第7話 自殺した人間の小説

 放課後の図書室には精霊がいる。

 その話を精霊自身から聞いたので、俺は精霊をやっている小平がどんなものなのか見てみようと図書室に寄ってみた。

 図書室はなんてことのない学校の図書室だった。

 本棚があり、テーブルと椅子があり、貸し出しのためのカウンターがある。

 図書委員の生徒が二人座っていて、貸し出しの受付をしている。

 限られたスペース、図書館と比べれば圧倒的に狭い室内ではテーブルの占める割合が大きく、蔵書はそう充実したものではない。

 そんな所にある本なんて、どうせ「学校らしい本」ばかりでつまらないものだろうという先入観も手伝って足は遠のくばかりだ。

 あまり生徒に利用されない状況を打破するべく新たに図書室に入ってきた「蔵書」、それが小平だ。


 小平が自分のことを蔵書の一冊と言ったのは的を射ていると、図書室を訪れた俺は思った。

 図書室にいた生徒は、男子もいれば女子もいて、どちらかが過度に多いわけでもなく、そして誰もが小平と距離を置いて座っていた。

 本を読む振りをして小平を盗み見るというふうでもない。

 いや、実際には盗み見ているのだろうけれども、傍から見てわかるほど露骨な人間はいなかった。

 だから一見して誰が小平目当てで来た生徒なのかわからない。

 察せるのは、女子にも小平ファンがいそうだな、というくらいだ。

 抜け駆けはしないという暗黙の紳士協定が結ばれているのかもしれない。

 そういう小平ファンたちの慎み深い水面下でのにらみ合いに小平は守られていた。

 長い髪の束までもが静かな空間をオーラのようにまとい、図書室の静寂の一部分となっていた。

 その様子は精霊よりも蔵書と言った方が相応しいだろう。

 全く静かな室内で心音の代わりに聞こえるページを繰る音だって、小平のそれはとても小さな音だった。

 そこに確かに存在していて、綺麗な容姿はとても目立っているのに、窓の外から入ってくる日差しのように当たり前のものとして小平は図書室にいた。


 図書室の本棚の一角には、ろくに整理されていないコーナーがあった。

 様々な小説が、作者名順でもなくジャンルごとでもなく、乱雑に並べられている。

 そのコーナーは『とある本好き女子が最近読んだ本』と銘打たれていた。

『本を読むのが好きで図書室をよく利用する女子が最近読んだ本です。本選びの参考にしてはいかが?』と書かれている。

 なるほどな、と思った。

 ここが小平の既読書籍の置き場で、小平を目当てに来た生徒はここから本を取る仕組みになっているのだ。

 俺もそのコーナーから小説を一冊取って、小平からは離れた席に座る。


 まるで指が吸い寄せられるように自然と手に取っていた小説は、非常に有名な作家の作品だった。

 作者は自殺して亡くなっている。

 内容も、自殺した人が書いた小説と聞けば納得の、暗い内容だった。

 暗い話はそれだけで俺の興味から外れていって、ずっと暗いままだから、読み進める集中力が保てなくなる。

 早々に物語の外に俺は弾き出されてしまう。

 こういうことがあるから小説を読むのって苦手だ。

 さらに小説の中身よりも他に気になることがあって、思考は物語を放り出す。


 最近小平が読んだ本。

 その最近って、いつまでのことを指しているのだろう、と俺は気になっていた。

 自殺して亡くなった作家の小説を、小平は夏休みに入る前に読んだのだろうか。

 それとも初原が飛び降り自殺をしてから読んだのだろうか?


 でも俺自身は、初原が飛び降り自殺をしてからこの本を手に取っていて、初原の自殺のことをとても意識しているのが明白だった。

 図書室に来たのだって、小説を読むためじゃない。

 最初から小説を読む気分では全くなくて、初原や小平のことがとにかく気になっているのだ。

 俺の目は活字の上を滑る。

 内容は頭に入ってこないけれど、文字を上から下へ、そして右から左へと見てページを繰る。

 なんとなく文字を追っているだけでも、とにかく暗い話だとわかる。

 言葉のチョイスも陰鬱だ。

 本当に、自殺した作家が書いたのも納得がいく、というような小説だった。

 だけども、「自殺した作家」というのは少しおかしな表現かもしれない。

 この小説を書いている時、この作家はまだ死んでいなかったはずである。

 自殺をした後では小説は書けない。

 作家はこの作品を書いた後に自殺して死亡したのだ。

 そういう順番があることは、俺でもわかる話だ。

 だから俺は広げている小さな書籍に向かって、問いかける。


 あんたはこんな暗い小説を書くような人間だから自殺したのか?

