうとして、桜田は自殺の噂を再燃させたのだ。


「お前、頭いいんだなあ」


「頭が回らなきゃカリスマは名乗れないからな」


 テストの点数にならない知恵において絵理沙は万能だからな。

 女体盛りの女子がからかうように言った。

 すると桜田は当たり前と言わんばかりの表情を作って、


「だってテストの点数なんて、六十点でも八十点でも、同じようなもんじゃん」


 と言った。

 いや、全然違うから。

 俺含め、周りから即座にツッコミを入れられる。

 それでも桜田は同じだと主張をした。


「赤点じゃなければセーフ。それだけじゃん。本当は、六十点でも八十点でもさ、百点じゃないってことはそれなりに間違えてるわけじゃん。だけど赤点じゃなければ、どれだけ間違えていようがどうでもいいでしょ」


 と言った。


「そうやって六十点で済ませられるのは、テストの点数が私たちの青春においてなんの魅力も無いってことなんだよ。そんなくだらない点数を取るために勉強するぐらいだったら、遊んで過ごすべきでしょ」


 とても自堕落な考え方だった。

 でもそれを話している桜田はとても楽しそうであった。

 そして自信に満ちていた。

 自嘲するでなく、この生き方で正しいと思っている言い方を桜田はしていた。

 太く短く、みたいな。

 青春に人生をかけている印象を俺は受けた。


 主張を俺に披露した桜田は満足げな顔をしたと思えば、声をひそめて話した。


「ま、その話は置いといて。初原の噂な、尾ひれが付いたぞ」


 つまり、なにかしらの新情報、それも確からしいものを掴んだということだ。

 凄いな、と俺は再び桜田に感心する。

 だけどその仔細を話そうとした桜田を俺は制止する。


「その話、ちょっと待ってくれないか。俺の他にも、それを聞きたがっている人がいるんだ」


「あ? 誰だそれ」


 俺は小平のことを桜田たちに話した。

 俺よりも初原と仲が良かったらしく、俺と同様に真実を知りたがっているのだ、と。


「小平……、小平かー」


 桜田は微妙そうな顔をした。

 桜田以外の女子はもっと率直に、小平のことが苦手そうな顔をした。


「あんまり嫌そうな顔をされても、俺も困る……」


 探偵ごっこの発端は小平にある。

 そこは桜田たちに説明できていないのだけど、実際にはこの一連の調査のリーダーは小平なのだ。


「いや、別にいいんだけども。いいんだけどもさ。しかし小平って美人すぎるじゃん? それだけでもう近くにいてほしくないんだよな。人生に自信が無くなる」


 桜田の言うことに周りの女子はうなずいた。


「そんなこと言われたら、俺ももっとイケメンに生まれたかったって、人生に自信無くしてしまうよ」


「共感どうもありがとう。その五倍は私たち苦しんでいると思ってくれ」


 まあ冗談だけどな、と桜田はげらげら笑った。

 桜田の大袈裟な笑いにつられて苦い顔をしていた女子たちもとりあえずは笑う。

 だけど冗談って言ったって、百パーセントの冗談ってわけじゃない。

 だったら桜田は、どこを冗談にして人生の自信を取り戻して笑うのだろう。

 そう案じてしまって、一番苦い顔のままでいたのは俺だった。

 だもんで、その顔はなんだと桜田に平手で額を軽く叩かれる。


「こういう時は男子のお前がなにか気の利いたことを言って、冗談を完成させてくれなきゃダメなんだよ」


「オーケー、頑張ってみるから十秒くらい時間が欲しい」


「やめとけ。どうせ互いに大火傷して終わりだし。気分が悪くなる」


「俺もそんな予感はしている」


「ならやめとけ」


 情けない形で許しをもらい、話は元に戻る。


「で、小平にも聞かせてやらないとダメなわけね」


「うん。小平は行きつけの喫茶店があって、そこで話を聞きたいって言ってた。狭い店だから、全員で押しかけるのはどうかと思うけど」


「じゃあ代表で私が行く。私だったら、小平という猛毒にも耐えられるからな」


