第3話 なにかになれる気がした

 小平は慣れた手つきで冷奴をさっと切って口に運ぶ。


「それで、学校ではどこまで話したかな」


「初原の自殺した理由を調べたい、ってところまで」


「そこまでしか話してなかったっけ」


「うん」


 すると小平は、俺にどのように話をしようか考える顔で、黙ったまま冷奴を食べ進める。


「今年は夏が長いね」


 と小平が言った。


「時期的には秋でもいいくらいなんだけどな。まだ暑いよな」


「おかげで冷奴を食べるのにはちょうどいい。冬に冷奴は流石にあり得ない」


「そうでもないだろ。冬にアイスを食べるじゃん」


「かもね。だけど季節は変わらなきゃいけない。いつまでも冷奴を食べる夏のままではよくないわ」


 小平はまだ冷奴を半分しか食べていなかったけれど、さじを置いた。

 そして俺を見る。

 またあの冷たい目だ。

 孤独になった者が凍えてする目。


「晴夏の死の真相を明らかにしてあげて、夏を終わりにしたいの」


 夏を終わりにする。

 それはまるで、晴夏の自殺した理由がわからない限りこの夏のような暑さが続くみたいな言い方だった。

 まさかそんなことはない。

 だけども小平が真面目な顔でそう言えば、今年の残暑の厳しさと晴夏の自殺がもっともらしく結び付くようでもあった。


「私も高校二年生だから、月日が経てばそのうちに冬が来るってことは知っているよ。みんな、晴夏が自殺したことは忘れて、コタツでアイスを食べるようになるんだって、わかってる。だけどね、持山くん?」


 私の気持ち、わかる?

 そう尋ねるように小平は言葉を続ける。


「晴夏の事件の終わりを、この夏の終わりと同時にしてあげたいの」


 謎を漫然と冬に持ち込むことなしに、今年の夏の中に彼女の死を閉じ込めてあげたいの。


 俺は小平と同じ気持ちを持ってはいなかった。

 彼女のように純粋な神経質さを友愛の中に持てる人間ではない。

 初原に対してそういう気持ちになるほど深く関わりがあったわけでもなかった。

 だけど小平の純粋な神経質さをその言葉から感じたら、小平のために、そして共通の知り合いである初原のためになにかしてやってもいいんじゃないかって気分になっていた。


「小平は今、事件って言ったよな。つまり、小平はこう考えているのか? 初原を死に追いやった犯人がいる、と」


「そのとおりよ」


「小平は初原の自殺について、なにか知っているの? 桜田とかが広めた噂話以上のことを」


 なにも、と小平は小さな声で答えた。

 私は自殺についてなにも知らない。

 だけど晴夏のことはよく知っているよ。


「晴夏は自殺をするような子じゃなかった。だってあの子には音楽があったから」


「音楽、か」


「晴夏って作詞とか作曲とか、歌を作るのが得意だったのよ。知ってた?」


「それは聞いたことがなかった」


 初原とは音楽についてあれこれ話したのだけれども、初原自身が曲を作っているとは彼女は一度も言ってこなかったし、それをほのめかされた記憶も無い。


「でも、初原は歌を愛しているだけじゃなくて、歌から愛される人間だっていうのは、わかる気がする」


 一度だけ初原が即興で歌を歌ってくれたことがあった。

 去年の冬のことだった。

 初原とは去年も同じクラスで、それで時々話すようになったのだ。


「うん。晴夏はね、そう、歌に愛されていた」


 小平は、初原が作ったとおぼしき歌を口ずさんでみせた。

 だけど小平が歌えばどんな曲だって『アメイジング・グレイス』めいた響きになってしまって、初原の才能は伝わってこない。


「私では表現できないけれどね。とてもいい歌を晴夏は作るのよ。生きていれば、何曲だって作ることができた。きっと将来はシンガーソングライターとか音楽クリエイターになって活躍していたと思うの。それこそ十年後や二十年後には、晴夏の作ったポップスが合唱の定番曲になって、中学生や高校生が歌っていたかもしれない。そんなふうに思いながら晴夏の歌を聴いていると、私もなにかになれる気がしたわ。将来のことなんて全然考えていないけれど、それでも私にも晴夏みたいな明るい未来が待っていてくれているように思えた」