 それとも、いつかは自殺するつもりで、そういう死を迎えるとわかっていたから、自殺した人間らしい小説を書いていたのか?


 自殺をする人は、それを実行するもっと前から、自分が自殺することを知っているものなのだろうか。

 それとも全く知らずに、ある時、急に自殺する方へと思考と体が動いてしまうのか。

 もしも、自殺する末路を予期していたとして、予期したからには避けることだってできそうなのだが、そうはしないのだろうか。


 本に向かって尋ねても、答えは返ってこない。

 答えを言うべき作家もこの世にはいない。

 人がどのようにして自殺に至るのか、それは案外想像がつかないものだ。

 辛いことがあったんでしょうと言っても、辛いことに耐えられる人はいる。

 辛い気持ちから出発して、どのような道をたどって命を絶つのか。

 その道筋だ。

 そこが想像つかない。

 初原は一体なにを考えて、自らの命を絶とうとしてしまったのだろう。


 不意に、俺の肩甲骨に誰かの人差し指が触れた。

 なんだろうと思って周囲をうかがうと、小平が図書室から出ようとしていた。

 彼女がすれ違いざまに俺に触れたらしかった。

 帰るわよ、という合図に思える。

 だとしたら追えばどこかで合流できるのだろう。

 しかし小平ファンたちの紳士協定では、図書室を出た小平を追うことは法度のようだ。

 彼ら彼女らはしばらく本を読み続けて、五分は待ってからようやく席を立つ者が現れ始める。

 俺もその流れに乗って、いそいそと図書室から出た。


 小平を探してみると、下駄箱にはいなかったが、俺たちのクラスの教室で彼女は待っていた。


「遅いじゃない」


 教室に入るなり非難されてしまう。


「出られる雰囲気じゃなかったんだ」


「はあ? 図書室なんて出たい時に出ればいいじゃない」


「小平はそうかもしれないけどさ。小平目当てで来ているやつらの水面下の攻防はあるだろ。たぶん図書室の外で小平を追っちゃいけないルールとかあるんじゃないか?」


「抜け駆け及びストーカー行為は禁止ってわけ」


「ああ」


 弁明できたと、ほっとしたのだけれども、小平はなおも待たされたことに不機嫌な様子だった。


「別に抜け駆けすればいいじゃない。持山くんは私の追っかけじゃないんでしょ」


「抜け……、よくそんな恐ろしいことが言えるね」


「そう? 持山くんは私のことをアイドル視しているの?」


「若干ね。そうでなくても、周りからアイドル視されている気があるなら、少しは立場を考えようよ」


「若干。へえ、そうだったの」


 俺の口が滑った部分を拾い上げて、小平は意地悪く笑う。


「でもそうね。私が綺麗だから、みんな特別扱いをしてくれるんだものね。私に面倒事がないのは、あの人たちが勝手に自分たちで面倒なことをしてくれているおかげなんでしょうね」


「大切だよ、そういう繊細で些細なルールって。ついでに仲間意識も芽生えるし」


「私を見に来ている人同士の?」


「たぶんね」


 同窓会を開いた時なんかに、青春の思い出の一つとして図書室の精霊とそれにまつわるルールが語られるのだと思う。

 馬鹿げたルールだったとしても、その思い出を共有する友人がいれば、途端に大切な宝物になる。

 学校生活ってそういうところがあるんだと思う。

 大人たちは輝いていた学生時代に思いを馳せるし、まだ学生の俺たちだって、この楽しい時期がかけがえのない貴重な時間であることは気付いている。

 大人になった時、同じように思い出を作ることはきっと難しくなるのだ。


「ところで、持山くんはなんの用だったの?」


「ん?」


「図書室にわざわざ来たのは、私に用事があったからではないの?」


 無かった。

 俺はただ、図書室の精霊をやっている小平がどんなものか見たかっただけなのだから。

 強いて言うことがあるとすれば、桜田のことだろう。

 俺は桜田に初原のことを調べてもらえるようお願いしたことを小平に報告する。


「桜田さん……。確かにああいう人の方が、情報収集って上手そうだものね」


「うん。本人もそう言ってた」


「そういうことなら、なにか進展あったら、桜田さんもあの喫茶店に呼んでちょうだい。私も直接話を聞きたいし、お礼も言わないとね」

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