 と桜田は言った。


「それ遠回しに自分以外はブスって言ってない?」


 女体盛りの女子は、わざわざ角を立てる。

 とは言っても喧嘩腰ではなく、笑いを誘うようなおどけた言い方でだ。


「美人揃いのグループの中でも私が一際美人だってことだよ」


 返す桜田も、本気ではなく冗談めかして言う。

 爆発物の近くで火を振り回して遊ぶのは、巻き込まれる場所にいる俺としては、勘弁してほしかった。

 だけども彼女たちには危険物を取り扱えるほどの結束があるのか、小平の名前が出た瞬間ほどの緊張というのは起こらなかった。


「それで、小平がよく行ってる喫茶店って、なんていう店なんだ?」


「えっと、『どんぐりころころのころ』って店」


 桜田はグループの女子たちの方に顔を向けて、


「常軌を逸した名前だな」


 と言った。

 すると女子たちがいっせいにどかんと笑った。


 なにがそんなにツボだったのだろうとその瞬間の俺は不思議に思った。

 授業中もずっと考えて、昼休みの途中でなんとなく答えがわかった。


 常軌を逸した美人の小平は、通う喫茶店も常軌を逸した名前なんだな。


 たぶんそんな意味合いのジョークだったんだろう。



 放課後、小平は例によって図書室に向かったので、俺と桜田で先に喫茶店へ行くことになった。

 道案内がてら、一緒に下校する。

 桜田は俺の歩くペースに合わせた速度で自転車を漕ぐ。


「どんくらいかかんの?」


「この前歩いた時は、二十五分ぐらいかかったかな」


「はあ? 遠すぎるだろ。いや、と言うよりも、お前なんで自転車乗ってこないんだよ」


「家は学校から割と近いんだ」


 すると桜田は苛立たしげに唸った後、


「そんじゃああれだ。一度お前んちに自転車取りにいこうぜ。二十五分ものろのろ自転車漕ぐのは流石に地獄だって」


 と言った。


「その手があったか」


 付き合っているわけでもない女子に自分の家の場所を知られるのは恥ずかしい気持ちもあったが、喫茶店までの長い道のりをまた歩くのは面倒であったし、今日はそれに桜田の文句が加わるのだと考えると、やはり自転車を取りにいくべきと思った。


 家に寄って少しばかり遠回りになっても、自転車と徒歩のスピードの差なら、大したロスにはならない。

『どんぐりころころのころ』の店内に入るとおばちゃんマスターが、


「あら、彼女?」


 と聞いてきた。

 男と女を見ればすぐ恋人扱いか。

 違いますよ、と俺は答える。

 なのに桜田は、


「そうでーす、私たち付き合っているんですよー」


 と甘ったるい声を作って言った。

 その声があまりにも正気の人間の出すものには聞こえなくて、馬鹿馬鹿しく感じた。


「お前なに言ってるの?」


「馬鹿か。こういうおばちゃんには、適当に話を合わせておくのが楽しいんだろ」


 そしてまたふざけた声色を作って、


「私たち付き合い始めたばかりでぇ、まだキスもしてないんですよぉ〜」


 とマスターに言う。


「まあ、そうなの。若いうちはそれでいいのよ。キスなんてそう簡単にしちゃダメなんだから」


「へえ〜、ダメなんですかぁ」


「男はどうしようもないやつも多いんだから。本当にまともな男かわかるまでは、ご褒美はあげちゃダメなの」


「えー、キスってご褒美なんですかぁ?」


「そうよ。あんたみたいな可愛い子のキスはご褒美なのよ。そのご褒美をちらつかせて、男を尻に敷くのよ」


「はぁーい、頑張ってみまーす」


 二人してなにをやっているんだか。

 俺は溜め息をついた。


「マスターも、こんな茶番によく付き合いますね」


 さっき桜田が、おばちゃんどうこうと言っていたのも聞いていたろうに。


「おばちゃんってね、雑食だから適当な話でも楽しくなるのよ」


 とマスターは言った。

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