 初原の才能を語る小平は寂しそうにうつむいていたけれど、初原のことを語る喜びで柔らかい表情をしている様子だった。

 俺は小平の胸の内にある結論を察して、彼女より先にそれを言ってみる。


「初原は、自殺をしていい人じゃなかった」


 小平はうなずく。


「私はそう思っている」


 才能にあふれて、歌作りが好きな初原は、よほどのことがなければ自殺なんてしない。

 だったら初原を自殺に追いやった誰かがいる。

 それが小平の導き出した結論だった。


「晴夏を殺した人間を暴いて、その罪を白日の下に晒すの。そして私は晴夏の命の尊厳を取り戻したい」


 その熱意は、傍から見れば危険な炎にも思えた。

 それで俺は一応、


「復讐で殺すとか、そういうことはダメだからな」


 と釘を刺す。

 もちろんよ、と小平は涼しげに返してくる。


「復讐したところで晴夏の命が戻ってくるわけないとか言うわけでしょう? そのくらいの常識は知っているわ。でもね、虐げられた者の尊厳を取り戻すには、虐げた者には罰を下さないといけないのよ」


「小平はどういう罰を望んでいるの?」


「うーん……」


 ごく普通の質問したつもりなのに、小平の炎は突然に揺らいで消える。

 誕生日ケーキのろうそくの火くらい容易い消え方だった。

 つまり小平は、復讐の具体的な方法はまだ考えていないのだった。


「そういうのは、犯人の罪が全て明らかになってからでいいんじゃないかしら。なにをするにも、真実を解き明かすのが先よ」


「それもそうか」


「その真実を明らかにするために、持山くんにも協力をしてほしいの。お願いしてしまってもいい?」


「もちろん。それで、俺はなにを手伝えばいいんだろう?」


「うん、なにをしたらいいんでしょうね?」


 俺と小平は、相手が答えを教えてくれるのを待って見つめ合った。

 いや、おかしいだろ。

 俺が小平の指示を待つのは当然のことだ。

 だけど探偵の真似事に誘ってきた小平が俺の指示を待つのは変だろ。


「もしかして、無計画でいらっしゃるのか?」


「だってどうやって調べたらいいのか、わからないんですもの」


 小平は澄ました顔をして、緑茶に口を付けた。


「小平……お前な……」


「私のことを馬鹿だって言いたい気持ちはわかるわよ。私も自分が馬鹿なことに呆れているくらい。でも、だからこそ晴夏を救うためには誰かの知恵が必要なの。どうかお願いします」


 最後には目を閉じて、頭を下げてくる。

 改めてそう真摯にお願いされなくたって、小平の本気度合いはもう十分すぎるくらいわかっている。

 そして美人に頭を下げさせていると、なんだか俺の方が悪いことをしている気分にもなってきて、ますます気持ちが悪い。


「手伝うよ。小平に思い浮かばないなら、最初の一歩は俺が足を出してやるから。小平は二歩目から考えてくれればいい」


「かっこいいねー」


 ここぞというタイミングを見計らっていたのか、静かにしていたマスターが口を挟んできた。


「茶化さないでくださいよっ!」


「でも、本当にかっこいいところを見せれば、仁奈ちゃんの心をゲットできちゃうかもしれないわよ」


「それを口に出されちゃうと、実現しなくなりかねませんから。黙りましょう、ねっ?」


「私も怒りますよ」


 と小平が不機嫌そうな顔をして言った。


「今の、間接的に私もけなされていましたからね?」


「ああ、ごめん仁奈ちゃん。そんなつもりは無かったからね」


 マスターが弁明すると、小平は冷奴の残りを食べ始める。

 そしてマスターも俺も黙ってしまう。


「とにかくさ」


 マスターの茶々のせいで気まずくなった空気の中、俺は言う。


「誰かのせいで自殺したってことなら、いじめられていたとか、そういうことだろ。だったら初原がいじめられていなかったか、調べてみよう」


 小平はうなずきながら冷奴を口に入れる。

 俺は冷奴を食べる小平の口の動きを眺めつつ、初原の自殺した原因について考える。

 初原が誰かに虐げられて、その苦痛で死を選んだなら。

 そういう明確な犯人がいるという話であれば、真相は案外簡単に掴めるものなのではないか。

 誰にも見つからずに人を傷つけることは簡単ではない。

 いじめの現場を見られることがなくても、いじめられた人間の変調を察する人間がいるかもしれない。

 この時の俺は、そんなふうに割と気楽に事を考えていた。

 夏なんてすぐに終わるものだと思っていた。

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